第23話 鋭い八重歯
カフェーを出た犬八は心の中で「先生すみません、しかしお菊との約束なんです」と謝った。
今朝早く、お菊は犬八の書生部屋を訪れて、ある願い事をしていった。
『今日、私は髪結い処で髪を結ってもらうことになるから』
昨日の話では床屋で散髪をするということになっていたので、犬八は半信半疑だったが、それは件の娘の未来を視る力なのだから、そのまま受け入れることにした。しかしここにきて急に草平の案で髪結い処に変更になって、お菊の言った通りになったので、犬八は改めて驚いた。
さて、急がねば。
犬八はお菊が居る髪結い処に戻ってきた。その店の前には、丁度およそ女性の店には似つかわしい壮士風の、着流しに長髪姿の男三人がやってきていた。一人は腰に木刀を差している。
「うむ、お菊の言った通りだ」
『髪結い処の前に三人の男がやってくる。髪はぼさぼさで、一人は木刀を差している。そいつらは教団に頼まれた輩よ。どうか追っ払って』
犬八は店の中を覗き込んでいる三人の男たちに近づいた。
「おい、君たち。女性の髪結い処の前で、なにか良からぬことでも考えているのか?」
いたって落ち着いた様子で犬八は声をかけた。
「ああ⁉ なんだテメェは? 関係無ぇだろ。あっち行ってろ」
三人の内の一人が凄んで答えた。
「関係有るか無いかでいえば、有るんだ。お菊のことで来たんだろ?」
お菊の名前を聞いて、顔を強張らせる三人。
「オメェ、なんなんだ? さっきから」
「こいつ、お菊と一緒にいた内の一人奴だぜ」
横に並んだ男が耳打ちした。
「そうなんだ。そこでおたくらにお菊から伝言があってな。ちょいと顔貸してくれねぇか?」
「ここで言えよ」
「まぁ直ぐに済む話だし、ここでもいいんだが、誰が聞いてるかわからねぇ。お菊の髪結いもまだかかりそうだし、ちょっと静かなところに行かねぇか?」
どうする? と前に出ていた二人が、後ろに控えていた一人に顔を向けた。
「いいだろう、付いてきな」
背後に控えていた木刀を差した男は顎をしゃくって犬八に合図した。
犬八の前を二人が歩き、背後に一人付いて細い路地を進んでいった。しばらく歩くと、突然寂れた寺の境内に出た。
「誰もいなそうだ。さぁ、伝言とやら、話せ」
木刀男は犬八を見つめながら言った。木刀に手をかけてはいないが、何かあれば直ぐにでも抜く気構えのようだった。
前に二人、後ろに一人。まぁ、信用される訳もないだろうな。犬八は心の中で軽く溜息をついた。
「その前に一つ訊きたいことがあるんだが、お菊と一緒に俺も含めて後二人いただろ?」
男たちは黙って犬八の続きを待った。
「あんたらはお菊を連れ戻すのが仕事だ」
「どうしてそれを知ってる? お菊から聞いたのか?」
「まぁ、まずは俺の話を聞いてくれ。もし、俺たちがお菊を手放さなかったときは、どうする? 抵抗したらどうする?」
木刀男以外の二人はジリっと身構える気配を見せた。
「ふむ、そのときは・・・」男は木刀の柄に手を置いてニヤリと笑った「大人しくしていてもらうさ」
ふうん、やっぱりそうなるか。まぁ熊友さんはいいにしても、そうなったら先生がどうなってしまうか・・・。犬八は思いを巡らすように一瞬だけ宙を見た。
「そいつは大変だ」
犬八はゾクリと身を駆け上がった震えを感じて、口角を上げ、それまでには無かった鋭い八重歯を露わにした。
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