狐狗狸

第84話  こっくりさん

 夕日で半分茜色に染まった教室。既に殆どの者は下校している。

 そこに三人の女学生が、一つの机を囲んで座っていた。

 机の上には、三本の竹ひごを交差させ広げ、真ん中を紐で結び、一方の上に丸く切った厚紙を置いた物がある。少女たちはそれぞれ紙の上に右手を載せ、目を瞑っていた。


 一人が緊張して咳払いをしながら、声を上げた。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞいらして下さい」


 偶然開いていた校庭側の窓から、四月の夕暮れの風がそよぎ入り、外の喧騒が微かに聞こえた。


 一度口の中を湿らせてから、更に声を上げる。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞいらしてください、お願いいたします」


 沈黙が教室を支配する。

 みなが戸惑って薄目を開けた。


「ねぇ、あなたたちもいってよ」


 最初から声を上げていた少女が小声で囁いた。

 少しためらいの後、残りの二人は意を決したようだ。


「いくよ、声を揃えて・・・」


 そこで軽く息を吸う。


「こっくりさん、こっくりさん、どうぞいらして下さい。お願いいたします」


 三人は揃って呼びかけた。

 暗さが増し始めた教室。窓から射し込む夕日は、もはや血のように赤い。

 少女たちは、二度三度繰り返し呼びかける。

 紙の上に置いた右手が汗ばんでくる。

 呼び声は、次第に緊張から焦りに変わり、そして・・・。


「こっくりさん、こくりさん、どうか」

「ねぇ、もう止めにしない?」


 一人の少女が唐突に呼びかけを遮った。


「なにしてるの! 途中で止めたら駄目じゃない!」

「だって、なんにも起きないんだもの」

「呪われるわよ」

「だって、こっくりさん、まだ来てもないし」


 いい合っていた二人は、肩を落とし、溜め息をついた。


「私、お腹空いた」

「あ、もうこんな時間。帰らなきゃ」


 早く帰って母親の手伝いをしなければならない。

 そろそろ日が沈んでしまう。

 二人は紙の上から手を引いた。


「ねぇ、育子、帰ろう? もういいでしょ?」


 明らかに落胆した様子で少女はいった。


「川が見える」


 育子と呼ばれた少女がぽつりと呟いた。


「え?」


 他の二人は椅子から立ち上がっていた。

 育子はまだ三叉で支えられた紙の上に手を置き、薄暗くなった宙空を見つめたままだった。


「ちょっと育子、ねぇ」

「キミちゃん、サチコ、どこいったの!?」


 育子は座ったまま、焦りを滲ませた声を上げた。


「育子、どうしたの! 私たちここに居るよ!」


 キミとサチコはようやく育子の異変に気付き始めた。


「ここは何処? どうして私だけ!」


 育子の声は悲痛なものになっていた。

 だが体は微動だにしない。


「育子、大丈夫? 目を覚まして!」


 キミは必死で座ったままの育子の体を揺する。

 しかし育子の目は見開いたままだった。


「どうしよう。私、先生呼んでくる!」


 サチコがそういって教室から出て行こうとした。


「待って! 置いていかないで!」


 この異常な状況に取り残されるのを恐れ、キミもその場を離れようとした。


「誰かいる」


 唐突な育子の言葉で、二人は凍りついたように動きを止めた。


「・・・誰? 誰が居るって?」


 キミは声を震わせた。

 この暗い教室に、三人以外誰も居ない。

 育子はなにをいっているのか。


「良かった! あの、私なんだか急に独りになっちゃって、助けてください!」

「育子、行っちゃ駄目!」


 椅子から今にも立ち上がりそうな育子の様子を見て、キミが駆け寄った。

 しかしそこには、机を囲む三脚の椅子と、三叉に組まれた竹ひごだけが残されていただけだった。

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