その一

「またまた出たよ、『血吸妖』! 今度は大川からちょいと離れた裏路地だあ!」


 瓦版売りが、道端で声を張り上げた。その手から、押しかけてきた客人によって次々に瓦版がむしり取られていく。代わりに放り投げられる小銭が、取られ損ねて地面に転がった。

 小柄でくるりとした目の青年はこの近辺では知られた顔で、そのとぼけた風貌から狸の楽三らくざと呼ばれている。この場所のすぐそばにある小料理屋「かさね屋」では、彼の瓦版を買った者がそこに書かれた話題を酒の肴にしていることも多い。

 お上から禁じられている瓦版だが、この楽三が一枚三文で売るそれが槍玉に挙げられたことはない。楽三自身逃げ足が早く、まるで転がるようにいなくなってしまうことも理由の一つだ。

 もちろん、他にも理由はあるのだが。


「さすがに、河原じゃ獲物が取れなくなったんだろうねえ」

「あのへんに住んでた連中も、さっさといなくなったっていうしな」


 『ちすいあやかし、裏路地に現る』と見出しのつけられた瓦版を覗き込むのは、「かさね屋」の看板娘であるかずら。ごく普通の町娘の身なりをしてはいるが、軽いつり目と厚ぼったい唇が妙に男の目を惹くと評判だ。

 その瓦版に三文を払った浪人の青年は、焼き魚を口にしながら軽く肩をすくめる。


「それで、また血のない骸が転がってたわけか」

「宿のない、ならず者な」


 青年の向かいで味噌汁をすすっていた体格のいい男が、つまらなそうな視線を瓦版に向けた。青年の連れ、でもなさそうだが彼が平気な顔をしているあたり、顔なじみのようだ。尻はしょりに股引姿であることから、職人であるらしいのは分かる。


「生きてても面倒だけど、死んじまってまで面倒だよなあ。な、辰馬坊」

「だから坊はやめてくれよ、大介さん」

「悪い悪い」


 辰馬、と呼ばれた青年に坊の字をつけて呼んでから、その彼に大介と呼ばれた男はまたやったというようににっと歯を剥いた。大きめの糸切り歯が狼の牙にも見えて、青年は軽く肩をそびやかせる。

 その辰馬が視線を向けたのは、お茶を持ってきてくれたかずらだった。


「かずらはどう思うんだ? これ」

あやかしなのは確実でしょ? どの類なのかが分からないけれど」

「そうなんだよなあ」


 その彼に尋ねられたかずらは、至極当たり前とでも言うように数度頷いてみせる。瓦版を見直して小さくため息をついた辰馬を、おだやかに笑って見つめながら。


「噂の化け同心とやら、動いてんのかね」

「いたら動いてるだろ。お役目なんだからよ」

「そうねえ」


 ぱらり、と瓦版を畳んで食事に戻る辰馬から、大介とかずらはわずかに視線をそらした。



 江戸をはじめとする日ノ本には、人以外にも住まっているモノが存在する。

 妖と呼ばれるそれらは、山奥や孤島などでひっそりと暮らしているものと、人の姿を取り人に紛れて暮らしている者に分かれていた。後者の彼らは人と共に住まうため、人の法を守ることが定められている。

 これは妖の長がかつて、江戸に幕府を築き上げた大権現様と交わした約定であった。無論、逆に妖の領域となった人のいない場所に入り込んだ人には、妖の法を守ることも定められているのだが。


 とはいえ、人が法を守らないことがある。同じように妖も、法を守らないことがある。人のものも、妖のものも。

 そんなわけで、人が事件を起こすように妖が事件を起こすことも、日ノ本には当然ある。逆に事件の被害者となることもあるが、それは相手が人であろうとなかろうとあまり変わったものではない。


 よって、例えば江戸の町を守る北と南の町奉行所にも、妖を相手にする者たちが存在している。人では敵わぬ力を持つ彼らに対抗するのは、当然というか同じ妖。

 あまり表には出ないけれど、彼らはこう呼ばれたという。


 化け同心。

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