第61話  疑心暗鬼

 昨夜は榎木二郎との予期せぬ遭遇もあってか、なかなか寝付けなかった。

 ぼんやりとした頭のまま、犬八は朝餉の支度をした。


 竈に火を入れ、米を研ぎ、御釜を火にかけかた。

 隣で味噌汁を煮て、七輪でめざしを焼いた。

 師走の寒い厨に、湯気と煙が立ち込め始めた。

 ようやく目も覚めてきた。

 そろそろ先生を起こさなくては。


 犬八は三和土から草履を脱いで上がり、寝室へと向かった。


「先生ぃ、そろそろ朝餉の支度が整いますよ」


 草平の寝起きの顔を見るのが、犬八の密かな楽しみだった。

 まだ寝ぼけ眼の無防備な姿が、とてもいじらしく感じられるのだ。

 襖を開けると、障子からの薄明かりの中、布団には草平と仲睦まじく抱き合って眠るカネヒコの姿。


「なっ・・・」


 言葉を詰まらせる犬八。

 しかし直ぐに我に返り、慌てて布団を引き剥がした。


「先生! カネヒコ! コラ、いったいなにを⁉」

「うわっ、犬八なんだい⁉ さ、寒い!」


 驚いた草平だが、寒さで縮こまった。

 カネヒコは何事もなかったようにまだ寝息を立てている。


「先生ぃ、こりゃどういった了見です?」

「は? 犬八、いったいなんのこと、ってアレ? カネヒコじゃないか」

「今更なにをいっても遅いですよ・・・」


 犬八は虚無の顔で草平を見下ろす。


「なにが遅いっていうんだい⁉」

「おい、コラ、カネヒコ、起きろ‼」


 犬八は怒りを滲ませ体を丸めて眠っているカネヒコを足蹴にする。


「犬八、優しくしてあげなくては」


 それを見た草平が静かにたしなめる。


「あ、いや、これは、その、申し訳・・・」


 叱られた犬八は耳と尻尾を垂らすようにしゅんとしてしまった。


「ううん、うるさい」


 眠い目を擦りながらカネヒコは起き出した。


「うるさいとはなんだ」

「こら、犬八。いいじゃないか、子供なんだから」

「子供じゃないでしょ! 立派な大人ですよ!」


 そういった犬八は、草平のちょっと悲しそうな顔を見て、言葉を詰まらせた。


「ああ、すみません。いい過ぎました」

「いいんだよ」草平は優しく微笑んだ「カネヒコ、君はいつ僕の布団に這入り込んだんだい? 全然気付かなかったよ」

「夜、外で、見てる奴、いた。カネヒコ、怖い、ソウヘイと、寝た」

「なんだ、怖い夢でもみたのか」

「ケンパチ、話してた」

「そうかそうか」


 草平はよしよしと、甘えるようにしがみ付いてきたカネヒコの頭を撫でた。

 どさくさに紛れてなに抱き着いているんだ、と憤慨しながらも犬八は、カネヒコが外で張り込んでいた榎木二郎に気付いていたことに驚いていた。


 もしかしたら昨夜の会話を陰で聞いていただけかもしれない。しかし、それでも俺たちに気配を感じさせずにいることは難しいはず。

 カネヒコはいったいなにものなのか。なにか目的はあるのか。

 犬八の心は疑念の渦で満たされていった。

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