第3話 枝手久島
枝手久島は、離島である奄美大島の更に離島で、名瀬市から自家用車で4時間。乗合いバスでは日に5便、時間にして6時間掛かる場所にある。此処に大手石油会社と国が一体となり、石油危機に備えて石油備蓄基地を、日本で初めて作ろうとした。自然・環境問題、具体的には珊瑚が生息する海岸線を埋めて基地を作ることで、環境保護派といわれる活動家が近隣集落である宇検や久志に住み着き、建築業者を中心とする推進派と対峙していた。
一人の小奇麗な都会風の洒落た白に赤い花柄のブラススを着こなした20歳前後の女性が、喫茶ニューヘブンを訪れたのは、7月の終わりの10時頃だった。注文を聞きにいくと、
「ホットを一つ」
本を読むでも無く、居眠りをするでもない素振りをした。コーヒーを持って行くと、微かにうなずき、『ありがとう』と言ったような口元を作った。レシートを置いて離れようとした時、彼女が不用意に手を動かした拍子にコーヒーカップに触れ、下に置いた皿からも出て倒れた。茶色の液体がテーブル一杯に広がった。目ざとく此れを見ていた譲二はさっとふきんを投げて、私は何も無かったようにテーブルを拭いて修復した。その間、数秒の出来事だった。
女性は恐縮して、
「すみません、追加であと一杯お願い出来ますか」
「サービスします」
私が言うと、
「いいです。出しますから」
このやり取りか2回続き、トーストをサービスすることで決着した。
「あなた商売上手ネ」
透明感のあるかわいい声で言い、
「ありがとうございます」
自然にその場を離れた。此れが小田前玲子との出会いだった。
玲子はこの日、3時間此処にいて、1時過ぎに出て行った。更に2時間後、戻って来て宿泊する所を紹介して欲しいと言うので、店の女主人美紀(喫茶店の女主人(ママ)の名前)さんに頼んで、親戚の旅館を紹介してもらった。後で聞けば玲子は、本当はホテルが良かったとの事だが、この時は何故か何も言わなかった。
美紀さんの言付けで、港から少し入ったところにある旅館に案内した。そこは、旅館とは言えホテル風の作りで、1泊2食付きで破格の4千円だった。民宿の約2倍だ。値段を告げると玲子は満足したようで大きな笑みを浮かべた。
「個室で風呂、トイレ付き」
淡々と内容を説明すると、当然と言う顔立ちだった。
これで彼女と再会することは無いと思い、
「ジャーこれで」
無愛想に言って、振り向かずに喫茶店に戻った。
翌日、8時に店を開いていると、
「こんにちは」
玲子がやって来た。
「こんにちは」
戸惑いながら返すと、
「昨日は、どうもありがとうございました」
「いいえ」
そっけなく小さく応えた。
「モーニングセットお願いします」
「はい分かりました」
譲二にオーダーして準備してもらい、出来がったトースト2枚とミックスジュースを持っていった。食べ終えた時を見計らってホットコーヒーを出した。
これは譲二の差し金で、
「先輩、彼女きっと先輩目当てですよ」
私は全く意識していなかった。自然に、
「此れ店からのサービスです」
女性は厨房の譲二に軽く手を振ってありがとうの合図をした。
今日も4時間粘り、ひたすら本を読んでいた。
譲二に、
「出て行く様に言いましょうか」
「美人が店に居ると活気づくし、繁盛するんです」
取り合わなかった。回りを見渡すと気のせいか、多くの客が入っていた。船が入らない時は、町から少し離れた立地にある喫茶店としては不思議な光景だった。
与論島ブームの名残と紬景気で町には活気が溢れ、町は膨れ上がりバブルの様相を呈していた。大島の女性は稼ぐが金使いも荒く、買い物好きで話し好き更に酒にも強く、夫にも寛容で、夫は自分の稼いだ金は自分で使い、家庭の経費は妻が出すというような風潮が見て取れた。
よって、いわゆるサービス業が盛んで、名瀬の町には飲み屋が林立していた。
店の主人曰く、
「名瀬は、鹿児島で一番サービス産業に就いている人の割合が多いんだよ」
