輪廻転生オブジェクション!
おめでとうございます!
生前の御希望通り、貴方様の生まれ変わる国は、
日本以外の国になります! ランダムで!
(尻鳥雅晶「日めくり尻鳥」「平成30年1月22日(月)」より引用)
先日、私の勤める会社が関わった、とある仕事が終わりました。
小学校の設備を改造する工事の仕事です。
今の小学校の中を歩き回ると、生徒たちが作ったポスターが目に付きます。
「いじめ防止のポスター」です。
その内容は「君はひとりじゃない」とか「いじめカッコ悪い」とか、いかにも今風な優等生タイプのものぱかりです。そんな優しい文言で本当に効果があるなら、そもそもポスターなどいらないのではと思います。
もちろん努力のポーズは大人の
この
愚考するに、本当に抑止力のある文言にするなら、「いじめられたら警察に言おう」とするべきだと思います。いや、実際にそう書いた子どもも、きっといたに違いありません。
きっと先生にボツにされちゃっただろうけど!
私も先生だったらそうするかも知れないしw
ところで私は、いじめられていました。
文章として公言するのは初めてですが、小・中学校のときの話です。
辛く悲しい経験でしたが、いじめられていたのは、私に原因があったからだ、と今は思っています。頭でっかちのデブであった私は周囲と馴染めず、空気を読まず、他人との距離感を掴むことができない、とても異質な子どもだったからです。
今もそれほど変わってな~い。
※ご注意 これは「分析」であって「反省」ではありません。「原因」であって「責任」ではありません。いじめは、どんな場合であっても、いじめるほうが100パーセント悪いのです。もちろん、いじめ加害者様のご意見は違いますよ!「イジリ」とかのセンスのない言い換えも含めて。
※ご注意 私が彼らを結局「許した」のか「許さない」のか、という結論については書きません。その理由は、もし貴方が「いじめられていた」場合、私の結論が貴方の結論と違う場合は、貴方に不快感を与える恐れがあるからです。
「いじめられていない」人については、どう考えるのもご自由にどうぞ。
さて。
「あの世」の、わくわくイベントとして外すことのできないものに、「輪廻転生(または転生輪廻)」があります。
「あの世サポーター」によってその解釈は様々ですが、一般的な日本人の感性からすると、「死んだ人間が人間もしくは別の何かに生まれ変わること。生前の行いが生まれ変わる先に影響する」という定義であろうかと思います。
しかし。
私はこの「輪廻転生」ってヤツを、とても受け入れがたく思っています。
論理的に、そして私がいじめにあった経験も含めて心情的に、とにかく納得できないのです。
※ご注意 わざわざフィクションに突っ込んでどうする、というご意見もあろうかと思いますが、これはそういうテキストですから。小説の批評みたいなモノです。
その理由は、4個あります。
ひとつめの理由、それは。
「転生先が現世ではない場合、コストがかかりすぎるために善なるシステムとして破綻している」
から、です。
そもそも「輪廻転生」とは、古典的宗教観によって主張された(要
「輪廻転生システム」は世界中の古典的宗教観にありますが、古代インドを源流とする「六道」システム(要ググ)が日本人にはよく知られています。
ここに登場する「転生先の別世界」を例にとって、自説を展開したいと思います。
地獄界……いわゆる地獄
餓鬼界……永遠の飢えの世界
畜生界……弱肉強食の世界
修羅界……永遠の争いの世界
人間界……いわゆる人間の世界
天上界……いわゆる天国
まあ、このうち、畜生界、修羅界、人間界については、考えようによっては、現に単独で成り立っている現実世界の中に含まれなくも無いとは思います。
種別差・地域差・格差のパーティションで分けられた世界ですね!
残りの半数、そう、半数もの別世界が、私には単独の世界として成り立つようには思えないのです。ふわっとした設定すぎるように感じるのです。
カクヨムにもあふれる異世界ファンタジーの方が、まだ納得できるほど!
