第32話  一瞬お花畑が

「とっととこの坊ちゃんを殺して、小娘を連れて帰るぜ」


 目つきの悪い小男は、草平の両手首を縛っていた縄を、軽く揺らしただけでほどき、今度は首に巻き付けた。

 どうやっているのか知らないが、この男は縄を自在に操っている。

 草平は自分に迫る危機そっちのけで、不思議な躁縄術に一刻心奪われた。頭を踏み躙られ、首に縄を掛けられたというのに。


「さて、ゆっくりと首を絞められて、苦しみながら死ね」

「遊びもほどほどにしておけ」

 羽織袴の青年が、お菊の居る離れた場所から声をかけた。

「わかっているさ」

 じわじわと首に掛けられた荒縄が絞まってくる。チクチクとした痛みが息苦しさに代わっていく。


「絞められて苦しんでいる阿保面をみてやろうか?」

 小男は草平の頭から足をどかした。


「おい、界草平」


 突然、名前を呼ばれて、息苦しさの中、どうすればいいか混乱しながら、いささか驚いた。


 しかもこの声は。


「界草平、このまえ融さんにオレのこつ小っせぇっていいよったと?」

「き、君は・・・うう・・つ な」


 いつの間にか草平の側に客人対応係の綱が立って、顔を覗き込んでいた。

 ちょっと待ってくれ。今そんなこと言ってる場合ではないんだが。


「それについて、謝罪はなかと?」

「え・・・ぐ、がぁぁ」


 首から上が破裂しそうだ。息だって出来なくて苦しいし、声すら出せない。この状況を何故わからない?


「て、てめぇ! いったい何なんだ⁉」

 唐突に表れたことに対して余りの驚愕から硬直していた縄遣いの小男が、ようやく我に返って綱へ怒鳴った。


「せからしか! われは黙っちょれ!」

 綱は日本刀を即座に抜いて、縄遣いの首に刃を向けた。


「どげんやね、界草平」


 この人、この期に及んで何を言ってるんだ⁈

 草平は薄らいでいく意識の中で、訳も分からないまま一所懸命声を絞り出した。


「す・・・ま・んん」

「よし!」


 綱が叫ぶと同時に、一陣の風が吹いて、草平の首を絞めていた縄が切れ、縄遣いの小男は後方に吹き飛んだ。

 草平は無我夢中で緩んだ縄を首から剥ぎ取ると、空気を求め仰向けに寝転がった。


「よう頑張ったっちゃねぇ、よしよし」


 綱はしゃがみ込んで、汗と涙と鼻水と唾液まみれの草平をにこやかにねぎらった。


「ちょちょちょ、ゴホッ、ゲボ・・・ツナツナツナ綱君⁉ 酷いんじゃないか? 非道過ぎなんじゃないか⁉」

「なに言うちょっと。只で助けてもらおうなんて、虫が良過ぎるっちゃが」

「僕死にそうだったんですけど⁈ もう少しで死にそうだったんですけど⁉ ていうか一瞬お花畑が・・・」

「へいへい」

 綱は面倒臭そうに返事をした。


「おい、テメェ! 人に蹴り入れといてなにいちゃついてんだ⁉」


 縄遣いがようやく突っ込みをしてきた。


「ああ? こっちは警察のもんだ!」

「警察? 笑わすなガキが!」


 確かに綱は背も低く童顔なので十代に見えてもおかしくない。


「われなにぬかしとっと?」

「クソチビが、痛い目見ねぇとわかんねぇか?」

「チビだぁ? お前、殺すど」

 背が小さいことを死ぬほど気にしている綱と、負けないくらい背の低い縄遣いの戦いが、今始まる。

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