この話にも説得力があった。
昼過ぎになると、女性は断わる必要も無いのに、
「町に出たいから」
私に言い残し1時間もすると帰って着た。
この娘は、奄美のどこまでも澄んだ青空と活き活きとした緑と良く調和し、何かの拍子で笑う笑顔が更に可愛かった。
男が4人少し遅れて店に入って来た。譲二が言う美人効果は抜群だ。譲二が急用と言って厨房を離れ、私が入るとこの娘が気を聞かせて、作ったものを客に持って行ってくれた。
「300円」
私が、言うとレシートに書いて客のところに持って行って、
「宜しくお願いします」
机にそっと置いた。お互いに名前を聞くタイミングを逸していた。
私は本格的に調理したのは初めてで、最初の1日目に大方習い、それ以後これまで1週間全く手にすることが無かった。不思議なもので門前の小僧経を読みの教えで、冷や汗を流しながら何とかこなせた。これも譲二の作戦かと詮索した。
3時過ぎに美紀さんがひょこっと顔を出し、
「山田君、この娘だーれ」
「お客さんですが、手伝ってくれているんです」
「名前は」
「玲子といいます。玲は、玉がなる涼しい音の意味です」
「いい名前だね」
怒られることを覚悟したが以外にも、
「山田さん、以外に持てるんだ。見直した」
下に降りて行ったので安心した。
「あなた料理の時、手が震えていましたね」
この女性、玲子が言ったのは、それから4時間後、勤務が終って、美紀さんの計らいで、『彼女に美味しいものでも食べさせてあげなさい』と2000円くれたので、一緒に店を出て、町で一番小奇麗な居酒屋に入った時だった。
「鋭い観察力ですね」
「そうですね、実は調理するのは今日が初めてなんです」
「不器用で、調理は若い譲二に任せているんです」
立て続けに喋ると、
「あの調理の子。あの子の方が年上かと思ってた」
向きになって、
「私は世間知らずのボンボンですか」
「ボンボンてなんですか」
変な発音で聞くので返す言葉が無かった。
この様なたわいの無い会話が続き、ここで私はこの女の名前は小田前玲子と言い、年は22歳で東京の大学生であり、枝手久島にいる男を訪ねて奄美大島に来たことを知った。私も名乗り、23歳の大学生と言った。この島を訪れた理由と喫茶店でバイトをしているわけは聞かれなかったので言わなかった。私自身その明確な理由を見出せなかった。
玲子が無造作に言った男のことが気になったが、無理に聞くのも旅人の情けとしてマナー違反と思いそれを避けて、大学生活、歴史地理学から見た奄美のこと、大島に来て感じていること等を喋った。よく見ると玲子の顔には小さなホクロが沢山有り、それがバランス良く配置されているので、可愛さを一層、際出させているように感じられた。
玲子は大学で日本文学史を学んでいること、そして地元である高知県の銀行に就職が決まっていることを話した。その他、流行のフォークソングや外国映画のことを話したが、私にその方面の知識が無いことも有って、盛り上がらなかったが必死に聞いた。それが良い印象をもたれた様で信頼を得た。
オリオンビールの中生1杯と地元名産の黒糖焼酎を少し飲み、ほぼ限界に近づいていたが、玲子はまだ余裕が有るようだった。この店に2時間いて1850円払って出た。玲子を旅館「南海荘」に送り、私が店に帰ったのは8時過ぎだった。
店の2階には主人夫婦と信二、譲二が集まっていた。
口々に、
「なーあんだ 山田さんもう帰って来たんだ」
更に信二が、
「先輩どうしたんですか」
と重ねた。
「すみません」
「なにが」
「分かりません」
会話が続き、このメンバーは私と玲子がいい仲になり、夜を一緒に過ごすことを期待していたことに気が付いた。
「すんません。残念ながらそんなんじゃ無いんです。友達未満で寂しい旅先の都会人の話友達です」
すると皆はなんとも言えない笑い声を上げ、マスターが冷やかす様に、