古典的宗教観において、私が思う最大の問題は「コストがかかりすぎる」ということに尽きます。地獄も天国も「コスト」つまり設備費と維持費と人件費が、破綻するほどかさむ世界にしか思えないのです。
※ご注意 人件費とは、現場スタッフに必要な経費です。幾つかの宗教観において、天国では男性ひとりに対して複数の美女スタッフがご奉仕する、といった描写があります。その美女スタッフにとってそこは天国ではありません。無給はヒドいよ!
もちろん、現代的感覚において、これはとてもナンセンスな突っ込みです。
そこで必要とされる施設やアイテムは半ば
貴方もそう解釈しているひとりかも知れません。
しかし、私がいま問題にしているのは、これらの実在を最初に主張した、古典的宗教観に基づく地獄と天国なのです。
その観点においては、すべてが正真正銘、本物であることが求めらました。
「地獄では硫黄が燃えている(聖書より)」のなら、「硫黄が燃えるような熱さ」ではなく、本当に「硫黄が燃えて」いなければなりません。
黄金の建物は金メッキではなく、純金でなければなりません。
松茸風味のお吸い物、ではなくて、国産松茸のお吸い物、でなければなりません。
では、それはどの程度のコストになるのでしょうか?
※ご注意 以下のコスト計算には、転生した人をそれぞれの世界で不死にする不思議パワーと、無限の広さを持つ土地使用料については、考慮しないものとします。その代わりと言っては何ですが、できるだけコストが少なめになるよう計算したいと思います。
まず、地獄。
六道システムにおいては、ほとんどの人が人間界と天上界以外の場所に転生(要ググ)する、とされているので、それ以外の世界に堕ちる人を全体の9割、地獄に堕ちる人をその4分の1と仮定(
前回(前々回)の拙エッセイでも提示したデータを流用すると、現在の地獄利用者は、全死亡人類1080億人のうち、最低でも約240億人と考えられます。
では、その240億人の為にどのくらいの費用が必要でしょうか?
血の池とか針の山とかのアトラクションが、テーマパークのそれと同じくらいの費用がかかるとして(無限の耐久性を考えると、ホントはその程度じゃ済みませんが)、試算してみましょう。
とある有名テーマパークでは、14時間の開園時間で入場者3万人、2時間行列で待って15分利用なので、換算すると1日24時間の処理能力は約6500人。
そして建設費用が「地」と「海」合わせて約5000億円、売り上げから営業利益を引いた経費は年間3300億円です。
240億人を24時間絶え間なく処理する地獄ランドがいくつ必要かは、240億人を6500人で割ると算出でき、その数は、約370万か所です。
総建設費は、370万に5000億を掛けると答えが出ます。
年間経費は、370万に3300億を掛けると答えが出ます。
その建設費用、約185京円以上!
その年間経費、約122京円以上!
次、いってみましょう。
餓鬼界にも同数の約240億人が堕とされているワケですが、こちらは地獄ほどはコストがかからないと思います。ちょっと試算してみましょう。
餓鬼界に堕ちた人は、あらゆる欲望(食欲だけ、という考えもあります)に対して飢えを感じ、決して満たされないとされています。この世界も考えようによっては、現実世界の一部と考えることもできますが、現在の人類はたった70億人なので、やはり別世界と考えなければ筋が通りません。
いつでも飢えを感じる、というのは、普通の精神状態ではありません。現実においてこの状態は、洗脳されていたり、ある種の薬物の影響下にあると考えられます。
薬物は継続的に使用する必要があるので、より安価な洗脳で考えます。洗脳の費用はわかりませんが、似たようなものとして(笑)、1万円ぐらいのお高めのカウンセリング(
240億掛ける1万円なので、合計240兆円。
おっと、基本料金を忘れてはいけませんね。
「飢え」を感じるためには、逆に周りが客観的には満ち足りている必要があります。
周囲が豊かで、それが決して手に入らないからこそ、初めて人は「飢え」を感じるものだからです。
最初から何もなかったら、そういうもんだと思っちゃいますよね?
まあ、辛いことは辛いでしょうけど。
では、罪人どもに見せびらかすためだけのオプション世界を用意したとします。この世界を現実世界と同程度(
地球の1個の価値はわかりませんが、人類の総資産程度(
その約3.4倍の設備費が基本料金として必要になるので、合計は。
その費用、約11京2440兆円!
