第12話  件の娘

「ふう、疲れた」


 草平は呟きながら腕を回し、肩の凝りをほぐした。兄の静雄のことは好いているし、人として尊敬もしている。しかしどうも僕のことを気に掛け過ぎではないだろうか。特にお上に仕えるようになってからは、父親の如き様だった。草平はそれが兄の優しさ故だとわかっていたが、やや鬱陶しく感じていた。


「子供の頃のようにはいかないか」


 半分諦めの溜息をついた。

 十月も半ばに差し掛かり、上野公園の木々は色付き始めていた。日に日に秋の気配が濃くなる空気を深く吸い込み、ゆっくり散策でもしていくか、とぶらぶら歩き始めた。

 上野の東照宮を横目にやり、動物園をひやかし、博物館の前を通り、大きな広場に出ると、その一角になにやら人だかりが出来ていた。

 軍用品の払い下げのような地味な色の天幕が張られ、入り口では呼び込みの男が声を張り上げていた。

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世にも奇怪なくだんの娘が、あなたの将来を占うよ! さぁさぁ、五十銭でどうです女将さんに旦那方」

「件の娘・・・」

 草平は独り呟いた。件とは、牛から生まれるという頭が人で体が牛の妖怪の類いだ。人語を話し、天災や戦争や様々な予言を語るとされている。まさかこんなところに本物の件が居る訳がないとは思うが、ではいったいなにを持って件の娘を語るのか、少し興味もある。しかし五十銭も払う気にはなれない。そんなものに五十銭も使ったと書生の犬八に知れたら、叱られるに決まっている。

 それでもちょっとなにか見えないだろうか、と草平は天幕の裏の方に回ってみた。落ち葉を踏みながら林の中に潜み、天幕へ近づいた。暫くするとなにやら言い争うような声が聞こえてきて、その後に天幕の隙間から誰かが出てきた。

 朱や橙を基調とした派手な着物に化粧姿の、まるで花魁のように飾り立てられた少女だった。

 まさかあれが件の娘? まるっきり人間の娘じゃないか。思わず前のめりになった草平は、足元にあった枯れ枝を踏んでパキリと乾いた音をたててしまった。

「はっ」

 その音に気付いた少女は、草平と刹那に目を合わせた。

「おい、お菊がいないぞ!」

 にわかに天幕の内が騒がしくなり、壮士風の無頼な男が外に出てきて、立ち尽くす少女を見つけるなり、その細腕を掴んだ。

「こんなところに居やがった。どういうつもりでぃ」

「ちょっと外の空気を吸いたかっただけさ」

「誰かと話してたんじゃねえのかよ」

 男は草平のいる林の中へ目を凝らした。

「そんなんじゃないってば。私、中に戻るよ」

「本当か? また逃げ出そうとしたら承知しねえぞ」

 警戒しながら、男は少女の後に続いて天幕の中に消えていった。


 はぁぁ、危なかった。咄嗟に太い木の陰に隠れて助かった。

 草平は木の幹にもたれ、大きく安堵の息を吐いた。

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