予言娘
第11話 兄弟
界草平は堅苦しい心持で、席に座っていた。
ここは上野にある洋食のレストランで、本来なら草平ではなかなか入れない、議員や貴族などが出入りする立派なところだった。
袴姿に草履ではなく、洋装にしてくればよかった、と草平は悔いた。片や目の前に座っている兄は一分の隙も無い黒のスーツにネクタイ姿で、それを自然に着こなしていた。
「どうした、眉間に皺寄せて。遠慮せずになんでも注文すればいい」
草平の兄である界静雄は落ち着いた声で言った。
草平は場違いな感じに顔を赤く、恐縮しながら料理を選んだ。
「最近調子はどうだい」
静雄は葡萄酒を飲みながら、いつも通りの話を始めた。
体調はどうだ、仕事は順調か、なにか変わりはないか、などなど。静雄は草平と十も歳が離れていて、界家の長男だった。だから末っ子の草平をとても可愛がり、今では父親のような心持で接していた。それで数か月に一度は、忙しい身ではありながら暇を作って、こうして草平と食事などをと共にするようにしていた。
「もう三十になるんだろう? そろそろ見合いの話を受けたらどうだ?」
最近では会う度に見合いを勧めてくる。草平は毎回やんわりと断るのに苦労していた。
「独りでちゃんと生活できているのかい?」
「家のことは犬八がやってくれるから」
「ああ、あの強そうな書生かぁ」
書生の犬八のことを思い浮かべているのか、静雄は空中をぼんやりと見つめた後、草平を見つめてニヤリと思わせ振りに笑った。
「あんな厳つい奴のどこがいいんだか」
「え、いや、とても良い男ですよ。気が利くし、料理は美味いし」
草平はしどろもどろになりながら、勘が鋭い兄にこれ以上余計なことを勘ぐられる前に話題を変えようとした。
「そ、そういえば、兄さんは枢密院の顧問官になられたんですよね。おめでとうございます」
話題を変えられたことが不満だったのか、それとも出世の話に興味が無かったのか、静雄は額に垂れた前髪をかき上げ、つまらなそうに椅子に背をあずけた。
「まぁな。めでたくない訳ではないが、責任が重いな」
そこへ草平の注文したビーフカツレツが運ばれてきた。草平はそれなりに相応な手つきでナイフとフォークを使い、食べ始めた。
「あ、美味しいですね。カリッとしてて」
「そうか? 牛鍋の方がよかったか?」
「いえいえ、これはこれで美味しいですよ」
思っていたことが顔に出てしまっただろうか。草平は気恥ずかしくなった。
兄はいつもそうだ。昔からなんでも先回りして考えている。頭の回転が良いのだ。だから今、政府の中枢に食い込んでいる。
草平は意を決して、ずっと考えていたことを口にした。
「兄さん、ちょっと訊きたいことがあるんです」
静雄は葡萄酒を一口含んでから、どうした? と返した。
「実は夏の初め頃、警視庁の方と知り合ったんですが、なんだか聞き慣れない部署の方々でして」
先を促すように静雄は黙っていた。
「確か、客人対応係だったか・・・。そんな部署、ご存じですか?」
「マレビト? 随分ふざけた名前の部署だな。聞いたことがない」
「はぁ、そうですか」
その話はそれで終わってしまった。
会食はその後も和やかに続き、いつもの様子でお開きになった。
レストランの玄関での別れ際「どうだ、馬車で送っていくぞ」という静雄の申し出を、草平は丁重に断った。
「いえ、家は遠くないので、歩いて帰ります」
実際は、こんな立派な馬車で家に帰ったら目立ち過ぎてご近所の噂になってしまうからだった。
「そうか、ではまたな」
静雄は馬車に乗り込むと、ドアを閉め、馭者に出すように指示した。
「先生、お疲れ様です。どうでしたか、弟さんとのお食事は」
既に乗っていた若い端正な顔立ちの青年が訊いた。
柔らかな座席にもたれ、浮かない顔で静雄は言った。
「警視庁に遣いを出してくれないか」
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