第51話 年末の行き倒れ
「犬八! 犬八はいるかい?」
玄関の戸が開く音がしたかと思うと、草平の呼ぶ声が聞こえてきた。
犬八は庭で落葉掃きをしていたので、外から玄関の方へまわった。
「どうしたんです、先生ぃ」
「ああ、いてくれて良かった。ちょっと手伝ってくれないか?」
玄関では、誰かを肩に担いで、草平が腰を下ろしていた。
「え、あの・・・・、誰なんです?」
犬八は思わず疑問を口にした。
当然のことだ。自分の主人が見ず知らずの人間をいきなり肩で担いで連れてくるなんて。しかも、髪も髭も伸び放題で顔すら見えず、肌は垢じみて服も汚れみすぼらしく、異臭すら放っていた。
「あ、家の前で倒れていたんだ」
「倒れていた⁉ それを連れてきたんですか?」
「うん。とにかく家に上げよう。布団にでも寝かせようか」
犬八は呆気に取られていたが、我に返って一緒に行き倒れ人を寝室へ運んだ。
「僕が寝かせておくから、犬八は、えっと、水、あとなにか食べる物を持ってきてくれるかい?」
「承知しました」
混乱したまま犬八は、急いで湯呑に水と、昼飯の残りの焼きおにぎりを味噌汁でふやかしたものを持参した。
「ありがとう、犬八」
草平は湯呑の水を布団に横たわる男に差し出した。
「水です。飲めますか?」
男はもごもごとなにかいうと、体を少し起こして、湯呑を取り一気に飲み干した。
「食べる物もありますよ。腹は減ってますか?」
出された茶碗を受け取り、男は何度かむせながらも味噌汁ぶっかけ飯を平らげ、床に臥せた。
「眠ってしまったのかな」
横になったまま動かなくなった男の様子を伺い、草平は呟いた。
「息はしているようですぜ」
「うん、しばらくこのままそっとしておこう」
草平は立ち上がり、寝室を出た。
混乱と不安を抱えながら、犬八もそれに続いた。
「先生、どうするんです?」
仕方なく茶の間で着替えをしている草平に、犬八は訊いた。
「まぁ、とりあえず様子を見るしかないね」
「あの・・・いいえ、先生は今夜どこで寝ますか?」
「あ、そういうこと?」
「客間に布団をお持ちしますよ」
「・・・・たまには犬八と一緒に寝てみようかな?」
「えっ、さ、さ、さすがに、それは⁉」
「冗談さ! 冗談! ははは」
「ですよね、冗談ですよね、はははは!」
二人でひとしきり空笑いをした後、草平は書斎へ去っていった。
夕飯の支度に厨に赴いた犬八は、行き倒れの男に対する懸念を口に出す機会を逸したことを悔いた。
あのモノは、人ではない。
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