「よーいい男」
それを受けてママが、
「それでこそ山田君。その気持ちが大事よ」
と締めた。3階の物置小屋に戻り、小さな窓を開けて満点の星を見ながら眠りについた。窓の外には船が入ったのか与論島慕情が流れていた。
翌日も8時の開店早々、最近、店はこの時間に開くようになっていたが、さっそく玲子がやって来た。此れまでと違い、ジーパンにハワイアン風のシャツを着ていた。聞くと2年前にハワイに行った時に買ったとのことで、此れも健康的に日焼けした玲子には似合った。暫くすると数名が店に入って来て、更に団体で3グループ、合計12名入って店のテーブルは半分が埋まった。譲二と私がオーダーを捌き、玲子が自然にそれを客のところに持って行った。
それは夜6時まで続き、玲子は宿に帰った。私は市内に出て名瀬名画座と言うやや寂れた劇場で日活ロマンポルノの“夕子の白い胸”を観て、その白い肌が赤く染まる様に興奮し、その興奮をオリオンで覚まして眠りに就いた。
翌日も同じ様に一日が始まったが、前日とは少し異なっていた。客は多かったが、存在感のある客が1人いた。余り顔を見せないママも厨房にいて、私と玲子を呼んで、
「あれはこれだからと言って、頬を人指し指で上から下になぞった」
此れで、私は事態を理解したが玲子は、
「これって何ですか」
と聞き返し、ママが小声で説明して理解した。
「二人とも余り余計なことを言わないように自然に接しなさい」
その一言で、逆に緊張して動作が鈍った。
「兄ちゃんコーヒー一つ頼むわ」
遠くからヤクザ氏が告げたので、コーヒーを持って行くとヤクザ氏は、
「兄ちゃん大阪から来たんか」
優しく聞くので、
「はいそうです。大阪の尼崎から来ました」
「ほうーそうか、大阪弁まるだしやな」
やや気が緩んで、
「綺麗な標準語と思うんですけど」
「何が綺麗な標準語や大阪弁丸出しやないか。なーみんな」
ヤクザ氏が客に聞くと、多くの客は、
「ほんとや兄ちゃん大阪弁と言うか関西弁丸出しや」
皆がまた大きな声で笑い、玲子と美紀さんも笑った。そして譲二までも笑った。
「この店に大阪から来た兄ちゃんが、入っとるちゅうんで懐かしなって来たんや。実は俺も大阪出身でな、7年前にこの地に流れてきたんや。道頓堀とグリコが懐かしいわなあ」
「難波のことは良く知ってますよ。かに道楽が改装されて、キャバレーの大劇が閉鎖されたんです」
私が知っている情報でこのヤクザ氏が喜びそうな話題を提供したのだ。
「ほー大劇が潰れたか」
「ハワイ2号店も」
「兄ちゃんその道のこと、よう知ってんな。顔に似合わず好きものか」
心を読まれているような気がして参った。
「千日デパートが、昨年焼けて8階にあったプレイタウンで、大きな被害が出て中年のホステスを中心に、118名の死者が出たんです」
「あの店はワシの島の中にあったんでよう知っとる。ワシもあのアルサロには何回か行った事がある。情があっていい店やったがな」
懐かしそうに喋った。
「本当に衝撃的な出来事やったで、千日デパートは良く知っているんで、ほんま驚いたんだ」
思い入れがあるのか、思い出したように繰り返し言った。親しみを感じた。
このやくざ氏に話題を合わせて耳学問を披露したまでだが、私にはこの方面の素養があった。おじいちゃんはその筋の人とも交流があり、裏稼業の人とも付き合っていた。春木競馬や住之江競艇に行くと、その辺りのことは子供心にも理解出来た。親父は実直だが平凡な男で、魅力的な人間ではなかったが、爺さんには何故か親しみを感じていた。
その爺さんの口癖は『やくざと土建と宗教と政治家は絶対なったらあかんで、これはみな同じ根や裏で皆つながっとる』が常で、私が『そしたら何になったらええんや』と聞くと、『それを考えるために勉強するんがお前の仕事や』と本質を言って退けた。
親父と違いその発言には妙に説得力が有った。