でも安心してください。維持費はともかく、人件費は初期費用を除いて基本料金に含まれています!
地獄と比べるとお安く感じますね!
ここで私、ひとつアイデアが浮かびました!
後述の天国の景色やら現実世界の良いところ「だけ」を餓鬼界では自由に見られるようにすれば、「見せびらかし用のオプション世界」は必要ありません。たった240兆円ぽっちプラス諸経費で実現できます。開発担当者だったら表彰モノのアイデアですよ!
そして、天国においては。
現在の全人類の総資産約3京3000兆円のうち、わずか上位8人の超大富豪が、その資産の半分を所有しているというデータがあるそうです。彼らがその資産のすべてを贅沢な生活に使っているとは思いませんが、巨額の資産を動かしているという満足感はあるはずです。
もし本物の天国の満足感が、彼ら超大富豪以下だったとしたら、ショボすぎますよね?
彼らに「俺は天国の住人より豊かだ(事実)」なんて言わせていいのならともかく。
満足感はプライスレス?
またまたご冗談を。それは現代的概念ですよ?
天国に行ける人が、仮に1000万人に1人(
そして、彼らのひとりひとりに、最低でも約3京3000兆円の半分のさらに8分の1の費用以上のお金をかける必要があるので、天国を成り立たせる費用は、総額で……
なんと約2227京5000兆円以上!
天国の沙汰もカネ次第、です。
でも安心してください。人件費はともかく、維持費は込みです!
今回の試算は古代インドを源流とする宗教観に基づきましたが、古代西欧における宗教観に基づいても、莫大なコストを必要とすることは、容易に想像できますよね。
また、古典的概念を現代的経済にて試算するのは若干ナンセンスではありますが、それは昔の「貴人の権威の高さ」と「庶民の命の安さ」の差額(それが善であるかはともかくとして)によって、ほぼ相殺できると考えています。
ここで、賢明なる貴方なら、ひとつ疑問を持たれるかと思います。
「なるほど、古典的な天国やら地獄やらに莫大なコストがかかることは判った。
でもそれが、なぜいけないのか?
罪人を罰し、善人を労わるために、いくらかけてもいいじゃないか」、と。
貧すりゃ鈍する、衣食足りて礼節を知る、と昔の人は言いました。
現在でも、貧困と犯罪に相関性があることは、よく知られています。
また、国際NGO「オックスファム」は、こう主張しています。
超大富豪への税金優遇を止め、彼らにわずか0.5パーセント多く税金を払わせるならば、2億6200万人の貧しい子どもに教育を授け、330万人の命を救う保健医療を提供して、なお余るだろう。
そして。
この節の締めとして、当テキストの小説パートから、悪魔メフィスト氏の言葉を引用したいと思います。
彼の言葉に含まれる考察が、古典的宗教観による転生を「善なるシステムとして破綻している」と私が考える基礎となっています。
「こういう、いわゆる古典的地獄しかなかった頃は、
悪魔は悪魔の微笑みを浮かべて、楽しそうに言った。
「実にわたくし好みですねえ!」
さて、ふたつめの理由、それは。
「幸福かつ悪人に見える人が、前世で善人だったから恵まれたのか、という
からです。
我ながら実に庶民的ですねぇ!
※ご注意 前述の、「六道」転生システムでは、人間の世界すなわち人間界に転生する場合もありますが、人間界の中での境遇の格差を生むルールについては、まったく言及されていません。では、日本人では常識である(笑)このルールは、いつ、誰が付け足したのでしょうか?
本当に「生前の行いが生まれ変わる先に影響する」としたら、逆に考えることができます。
「現世で恵まれて、そして守られているのは、前世で善人であったからだ」という考えです。
例として、とあるご老公のことを考えてみてください。
そう、東京は池袋にて何の罪もない母子を死なせた暴走事故、それを引き起こした、上級国民とも呼ばれるあのご老公のことですよ。
彼のウィキペディアを見てみると、そりゃあもう華々しい経歴がズラリと並んでいて、いかに優れた業績を積み上げた人であるのか、嫌というほど判るようになっています。
※ご注意 私感ですが、この状況は警察を含めた周囲が
おや、セレブでない貴方は、ご老公どころか超大富豪の方々もご存知ない?
