アバターもエクボ

  「 (省略) 」

   

 (永井豪「真夜中の戦士ミッドナイトソルジャー(短編)」最後の台詞より引用……と思いねえ)



 貴方は、ゲームの開発者になったことがありますか?


 PCとかアプリとかコンシューマとか、RPGとかファンタジーとかエロゲとか、プログラムとかCGとかシナリオとか、何かに関わったことはありますか?

 わずかに満たされる渇望と、いくら高額でも時給には換算したくない報酬を求め、おのれの未熟さと心無いユーザーに、わざわざ打ちのめされるために関わったことはありますか?


 私はあります。


 平成8年ごろから約10年間、フリーのゲームシナリオライターとして、PCを始め、せがた、初P、ドリキ、白鳥、ガラケー等。

 企画だけのものを除いて10数本。

 あくまで副業の枠でしたが、人様ひとさまからお金を頂くシナリオを書いてまいりました。星は少なくても、それなりに楽しい思い出がありました。

 優しい人たちとのコネとわずかな才能に恵まれながら、それ以上続けることができなかったのは、まことに私の不徳と致す所であります。


 もし、またお金のもらえるゲームシナリオを書くチャンスがあったら……


 絶対やらないです。


 だって仕事でお話を書くってすごいシンドイもん。

「小説家になろう」という、カクヨムのような(笑)フリー小説投稿サイトがありますが、そこに投稿する皆さんは、そのサイト名のごとくモノ書き商売を目指してらっしゃるのでしょうか。だとしたらホントにお疲れ様です。


 夢を追いかける~なら、体調と通帳は管理しなくちゃダメ~さ~


 さて、私はこのテキストのために、「あの世」についてどのようなことが語られているか調べるために、趣味がてらネットを徘徊しました。発見したネタのほとんどは、私にとっては興味はあっても無意味なのですが、どこかの誰かにとっては有意義であろうかと思います。


 そんなネタの中で、今回取り上げたいと思ったのは……


「人類アバター説」です。


 ※ご注意 アバターはどこかの言葉で「化身」という意味であり、ここではネット上でユーザーが操作するキャラクターのことを指します。また、同じような世界観であっても「説」の名前は定まっていないようなので、このテキストでは「人類アバター説」と呼称します。


 人類アバター説!


 人間は、低次元にある肉体アバターと、それを導く、高次元にいる真の自分ユーザーから成り立っている。アバターはユーザーが操作する「うつわ」に過ぎない。マイナスの感情は、アバターの不調もしくは他ユーザーの悪意ある干渉によるものである。ユーザーの目的は、低次元における経験という、進化のための修行あるいは娯楽である。


 ほえー、なるほど。


 人によって唱える説の用語や多少の概念の違いはあるようですが、それでもかなり、いやほとんど、ゲームみたいな世界観です。「この世ゲーム説」など、そのものズバリの名称もあるようです。


 このゲームを誰が運営しているかはともかく!


 これは、スピリチュアル系の「あの世サポーターズ」の間で、現在かなりメジャーな考え方のひとつのようです。私的には、ユーザー=ゴーストとするなら前述の「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」と、「消えたクオリアの謎」の解明に期待ができます!


 ここからは想像と論理的帰結になってしまいますが、「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」つまり障害者アバターがゴースト・スキルを使用できない理由は、以下のように考えられます。


 障害者に限らず、アバターにスキルが使えない理由は、ゴースト・スキルはユーザーの能力であり、単にアバターが肉体的にそのスキルを持っていないから、でしょう。

 そして障害者とは、マイナスな感情と同じく、アバターだけが不調を起こしている状態だと言えます。


 また、アバターの生存中にユーザーがゴースト・スキルを使えないのは、修行や魂の進化がユーザーの目的であるから、厳しい試練を自らに課すために、ゲームの縛りプレイのごとく、スキルをあえて封印する、スキルの存在をあえて自分から忘れる、という理由が考えられます。


 あるいは、アバターの生存中は、ユーザーは低次元に没入しているので、寝食を忘れてゲームに熱中するごとく、スキルが使えることをウッカリ忘れている(笑)、のかも知れません。


 さらに、「幽体離脱」や「臨死体験」は、バグもしくは、ユーザーが「うっかりログアウトした」状態であると考えられるでしょう。ゴースト・スキルがゲットできない人は、マニュアルを読まないでプレイしているのかも知れませんね!

 もしかして改造アプリを使ったチートずるだったりして。


「消えたクオリアの謎」についても、こう考えることができます。


 高次元にいるユーザーは、ゴースト・スキルとは関係なく、「ゲームや小説や映画を見た」ようにただ情報として、アバターの「痛み」や「人生の経験」を取得する。

「ゲームや小説や映画を見た」ユーザー《じぶん》が、感動などによって成長したとしても、自分自身に変わりはない、と考えられるのです。


 一方、アバターは、RPGゲームキャラクターのように肉体や精神力がレベルアップすることはあっても、自意識そのものが成長することなどありえません。


 つまり、「傷つき、痛むことによって形成される肉体的な自意識じぶん」など、単なる錯覚であって、このシステムには実装されていない、ということですね!


