十四幕

 ユリエル、ルリエル、ザハク殿はそれぞれ、叢林地帯の入り口に立った。

 うつ然と茂る一群れの樹木のひとしなみが、央の小石や草木がまばらの悪路を相ようしている。目に痛いくらいの蒼穹を沖する、ていていとした樹頭がここらに聳えている。


 青臭い生暖かな空気が風に漂い、余人をよせ付けぬ険悪とただならぬ静穏をはらんだ様相を前に、双子の神は思わずたじろいだ。

 ザハク殿は偉そうに腕を組み、短く鼻を鳴らした。


「トキはここを通ったのだな」


「うん、たぶん」「おっきな足跡があるし」


 見ると、一定の間隔に『真実の口』ほどの大きさの獣の足跡が続いている。また、いくつか人間の足型らしき跡もある。いずれもサイズが小さく、たくさんの童子が駆けて行ったような感じだ。


 ザハク殿はそれらの上に、自身の草履を重ねた。果断に踏み出す一歩一歩に、逡巡や辟易は露いささかも見られない。ひとえにトキをかの陋劣なる獣の元より奪還すべしという一点のみが、彼女を動かしていた。


 もちろん、童子達の人跡を多少いぶかりはしたのだが、ここに留まり推考することに何ら意味はないと断じ、なにやかやしているうちにトキの生命は刻々と脅かされている(大狼が彼を食べてしまうかもしれない!)のだから、それを踏まえての処置だった。しかし、叢林をつつがなく抜け切る自信がなかった。

 

「ザハクどん、危ないよお」「やめようよお」


 杳たる林道の不気味な薄暗さが、双子の進退をとどまらせる。

 彼女たちの言うごとく、現在のザハク殿は創神の力はおろか、神としての力さえまともに行使できない状態なので、軽佻な行動は慎むべきなのである。


 しかしザハク殿は半ば振り向くと、女丈夫のやる袂をまくり力瘤をつくるのを真似てみせ、こう言った。


「心配するな! さあ、行くぞ」

 

 その豪宕な物言いに、口惜しくも彼女の心許なさがひとしお感じられ、双子は揃って「心配するわ!」と間髪入れずに駁したのであった。


「今のザハクどん弱っちいんだもん」「転んで怪我でもしたらどうするの?」


「ええい、やかましいわ! ちょっと調子がすぐれぬだけじゃ、いずれ元に戻るであろう。ほれ、はよう着いて来ぬか」


「嫌だよお」「私たちだって、この先なにがあるのか知らないんだし」


 ザハク殿はふと、真顔になった。


「お前たち、今までなにをしておったのだ」


「なにって......」「引きこもってたよ」


 あるとき玄関の戸を開くと見知らぬ景色であったため、言わん方ない恐怖に伏した彼女たちは籠城を決意したと云う。


 かかる具合に外を歩き出るのは初めてである。衝動的に飛び出したザハク殿を、どうしてか捨て置くことが出来なかったのだ。いやしくも共に遊んだ仲だ、閑却するのはあまりに薄情であろう。


 ユリエルとルリエルは、ザハク殿に手招きをした。


「ねえ、戻ろうよ」「他の方法を考えようよ」


 ザハク殿は束の間悩む素振りを見せたが、そのうち林道の奥処へ向けて歩を進めた。

 双子はその後ろ影を唖然とした面持ちで眺めているうち、ザハク殿に引き返す積りがないと知れるや、覚束ない足取りで彼女を追いかけ始めた。



      $


 銀嶺は甘かった。

 けだし誰も手をつけていないであろう、一面に降り積もる新雪の一かくを指で菊し舐めてみると、ほのかな甘さが口いっぱいに広がった。

 私はこれが砂糖であることを確信した。

 

 おかしな世界だ。甘味を好むザハク殿らしい。

 してみると、あの空に漂う雲は綿菓子か。では、あの城はどうだ。よもやウエハースやチョコレートの類で出来ているわけではありますまいな......。


 乳白色の城は目と鼻の先にあった。コテコテの西洋風の造りだった。例えるなら、ノイシュヴァンシュタイン城みたいだ。首が痛くなるぐらい高い。窓がたくさんある。


 厳然とした錠の掛かった鉄扉を叩く。しかし、一向に返事がなかった。

 仕方がないので、不躾ながら勝手にお邪魔させていただくことにした。よしんば家主がいたとして、それはそれで結構だった。というのも、私が真に探し求めているのはザハク殿や荒木鴇ではないのだから。


 鉄扉を透化し、中へ入った。

 城の中は万あとう限りを払底したごとく簡素な内装だった。家具もなければ照明もない。大理石の床が敷かれたそこばく広い空間に、吹き抜けの天井には光彩陸離たるステンドグラスを陽光に透かしている。四方の壁一面に五階分はあろうかという木扉が整然と居ならび、そのひとつひとつが異なる色調を持っている。


 私は驚倒の念に打たれた。なんて不便な城なんだ! まるでくちばしの黄色い童子に「マンションを模写してごらん」と絵を描かせて、出来上がったそれが、童子特有の独創性あふるる味のある絵と同じようである。嘆息がこぼれる。これからおよそ五百扇はあろうかという木扉を、つぶさに検めなければならないのか。——いや、待てよ。なにも私が捜索の労をとる必要はないではないか! こんなときこそ、骸骨たちの出番だ。すわ出でよ。