「兄ちゃん今度、あの姉ちゃんと一緒にシャレードにコイヤ」
店の名前を挙げた。あっけに取られて答えに困ると美紀ママが、
「この子はネンネですから」
タイミング良くサポートしたが、
「心配せんでええ。ちょっとした頼み事や」
「そしたらこの子と二人で」
「いや3人や頼む」
ここで事の重大性をやっと理解した。そうか、玲子さんが目当なんか。ここは何とか逃げなくてはと、
「あす、一緒に古仁屋に行くんですは」
「ほんまか」
玲子に聞き、玲子が軽くうなずくと、やっと許してくれて、
「ほなしゃないな。また来るは」
あっさりと店を出て行った。心なしか背中が寂しかったのが気に掛かった。
このやくざ氏が出て行くと、店の雰囲気が急に和み、和やかな雰囲気になりママの、
「玲子ちゃん。私にコーヒー一杯」
それに応えて、
「ハイ分かりました。直ぐに」
完全に雰囲気は戻り、テーブル席の会話があちこちで復活した。
私は腰の力が抜けて虚脱感を伴っていたが、玲子は元気で、
「面白かった。本物のやくざって、近くで初めて見て感激。迫力あったもんね」
とか何とか言って一人はしゃいでいた。私は、ヤクザにはそこそこ興味を持っており、何冊か本も読んでいたが、やはり本物は存在感が違うと実感した。浅はかな知識は身を滅ぼすと言うが、此れが次の災いを持たらすことになる。
この日も店は繁盛し、多くの客でごった返していたが、其れも6時を過ぎると客足が遠のいたのを見計らって、ママが、
「山田君もう上がっていいよ」
ホットしていると玲子も帰り支度を始めた。アルバイトなのかボランティアなのか何か良くわからない存在だ。
そして、ママに向かって、
「明日、山田さんと古仁屋に行って良いですか」
「玲子さんあれは方便」
これを聞き入れずに、
「お願いします、良いでしょう」
この言葉を繰り返した。私が困惑していると、
「山田君、明日は玲子ちゃんのお相手して古仁屋に行って来なさい」
決意を込めて告げた。これには逆らえず頷いた。ママが5千円をそっと私の手の中に置いた。
この後、明日の打合せをし、バスの時間を考えて8時15分にバスセンターで待ち合わせることになった。3階の物置兼宿舎に戻り、人気絶頂の浅野愛子や “16歳の戦争”に主演した秋吉久美子、麻田奈美のピンナップが掲載された雑誌を見ながら、
「あなたはもう忘れたかしら 赤い手ぬぐい マフラーにして 二人で行った・・・」
と口ずさみ、いつもの様に窓を開けて星を見て、流れ星を数えながら眠りについた。
翌日6時30分に起き下に降りていくと、既に譲二が来て下ごしらえをしていた。私の知らない世界だ。これまで私は、8時少し前に下りてきて、少し新聞を読んで客が来るのを待つのが常だった。自分の甘えが恥ずかしかった。地元新聞、南海日日新聞を読むと言うより目を通す。この新聞は地元に密着した紙面6枚の新聞で、内4面が地元記事で、所謂どぶ板が壊れている、道路補修が何とかならないかと言う記事が多数を占めているが、その分一面は大上段に構えて日本政府、県政に物申すと言うトーンで、読んでいてその格差が大きく面白い。
トインビーが言っている様に辺境に文化が生まれるの感がある。南海日日新聞の書き手は常に中央を意識し、数年先には中央新聞に所属することを希望する若手の記者が多いのが特徴だと聞いた。若手にとって登竜門だった。
この新聞の真骨頂は死亡記事に現れる。最終紙面の3分の2は死亡記事で、たとえば、大島太郎が脳梗塞で死亡したとすると。
生前の御芳情に感謝致します。享年92歳。お通夜は本日12日(木)19時~自宅で、
葬儀は13日(金)11時から金久町民会館で実施致します。
此処までは普通だが、ここから子供全員の紹介だ。
長男 隆夫 妻 康子、長女 大須賀 良子 夫 大須賀 義雄、次男 徳次郎 妻 洋子、三男 大志田 孝義 妻 美智子、次女・・・、三女・・・と続き、孫代表 大島 三太郎、親戚代表 大田 誠三と続き最後に、喪主 妻 ヨシと続く。
