障害者と幽体のパラドックスへの応援コメント
悪魔の存在証明が如く。
誰しもゴーストを知覚しているが、誰しも自分がゴーストを知覚している事を知覚していない。
という可能性もあるのかな、と。
これなら矛盾は起こりませんが、何しろ証明が出来ない事に何ら変わりはないという。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
おお、これは実に素晴らしい発想です。
映画「マトリクス」には、「この世はVRだと心から信じたとき、すべてが可能になる。でも、ほとんどの人はそれができない」とされていました。
その考えと同様ですね!
でも障害者にそれ……実は信じれば絶対正常になれるんだよ、なんて言えませんねえ。たとえそれが真実でも。
「シリトリの宝クジ」を買う勿れへの応援コメント
皆が在ると言えば在る。
皆が無いと言えば無い。
世の中の大抵の物はそれが大前提となっていますが、この場合の『皆』とは世界人類全員のことを指すのか、その場に居る人々を指すのかにもよって意味合いも違ってきますからね。
私はまあ後者派なので、その場ではそうしておこうという軽い気持ちで不思議な事でもそのまま受け入れるスタンスです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
このトシになってしみじみ思うのは、「気のせい」というのは結構あなどれないものだなあ、とい気付きですね。
編集済
グランマは恥ずかしがりや?への応援コメント
お茶目ですね~。
身体は弱っても魂は元気なままだったということでしょうか。
私の一族も代々亡くなる直前に虫の知らせを遺していくので身近な話題というか、ちょっとほっこりしてしまいました。
気になる企画だったのでお宅拝見させて頂きました。
私の作品も死後の世界が舞台になる予定なのですが、残念ながら現在投稿しているものは終盤にまだ少ししか出てきていないので参加資格からは外れていそうですね。
その代わりにこちらの作品を読んでいきたいと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>私の作品も死後の世界が舞台になる予定
予定があるなら十分オッケー。
要は「そっちを向いているかどうか」です。
終わりの終わりにへの応援コメント
面白かったです。
カクヨムでこんなに哲学的な刺激に富んだ作品に出会えるとは思っていませんでした。
現代の神曲か、はたまたファウストか…!?
まだ私の理解が追いつかない部分がたくさんあるので、二周目行ってみたいと思います。
素敵な作品をありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
貴方のように綺羅めく表現のできるかたによる過分な評価、痛み入ります。
哲学的な要素については、どちらかというとパロディ的な観点で入れていますので、あまり深刻ではなく、笑い飛ばしていただけたらと思っています。
死ぬことを考えることは、生きることを考えること。
私の作品が貴方が幸せな「生」を考えるキッカケになれば、と願っています。
「シリトリの宝クジ」を買う勿れへの応援コメント
幽霊は、存在しないけど、確かにいる、といった感じでしょうか。
思うに、生命体は使い捨てなのに、あまりにも高機能にすぎるのでしょうか?人間のレベルからすると。なので、生きることの意味や必然性、死んだ後の世界を考えたくなるのでしょうか?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
その貴方の問いかけが、貴方にとっての「あの世」を明らかにする旅立ちの始まりでありますように。
グランマは恥ずかしがりや?への応援コメント
なんだなんだ!?むちゃくちゃ面白そう!と興奮してます!すみません、お風呂に入ってから、また続き読みます!!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
本文にもある通り、そんなお気持ちを裏切ってしまうかも知れないことに心を痛めております(笑)。
グランマは恥ずかしがりや?への応援コメント
エッ‼️私が今思っている事、わかっちゃうの・・・?それで裏切られるのかぁ〜。
これって、心待ちにして良いものか。でも、続きが気になる。怖いぞビデオ・・
作者からの返信
