第20話  多元世界論

 はしゃぎ疲れて眠ってしまったお菊を座敷の布団に寝かせ、草平と犬八は茶の間で一息ついていた。


「こどもというのは凄いね。まるで元気の塊だ」

「まったくですね」

「随分懐かれていたみたいだね」

「そ、そうですか?」

「うん。大きな犬八が子供を相手にしている様子は、微笑ましよ」


 犬八は、熊友の“二人に子供が出来たみたいだ”という言葉を思い出して、いろいろと妄想してしまった。


「しかし、十四歳にしては、少し態度が幼過ぎる気がするなぁ」草平は熱いお茶を啜り、宙を見つめた「やはり今まで子供らしい生活が出来なかったせいなのかな」


 世間の十四歳の少女だったら、カステラや洋服であそこまで喜びを表すだろうか。十代の少女とあまり接する機会の無い草平でも、それくらいは感じ取れた。

 しかしお菊の話を聞く限り、世間一般でいう少女らしい楽しいことをまったくしてこなかったことを鑑みるに、それも仕方ないというか、当然なのかもしれない。

 学校に通ったり、友達と遊んだり、親と出かけたり、美味しい物を食べたり、おめかしをしたり、そんなものから遠く離れて生きてきたのだ。その代り、部屋に閉じ込められたり、粗野な男達に囲まれていたり、そんな日常を生きてきたのだ。


「それにしても、お菊のあの“視える”というやつは、いったいどんなもんなんですかね」


 犬八の言葉に草平は、胡坐をかいた脚に肘をついて考え込んだ。

「うん、予言と一緒に、千里眼のような力もあるみたいだねぇ」

「千里眼、ですか」

「遠くにある物事、遠くで起こっている物事、あるいは知りたいと思った物事、なんというか、知りたいと思った物事の真相を視ることが出来る。だけど知りたいからってなんでも視える訳ではないみたいだね。まぁ、超常の力とは大概操るのが難しいもののようだけど」


「しかし、そんな大層な力があるんじゃ、抜け出してきたっていう教団の連中は、みすみすお菊を手放しますかねぇ」


 それは草平も考えていたことだった。


「それでもお菊を家に置くつもりですか?」


 犬八の詰問に、草平は言葉に窮してしまった。


「す、すみません。先生を困らせるつもりはなかったんですが・・・」


「いいんだ。中途半端な気持ちですることではないしね。うん、それでも僕はお菊ちゃんを家に置くことにするよ。いつまでとか、なにが起こるかとか、わからないけれど、彼女が望んでここに来たんだ。僕を頼りにして来たんだ。しばらく様子を見よう。それに、不謹慎だけど、彼女が居ると、なんだか家族が増えたみたいで少しばかり楽しいしね」


 特に注意して使った訳ではないだろう。しかし、草平の「家族」という言葉に、犬八自身が含まれているのだと感じると、心が温かくなった。


「わかりました。俺は先生に全力で協力しますよ」

「ありがとう。迷惑かけるね」

「とんでもないです」

「それに彼女の力に興味もある」

「予言、未来を視る力・・・まるで巫女さんですな」


「僕が係わっている民属学では、過去や未来といった時間の考えがあやふやなんだよ。それで大学の寺田君という物理学を研究している友人に訊いてみたんだが、科学である物理学にも、時間というものはあやふやで曖昧なものだという考え方があるというんだ」


「時間があやふや、とはどういうことですか?」


「時間だけでなく、世界の在り方そのものが曖昧で柔らかいものとして捉えることも出来るという。これは正に民属学に通じるものだ」


「先生、もうちょっとわかりやすく説明して下さい」


「寺田君が言うにはね、未来を視るということは、今と一番繋がりの強い未来に接触することなんじゃないか。今に一番影響を与えている未来に接触すること。つまり未来から伸ばされた幾つもの手の中で一番掴みやすい手を握る。第六感というか霊感のようなものがそれを感じ取ることではないかと」


「え、ちょっと、待ってください」犬八は腕を組んで天井を見上げた「手の例えはなんとなくわかりやすいですが、未来から伸ばされた幾つもの手、ですか? ということは未来は幾つもある、ということですか?」


「そうさ。分かれ道があったら、右に行く未来と左に行く未来、選択の数だけ未来は分岐していく」

「しかし、今と一番繋がりの強い未来とは」

「確率の問題だと寺田君は言っていたよ。水は高いところから低いところへ、そして最も流れやすい道筋を通って流れていく。何も考えずに生きていれば、一番流れやすい、一番確率の高い未来へ進んでいく。だけど強い意志を持って未来を目指せば、その流れは変わるというんだ。とてつもなく強い意志の流れがあれば、世界の未来すら変わっていく」


「でも、未来からも手が伸びてくるということは、未来からも影響があるということは、どういうことですか? 時間とは、過去から今、そして未来へと一方向へ流れていくものではないんですか?」


「そこが寺田君の説明の肝なんだがね。今も、未来も、過去すらも、全ては同時に存在しているというんだ」


 犬八は「ええ?」と目を丸くして草平の方へ体を乗り出した。

「なんだかわからなくなってきました」


「過去も今も未来も、常にお互いに影響し合って、重なり合って、目まぐるしく変化しているそうなんだ。あらゆる過去、あらゆる今、あらゆる未来、それら全てが同時進行している。それが『多元世界論』というそうだ。どうだい、なんだかわくわくしてくるだろう。僕はこれに民属学を当てはめることが出来るような気がしているんだ」

 ちょっと頭を冷やしてきます、と興奮気味の草平を残して犬八は台所へ向かった。

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