それも時間が無いのか、手書きを写真印刷したものが多い。
更にそこそこの名士の場合は、葬儀実行委員長まで居る場合がある。まさに一族、企業挙げての儀式だ。この様に当地では一族の団結力が強く、都会では既に失われたものが残っている。
新聞を読んでいるとママが上がって来て、
「山田君まだ居るんだ。パン食べて早く行きなさい」
ママが降りると、譲二が素早くパンとコーヒーを持って来て、
「先輩頑張ってください」
「何を・・・」
何も言わず笑って見せた。
待ち合わせの時間が迫っておりバスセンターに急いだ。約束の時間は少し過ぎているが、バスの時間には間に合う。バスセンターに着くと玲子は既に来ていた。今日はシックな装いで、紺に斜めに白いストライブが入ったミニのワンピースで、日焼けしていないひざ小僧が見えていた。それを白のストッキングがカバーしていた。一番驚いたのは、小さな頭にチョコンと乗っている黒い帽子で、周りにラメが入っていて顔を明るくしていた。靴は少し高めの黒いものだった。靴が背を高く見せ細身を演出していた。
「どうしたのその格好。オペラ劇場にでも行くつもり。これからいく所はオンボロバスで4時間の古仁屋だよ。場違いじゃない」
玲子は澄まして、
「と言うことは、決まってる」
私を見て答えて、手を取ってバスに乗って一番後ろの席に導いた。私は、古仁屋は2回目だが玲子に、
「古仁屋に何しに行くの」
それには直接答えず、
「枝手久てどんなところ」
「知らないけど新聞情報では、パーマを掛けた長髪でジーパンを穿いたヒッピーが沢山いて、リトル東京の様になっていると聞いた事がある」
と告げると、
「私達これからそこに行くの」
驚く私を尻目に、彼女の打ち明け話が始まった。
「実は其処に同郷の人が居て、その人に会いに行きたいの。それに付き合って。お願い、お願い」
「どんな人」
「同郷の人で、高校のテニス部の先輩で、東都工業大学の修士2年なんです」
「恋人」
と聞くと、短く
「違う、そう思った事もあったけど、今は違うの」
と唇を噛んだ。
そして続けて、
「東京に出て最初、寂しくて大学で知り合った人の良さそうな人と付き合ったの、でもその人は大変な遊び人で、私も結構傷ついたんです。それで3ヶ月休学して復帰して、彼に支えられて、此処までこれたんです。私の安全弁みたいな人なんです。
それが、今度は彼がつまずいて、と言うか研究が旨くいかなくなって、私が思うには、学生運動に逃避したんです。心を癒せるなら其れもいいかと見ていたんですが、真面目な人なのでのめりこんでしまって、今は休学中です。もう1年になるんです。私が卒業するまでには何とか復学して欲しいんです。これが私の僅かなお礼の表し方なんです」
と一気にしゃべり、涙目になって潤んだ目で私を下から見上げた。
此処まで言わせたからには、一緒に行かなくてはと男心が燃えた。途中バスを乗り継いで、枝手久島に渡る宇検村には13時30分に着いた。ここから島に渡る算段をしていると玲子は、
「この集落に居るんです。島に渡らなくても」
私に紙を差し出し、渡船もやっている小間物屋で小さなメモに書かれた住所を示し、彼の居場所を聞いた。
そこはここら15分程度歩いた集落の外れの家で、石油備蓄基地建設反対の急先鋒の家だった。集落には活気があり、地元の住人と一目で都会人と分かる、概ね髪の毛が長く薄汚れた服を着た若者で溢れていた。そして電信柱や壁には賛成、反対の張り紙が所狭しと張られていた。賛成の張り紙が多いように思われたが、それは資金力の差によるものかもしれない。
予定通り15分歩いて、くだんの家に到着した。彼女に促され、家に入り男を捜したがいない。周りの若者に聞くと、近所の公民館に居ると言うのでそちらに向かう。玲子は更に無口になっていたが歩みは止めなかった。公民館に到着すると、そこでは反対派と賛成派の討論集会が開かれていた。
