第19話  大好き

「ただいまー」

 夕方になって大学から戻った草平が玄関を開けると、なにやら賑やかな気配が家の中から届いてきた。こんなことは最近この家ではなかったことだ。いったいなにごとだろう、と訝りながら草履を脱いでいると、軽快な足音が近づいてきた。


「おじさん、見て見て! 可愛いでしょ?」


 声を張り上げ小走りに出てきたお菊は、嬉しそうにくるりと回ってみせた。玄関の薄暗い明かりでもわかる美しい光沢のある紺色のビロードのスカートに、真っ白なブラウス姿。今朝の粗末な着物や昨日見た派手な化粧に着物とはまるで別物だった。


「大層似合っているじゃないか」

 しかしこんな服、いったいどうしたのか。

「ワシが取り寄せたんだよ」

 草平の疑問に答えるように、奥から親友の熊友が大きな体を現した。

「そう、熊のおじさんが私にくれるって」


「草ちゃん、親戚の子供を預かってるんだって? 犬ころに聞いたぜ」

 親戚の子供? どうやら犬八が上手いこと誤魔化してくれたらしい。

「うん、そうなんだが、こんな服どこから」

「なぁに、ウチの会社が最近服飾の輸入を始めてな。丁度良さそうなのがあったからさ」

「けど、売り物なんだろ?」

「いいってことよ。こんなに子供がはしゃぐ姿、最近見てねぇからよ」

 熊友は豪快に笑った。


 草平は着替えて客間に行くと、犬八が皿や湯呑を片付けていた。

「先生、お帰りなさい。すみません、迎えに出れなくて」

「いいんだよ。しかし、なんだか忙しそうだね」

「ええ、熊友さんが、見た通り服と一緒にカステラをまた持ってきて下さって」

 お菊が美味しい美味しいって言うもんで、と犬八は笑った。


「おじさん! 明日街に出かけてもいい?」

 お菊が元気よく客間に這入ってきた。まるで家じゅうを走り回っているようだ。


「草ちゃん明日休みだろ? ワシが銀座に連れてってやるよ」

 強面の熊友もニコニコしている。


「銀座? ウソ、私初めて!」

「そうだなぁ、流行りの床屋で髪切ってもらえ」

 すごいすごいと跳ね回り、全身で喜びを表すお菊だった。


「草ちゃん、なんだか二人に子供が出来たみてぇだなぁ」


「えっ・・・熊さん」


 熊友の思わぬ言葉に、草平は俯いて顔を赤くした。


「すんません、お二人さん」そこへ犬八がむっつりとした顔で割って入った「男同士で子供が出来る訳ないでしょ」


「なんでい、犬ころは、いつも粋じゃねぇなぁ」

 そうやって睨みあう二人の手を、お菊が繋いだ。

「熊のおじさんも犬のお兄ちゃんも、だぁい好き!」


 次に草平に向って「そしておじさんも大好きだよ!」

 お菊は草平に抱き着いた。

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