彼らだけではありませんよ。
富豪が、選良が、文化人が、タレントが、素晴らしく恵まれた彼らが色々としでかしているように見えるのに、お仲間やらシステムやらに守られて、のうのうと生きていられるように見える姿を、貴方は一度も見たことがありませんか?
確かに、世間に後ろ指は差されるかも知れません。しかし、それに耐えるパワーにも彼らは恵まれているように見えませんか?
スゴイですね~
小心者の私なら、もっともっと申し訳なさそうな態度をせずにはいられませんよ~
輪廻転生システムが本当にあるとしたら、彼らが恵まれた、そして守られた人生を送ることができるのは、彼らが前世で善人であったから、ということになります。
※ご注意 もしくは善行を積んだ大腸菌だったのかも知れませんね!
そりゃあ、彼らは来世でロクでもない目に会うのかも知れません。でも、その来世の姿を、私は、そして貴方は、決して生きて見ることはできないのです。私や貴方が現世で見ることができるのは、恵まれて、守られているように見える彼らの姿だけなのです。そして、たとえ現世において今後彼らが不幸になったとしても、それまでの人生は圧倒的に幸福だったのです。
ご老公は、前世で善人だったのでしょうか?
ご老公に轢かれた母子は、前世で悪人だったのでしょうか?
貴方を
それが「善なるシステム」なのでしょうか?
さて、みっつめの理由。
それは、輪廻転生の考え方が、「現実の世界を差別するヘイトスピーチであるから、善なるシステムとして破綻している」だからです。
これは、ふたつめの理由から派生する考え方です。
本当に「生前の行いが生まれ変わる先に影響する」としたら、「悪い行いをすると、悪い世界に生まれ変わる」と、考えることができます。
悪い世界、って、どこなんでしょうか?
貧しい家庭でしょうか?
いじめのある荒れた学校でしょうか?
発展途上国や、テロが頻発する国でしょうか?
てもそこは、不幸になると決まっているように見えるだけですよね?
実際にそこに住んでいるものにとっては、「悪い場所」と決めつけられたら、たまらないとは思いませんか?
※ご注意 もちろん古典的宗教観においては、その「悪い場所」とは、「悪い場所として公式に決めつけられた場所」です。
反論はあるかと思います。
誰もが、そこに住む者ですら、その場所のことを「悪い場所と決めつけている」としたら、自他共に認めるなら、別にそう扱ってもかまわないのでは、と言う方もいらっしゃるかと思います。
「いじめは地獄に感じた」と言う人に、「ひどい学校にいたねえ」と、同情して同意する人がいるように。
例をあげましょう。
お隣の国では、色々と困った状態にある自国のことを自嘲して「
そして日本においても、お隣の国を悪しざまに言う人や、または距離を置くべきと言うが、少なくないと言えるでしょう。私自身も、実際に住んでみれば日本より住みやすい国なのかもしれませんが、移民でもない正式な自国民がそんな自己評価をする国には住みたくはありません。
だからと言って、輪廻転生システムが本当にあり、生まれ変わり先が現世だとしたら、悪いことをするとお隣の国に生まれ変わる、と言っていいのでしょうか?
お隣の国の人たちはすべて、前世で悪人だったからその国に生まれた、と言っていいのでしょうか?
お隣の国の人たちにそう聞いてみたら、同意してもらえるでしょうか?
同じことは、他の場所でも言えるでしょう。自分のいる場所をいくら自嘲したとしても、関係ない他人が「悪い場所と決めつけている」なら、やはり怒ってしまうと思います。なぜなら、そこには不幸しかない、と決まってはいないからです。客観的にどれほど劣悪な環境だったとしても、そこから幸福をつかむ人はいくらでも実在するし、少なくとも希望はあるからです。
私も、そうでしたから。
では、動物の世界、かつては畜生界と呼ばれた世界ならどうでしょうか。
※ご注意 ここで私が言う「動物」とは、虫や植物や細菌も含めた「地球上における人間以外の生物」を意味します。
動物に生まれて可哀そう、と言っちゃう人は実在するし、私も動物に転生したくはありません。
オタクコンテンツが楽しめないしね!