賛成派の弁士が立ち、基地建設によって雇用と経済的な支援が得られ、孫や子と一緒に生活できる環境が構築できると熱っぽく語り、大きな拍手が起こった。続いて、30歳前後の長髪でサンダル履きの大きな男が立ち上がり、
「確かに孫や子と暮らせる生活は最高ですが、そのためには大きな犠牲が必要です。即ち珊瑚の海、この素晴らしい環境、ひとたび基地が出来ると多くの都会人が来て街の雰囲気が崩されてコミュニティーは崩されるのです。一度崩れた人間関係は、二度と修復できません。以後、大和ンチューに蹂躙されるんです。此処が皆さんの踏ん張り所です。私たち都会人も地域に根ざした活動をして、地域の活性化に貢献したいのです。例えば、海を利用した栽培漁業や渡船、山を利用した柑橘類の栽培それが可能なのです。一緒に頑張りましょう」
と締め括って、大きな拍手が会場から沸きあがった。
住民が、
「あんた達、都会モンも一緒に働くんだね」
念を押すと、その青年は、
「勿論、私の行動を見ていただけると、分かっていただけると思います」
正面を向いて答え、また大きな拍手が起こった。
「私はここに土着するつもりです」
更に大きな拍手が起こった。
この発言には会場に詰め掛けた50名前後と思われる全ての人が反対派、賛成派を分かたず拍手した。集落の人は、賛成派、反対派を問わず、生活の糧を此処に見つけて家族揃って生活したいと思っていることがしみじみと感じられた。
更に二人の弁士が立ち意見を述べた後、フォークソングの演奏があり散会となった。
帰る人を出口で待っていると、先ほど演説した男が近づいた時、玲子が肘で私の腹をこついた。其れと同時に青年が、
「玲子どうした。メガネ止めたのか?それにその服、エラーくお洒落やないか」
「町田さん、元気そうやね。其れに演説、説得力もあった。圧倒された」
二人は並んで歩き、私は少し離れて後ろを歩いた。途中、玲子が振り返り私を見て笑った。
「ぎこちなく不自然に返した」
集落外れの家に着き、招き入れられて正面に座らされた。家人への挨拶もそこそこに宴会が始まった。集会が終わったことの打ち上げの様相を呈しており、奄美の黒糖焼酎が振舞われ、各々が思いを順番に吐露した。
私の番になり、
「大阪から奄美に来ましたが、ほのかな思いを寄せた彼女に振られました。後1ヶ月して夏休みが終わるまで此処に留まって、彼女を見つける予定です」
黒く日焼けしてヒッピーと見分けがつかない格好で、顔を赤らめて高い声で言った。緊張すると高い声になるのは私の癖だった。
次に玲子が立ち、
「奄美に過去を捨てに来ました。もっと心を鍛えて、明日から私は生まれ変わりますので、宜しくお願いします」
短く言い、最後に、
「奄美に乾杯」
と閉めた。
全員拍手喝采だ。私たち二人の興奮を見過ごすように、次から次と全員が話し、最後に奄美名物の三味線(サンシンとも言ったかも知れない)を持って、宴会の最期に決まって行なわれる六調が始まって、其の最中に踊り手が次々と中央に出る儀式が始まって、12時過ぎに終わった。
私たちはこの家に宿泊することになり、玲子を真ん中にして右に同郷の男、左に私が並び三人で寝ることになった。私たち3人は相当酔っており崩れるように寝床に入った。普通この環境では中々寝付けないが、黒糖焼酎の酔いも手伝って暫くすると眠気が誘って来て眠りに落ちた。不意に何かが触れたので手を伸ばすと玲子の手が其処にあり、私の手を取って自分の布団の中に導いた。更に次の行動を待ったが、それ以上の進展は無かった。深い眠りに落ちた。
翌朝、目を覚ますと玲子と私は何故か手を繋いでいた。少し躊躇したが何も無かったことを思い出してホットした。件の男は既に寝床から抜けだしていた。二人で起き出して主人に挨拶して、薦められるままに朝食を頂いた。