 ああ、だからこそ、本当の痛みなきゆえに、人は他人の経験からは学ぶことが少ないのかも……


 ……こりゃ、「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」も、「消えたクオリアの謎」も、ついに解けたっしょ?


 ……いや、ちょっと待ってください。


 まず、人類アバター説は、きわめて重要な相違点を無視しているのではないか、と感じられます。あくまで、ゲーム開発者であった私にとって、そして、辛くても自身の成長(ゲーム開発に限ったことだけど)を求めた私にとって、ですが。


 そう、経験者は語る!(笑)


 この説は、ゲームや修行の「類似」に基づいていることは明白です。

 しかし私には、私が感じている相違点ゆえに「月とスッポン」や「人間と猿」のように、ある一面から見たときのみ似ているだけの「恐ろしいほど別の何か」でしかないように見えます。


 その相違点、とは、「この世」というゲームまたは修行を、「自分から簡単に辞める方法」がないことです。


 それは「自殺」とは明確に違う、と私は思います。

 少なくとも「現実の自殺」は簡単ではありません。肉体的苦痛のない方法は探せばありますが(探さなければありませんが)、葛藤も含めた精神的苦痛のない状況はほとんどありません。


 そして「自分から簡単に辞める方法」があることが、「ゲームをさせる」側、「修行をする」側にとって、すべての「出発点はじまり」ではないでしょうか?


 ゲーム開発者は、「辞めようと思えば簡単に辞めることができる」からこそ、ユーザーのプレイを辞めさせないようにすることが、とても大きな目的になります。

 修行をする側は、「辞めようと思えば簡単に辞めることができる」からこそ、辛い修行をあえて自分から続ける意味が生まれる、と私は思います。


 ※ご注意 私自身の経験から得た信念が、貴方が自身の経験から得た信念と違っていたとしても、そこに貴賎の差だけはありません。私は貴方の経験に基づく信念を尊重します。伝聞で得たことはそれなりの扱いだけどね!


 とはいえ……


「自分から簡単に辞める方法」は、このクソったれな現実(失礼)においては存在しません。しかし同時に、「自分から簡単に辞める方法」がない「ゲーム」や「修行」は存在します。

 でも、それは本当に「ゲーム」ですか? 本当に「修行」ですか?


 誰かの思惑によって作られた、そしてゲームや修行のふりをした、

「恐ろしいほど別のナニカ」ではありませんか?


 また、脳医学の面において、人類アバター説には疑問が多すぎます。


 現在、感情や思考などの脳の活動は医学的にある程度解明されていて、脳はその人の精神活動の主体であるという前提のもとに医療が行われています。

 もちろん、医学に限界はあります。しかし。


 脳は「精神活動の主体」である、という認識。

 対して、脳は「うつわ」の一部にすぎない、という認識。


 という、医療に取り組む「こころざし」たる大前提がそもそもまったく違うのに、脳の治療という成果が現実にあがっているのは不自然だと思います。もちろん、すべての患者を治せるのではありませんが。


 もし食べているケーキが甘かったら、パティシエはたぶん塩と砂糖を間違えていないはずですよね!


 もちろん、その成果については逆の考え方もできます。


医者ドクターがすべての患者を治せないのは、肉体がうつわという認識がないからだ」という、日々努力を続ける医療関係者を激怒させるような「失礼な考え」のことです。


 私にはこんな考え方はできません。


 しかし、博士ドクターとは限らなくても医療関係者なら、頻繁に見るであろう臨死体験から「あの世」の実在を信じるにいたった人も確実にいるでしょう。そのようなかたなら上記のような「失礼な考え」ができるのでしょうか?


 自分の仕事をおとしめる発想ができるのでしょうか?


 さらに、これは感情論に過ぎませんが、アバターである私が、特にマイナスな感情を持っているときの「私」が、ゲームキャラクターに過ぎないと思うと、なんかちょっと、いえ、とても嫌な感じがします。


 高次元だとか修行だとか言っちゃって清潔な高次元でなんか偉そうにしてる「ユーザー」よりも、汚れ仕事で傷ついている「アバター」のほうが、「本当の私」、そして、はるかに「尊い私」のように思えるからです。


 そして、人類アバター説が真実だとしたら、高次元の「私」はこう思うでしょう。

 目黒行ってホルマリンに浸かってるほうがマシだ、と。


 さて。


 人類アバター説というメジャーな考えに、さんざんな反論リスペクト?をしてきたワケですが、実は私は……


 この説に触発されて、なんと新しい説を思いついたのです。

「障害者と幽体ゴーストのパラドックス」と「消えたクオリアの謎」を解明できるかも知れない自説を!

 まあ、ひょっとしたら誰かがすでに語っていて、それを見つけることができていないだけ、なのかもしれませんが。


 さて、その自説とは……


 次回(次々回)のエッセイにて語ることとします。なお参考として、拙作「自分というモノ」を事前にご一読していただければ幸いです。


 それではまた、お会いしましょう。

 会うべき時、会うべき場所で。







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