そして、動物が不幸を感じるかどうかは転生してみないと判りません。でも、ひとつだけ、転生しなくても判っていることがあります。
悪い場所に生まれたことを嘆く人間はいても、動物に生まれたことを嘆く動物はいないのです。
動物はその命を懸命にただ生きているだけです。それを罰だと感じてしまうのは、人間の思い上がりに過ぎない、と私は思います。
さらに、逆に考えて、哀れな動物どもは人間に生まれ変わりたいだろう、などと勝手に思うのは、なおさら思い上がりもはなはだしいと感じます。
以上のように、「悪い場所と決めつけていい場所」など、現代の現世にはひとつもないと思います。だからこそ私にとって「現世に輪廻転生するシステムはヘイトスピーチ」に他ならないのです。
もちろん個人的には、軽いヘイトスピーチなど日常的に交わしておりますよ?
でも私は、「善なるシステム」の話をしているのですから。
※ご注意 「みっつめの理由」で「悪人のように見える」ことを「肯定」しているのに、「よっつめの理由」で「悪い場所と決めつける」ことを「否定」する、というのはダブルスタンダードだと誤読してしまう人がいるかも知れません。しかし、「特定の個人」と「場所」は違います。
前者は「非難の肯定」であり、後者は「差別の否定」です。
さて、よっつめ、最後の理由。
「勧誘と恫喝とマウンティングの道具として今も使われている」
からです。
実は、私はこの内容について、語ることができません。なぜなら、このテキストの5話め(エッセイの3話め)において、以下のように書いたからです。
>私はこのエッセイにおいて「宗教」そのものについて言及することはありません。「宗教観」もしくは「宗教家」についてのみ語り、そう記述しています。
あ、でも、だから語ることはできない、って言っちゃったら、逆に宗教あたりのことだって判っちゃうか~
まあいいや。固有名詞は挙げてないし、「天国」とか「地獄」のような判りやすい言葉でなくて、光アセンションとか悪グラビトロンとかアニメみたいにカッコいい
※ご注意 「〇〇のことかーっ!」とか書き込んで怒ったりしないでくださいね。せっかく私が隠してあげたのにバレてしまいますよ!
私が「輪廻転生」を認めたくない4つの理由は、以上です。
なお、再三繰り返しますが、もちろんこれは「輪廻転生が善なるシステムである」場合においてのみ、成立する
人間どもが苦しむ姿を誰かがゲラゲラ笑いながら見物するためだけにこのシステムがある、というのなら、私には何の文句もありません。
少なくとも矛盾がないからです。
しかし、もし……「輪廻転生は善なるシステムである」と誰かが主張するのなら、私は「輪廻転生」について、こう結論付けざるを得ないのです。
それは、加害者様のご意見です、と。
とはいうものの、私は「転生」そのものについては、否定的な立場ではありません。ランダムかつ同じ人間種族に転生するのなら、まったくアリだと思っています。
なお、人間以外の生物に転生するシステムについては、私はナシだと思っています。科学的に見ても「人間原理という概念」(要ググ)があり、いい意味でも悪い意味でも、人間は特別な存在だと思えるからです。
悪い場所に生まれたことを嘆くのも、人間だけですからね!
しかし、私はナシだと思う最大の理由は、数が合わない、からです。
地球上における人間以外の生物の量はその1万倍もあると言われています。これは重さであって命の数ではありません。「量」しか判らない理由は、命の総数は誰にも計算することができないほどの数だからです。
これらの生物がすべて転生するとしたら、「転生」という伝説や概念自体が決して生まれないほど、人間から人間への転生がありえないほど稀な確率になるでしょう。
それじゃ、つまらないじゃないですか!
さて、次回(次々回)のエッセイは。
今回、いわゆる「古典的な天国」について考えてみましたが、これをもう少し突っ込んで、現代的な天国について語りたいと思います。
それではまた、お会いしましょう。
会うべき時、会うべき場所で。
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