食後、面倒見の良い主人に促されて男が作業している山に向かった。男は山で地元の女性、都会から来た仲間達とタンカンや柑橘類の剪定作業をしていた。男の格好はさまになっており結構地元に馴染んでいた。
私が男に近づいて、
「玲子さんと話さなくていいんですか」
「何を、あいつも元気になって其れに綺麗になった。メガネやめて目も二重になったし、体も一回り小さくなってスマートになったな。本当に見違えたよ。あんたのせいかな。これは」
言い終ると私に笑顔を返した。
「違いますよ。私は通行人その一ですから」
直ぐに顔を横に向けた。
其れを気にして男は、
「私、高知県土佐中村市出身の町田信吾といいます。宜しくお願いします」
名乗りこれを受けて、私も、
「山田真です。京阪大学の文学部で歴史地理学を勉強しています」
自己紹介すると、
「奄美はフィールドワークですか。奄美は歴史地理学の未開地やからね。結構ネタは多いと思うけど」
少し間を取ってから続けて、
「私はドロップアウトですわ。理系は道に迷うことが多いんです。構想力が必要で論理展開もするため、実力が自分自身で評価出来るんですわ」
「そうかも知れませんね」
「まさにそうなんです。力を自分自身で評価し、それが自分で許せないんです。ジレンマですね。其れから逃れるため少し寄り道したんですが、それがいつか本筋となって戻れなくなったんです」
「もう時間も経ったことだし、傷も癒えて充電もしたと思うんで、ここらで復帰したらいかがですか」
分かった様なことを言ったが、説得力は無く心に訴えることは出来なかった。本筋では無いと言ったが、彼はそれなりの価値観を見出しており、心の拠所になっていたのかもしれない。
玲子は終始無口で最後に、
「これで本当にいいんですね。本当に・・・」
町田は大きく頷いた。
其れを受けて、私たちは山で昼食を挟んで3時まで作業して降り、タオルで汗を拭いて、冷えた麦茶を頂いてバス停に向かった。町田さんと玲子は並んで歩きその後ろを私が、更に私の後ろを一人の女性が歩いていた。
バス停で最終バスの発車を待ち、運転手に促されてバスに乗ると直ぐに発車した。玲子は大きく手を振って別れを演出した後、無口になり泣き出した。運転手がじろじろ見るので対応に困ったが、10分も泣いて涙が枯れたのかバスの中継地点に来る頃には、元気を取り戻し私の手を取って握り締めた。私は少し強く握り返した。
「ありがとう。真さん」
小さく私を下の名前で呼んだ。
バスを降りる時、運転手にお礼を言うと、
「頑張れよ」
と小さな声で言ってくれ、お礼を言ってバスを降り、暫くして古仁屋発名瀬行きのバスが来て乗った。名瀬に着いて、バスセンターで無言で別れた。気のせいか玲子の背中は、寂しそうだった。これで玲子も都会に帰ることが出来るだろう。もう明日は店に来ないと思った。
次の日、少し遅れて店に出ると、既に玲子は来ていて元気に働いていた。
「遅い、遅い、お兄さん」
玲子が茶化すので、
「大変身お姉さんもお元気ですね」
と返すと横を向いて譲二と話し出した。この日は、私の方に振り向くことはなった。
枝手久島で石油備蓄基地設置に対する意見が分かれた背景には、年初に大国アメリカが苦悩していたベトナム戦争を終らせ、パリで平和協定も結ばれて世界的に和平気分が蔓延しており、戦争になれば攻撃目標ともなり得る石油備蓄基地と言う火中の栗を敢えて拾うことはないと言う気分が日本中を支配していた面も有った。
この気持ちが、必要性は感じながら石油備蓄基地構想を更に難しくし、反対運動が地域住民の共感を得たと思われる。
世界最強を誇ったアメリカは小国べトナムとの戦争で史上初めて敗戦を経験し、強国が必ずしも勝たない事を学んだ。この戦争の戦死者はベトナム300万人、米国5万8千人に及び大きな犠牲を強いた。
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