 私は例によって、指先で宙を斜め下に斬る動作をした。すると、大理石の床のあちこちからポコポコと骸骨たちが湧いて出た。途端に賑々しくなった。追いかけっこや花札、トランプ、蹴鞠、和歌の詠み合い、果てはピコピコハンマーをかけた殴り合いが始まったので、私は例によって場を鎮めた。


「はい、ちょっとお願いがあります。このたくさんの扉の中を全部調べて、もし誰かが居たら私に知らせてください。怪しい物でも構いません。見つけた方には新しいおもちゃを買ってさしあげます」


 意気軒昂とした骸骨たちは、蜘蛛の子を散らすように四方へ広がっていった。扉を慎重に開ける者、乱暴に開ける者、ピコピコハンマーで叩いてみる者、下の隙間を覗き込む横着者、慇懃にノックをして返答を待つ者など、多種多様な手を尽くして某を探す。


 しばらくして、北側の四階にあたる右端から三番目の緑色の木扉に骸骨たちが群がりはじめた。


 何かを見つけたらしい。私はそこへひらり飛んで行った。密集している骸骨たちの垣をわけて進むと、正面に両袖開きの窓がある以外、さして述べるもののない実に素朴な部屋の奥に、およそ四尺二寸ほどの大きな箱があった。綺麗な四角形である。ご丁寧にクリスマス仕様の素敵なラッピングが施されてある。幾許の骸骨たちがピコピコハンマーで叩くと、その度に箱は不自然に震えた。


「ちょっとごめんね」


 私は骸骨たちに断りを入れてから、包装を剥き、万感の想いを胸に筐底を覗き込んだ。

 窓から射したる柔い陽光が、密かな闇に潜む者の正体を暴いた。

 

「いや! 来ないで! こっち来ないで!」


 聞き覚えのある甘い声音。白色の髪色をした純白の着物を召した女性が、必死の態で私を拒絶する。ゴロゴロと激しく悶えて箱が倒れそうなので、私は箱の四方を抑えるよう骸骨たちに命じた。


「落ち着いて! 私よ! カラクラよ!」


 私が三十回くらい名乗ると、ようようそれはピタリと動きを止めた。顔を覆っている両手の指の間隔を徐々に開いてゆく。涙に潤んだ丸い赤い瞳が現れ、長い睫毛を鷹揚にはばたかせている。

 火神のミーネである。


「カラクラ......? え、なんで? どうして?」


「ミーネこそ。なにゆえ箱の中にいるのかしらん」


「わかんない。あの後しばらくして、私とチカもこっそり下級神の村に行ったんだけど、着いた途端になんだか急に眠たくなっちゃって」


 ミーネは恥ずかしそうに左頬を掻いた。


「それでね、起きたら周りが狭くて真っ暗だったし、外からたくさんの誰かが乱暴に叩くから怖くなっちゃったの」


「ごめんなさいね、まさかミーネが居るとは思わなくて......」


 私は彼女が錯乱の末に、炎を盲滅法吐き捲ることを案じていたので、幸いにも大事にならず本当によかったと心底安堵したのだった。しかし、いったい誰がミーネを箱に閉じ込めたのだろう、また、誰がミーネをここまで運んできたのだろう。というか、誰だラッピングをかけたのは。


 ミーネの手を取り、彼女を筐体から助ける一臂の力を借した。

 私はやや乱れた彼女の髪を正してやると、彼女の記憶を訊ねた。


「ねえ、ミーネ。じゃあ、村の様子を見たのね?」


 ミーネは頷く。


「うん、見たよ。何もなかったわ」


「ヴォルトラには会った?」


 今度は首を横に振った。


「ううん、会ってない。着いたら誰もいなかったし。だからね、もう帰っちゃったのかなあって思ったの。チカと一緒に引き返そうとしたら意識が朦朧として、だんだん体に力が入らなくなって、そのまま......」


 ミーネは言葉尻を窄めるように言った。こころもち目を伏せ、人差し指の先っぽ同士をくっつけたり、離したりをくりかえしている。チカのことが気掛かりに相違ない。ミーネとチカは本当の姉妹のように仲が良く、常に一緒に行動しているため、いざ互いの所在がわからなくなると、不安で仕方がないのだ。

 

 私はミーネの手を引き、部屋を出た。指をパチンと鳴らすと、骸骨たちは一斉に黒い泥濘の底に身を沈めた。

 屋敷の鉄扉をすり抜け、私たちは白砂糖の毛氈の上に立って向かい合った。


「チカは必ずこの世界のどこかにいると思うの。探すのは大変かもしれないけれど、必ず見つけてあげるから。ね? だから、そんな悲しい顔はしないで」


 私はことさら慈しむ調子で言った。私もチカが心配だったし、ミーネの寂しそうな顔を見るのが居た堪れなくなったのである。可哀想に。泣きそうではないか。


 よし。

 早く助けよう。チカも彼女みたいに梱包されている可能性がある。けだし犯人は私をこの世界に転移させた神と同一であろう。あの刹那に見た布地。馴染みの深い色。幾度となく目にした、着物の袖の振れる影像......


 着物の着用が許されているのは、上級以上の神のみである。そして、上級以上の神は我ら七天神とザハク殿以外天上界にはおらず、着物の染め色はひとつとして同じ色はない。

 私はミーネの頭を優しく撫でながら、その白髪にジエンダの面差しを思い浮かべた。

 

 

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