さっそくの応援ありがとうございます、って昼休みに書きこみしてはる~
何くわぬ顔で帰ったくせに~
終わりの終わりにへの応援コメント
「オッカムの剃刀」を引き合いに出すなら、
人間の生死を考えるうえで、魂もあの世も想定する必要がありません。
魂などというものを想定しなくても、生き物の意識や行動は説明できます。
人間は生まれたときから死に至るまで、タンパク質と脂肪とカルシウムと、その他諸々の物質以外の何物でもなく、
脳細胞が死滅し、遺体が土に還ったら、その人はそれで完全におしまいです。
しかし、死んだあとに何も残らないとなると、
この世に産まれて生きてゆくこと自体に何の意味もなくなってしまいます。
それでは現に生きている自分自身の存在を肯定できません。
どうせ全部消えるのだから、今日も明日も生きる意味はなく、いつ死んでもいいということになってしまいます。
そこで昔の人々は、「肉体の消滅が避けられないとしても、魂だけは不滅だ」とかいう屁理屈をこねて、
不滅の魂が召される世界や輪廻転生なるものの設定を、執拗なまでに細々と捏造していったのではないでしょうか。
死は誰でも怖いものですから、
善行を積まないと地獄に落ちるぞ、といった脅し文句は、さぞ古代世界で政治や商売の役に立ったでしょう。
でも本当は、この世に産まれて生きてゆくことには何の意味もなく、
現に生きている自分自身の存在を肯定できる余地など一瞬たりともないのです。
なぜなら我々は徹頭徹尾、物質にすぎないからです。
「死んだ人間は物語になる」と作者様はおっしゃいますが、
その「物語」は、人類の終焉や地球の終焉や宇宙の終焉を乗り越えられません。
結局最後には「聞き手」などいなくなり、主観も客観もなくなります。
宇宙の終焉を乗り越えられない「物語」は、自己満足のための現実逃避、
もっと言うと、「死んだ人間が物語であってほしい」という気持ちは、
「客観」という名の「不滅の聞き手」をあがめる信仰心にすぎません。
どうせみんな消えるにもかかわらず、
事実から目を背け、甘い嘘を信じてまで人生にしがみつこうとするんですから、
生き物ってしぶといですよね。
作者からの返信
ユウグレムシさんのような論客を待っていました。
私は論戦が大好きなんです!
オラなんだかワクワクしてきたぞ!
あらかじめ申し上げます。
ちょっと厳しい指摘や反論を書きますが、ユウグレムシさんへの反感や悪意はまったく持っていないので、落ちついて読んでください。
貴方は最初のほうと最後だけ読んで、上記の感想をお書きになりましたね(断定)。PVが全話ぶんは増えてません。反感を感じてそう読まざるを得なかったとしたら私の実力不足を認めたいと思いますが、その状態で作品の根源にかかわる感想を書くのは創作者としていかがなものか、と思います。
それでは、ユウグレムシさんのテキストをひとつひとつ引用させていただきながら、例をあげて答えたいと思います。
うわーっ、我ながらメンドくせー奴!
【ユウグレムシさんの引用】
>「オッカムの剃刀」を引き合いに出すなら、
>人間の生死を考えるうえで、魂もあの世も想定する必要がありません。
私は「オッカムの剃刀」という用語を、他の多数のカッコいい用語の一例として1回だけ出しているだけで、そのロジックを今回の作品にまったく適用しておりません。
※ダウンロードしたテキストを検索にかけてチェックしています。
【ユウグレムシさんの引用】
>魂などというものを想定しなくても、生き物の意識や行動は説明できます。
>人間は生まれたときから死に至るまで、タンパク質と脂肪とカルシウムと、その他諸々の物質以外の何物でもなく、
まったく同意です。
しかし、私は「翔べ!Gスキラー」の回で、次のように書いています。
*****
例えば、「Gスキラーのインチキを暴く」などという趣旨のコンテンツがあったとします。それで何をするのかと言えば、たいてい、Gスキルなどなくてもトリックで同じことができる、という証明をするのです。また、そのGスキル現象が1回きりであることを理由に、トリック呼ばわりすることも珍しくありません。
同じことがトリックでできるからと言って、そのGスキルの発現もトリックとは限りません。ライターで火を点けられることを証明したとしても、マッチの存在は否定できません。
また、トリックを使う再現による反証は、より高度なトリックの前には無力です。ライターもマッチも無かったとしても、発火する植物である午時葵(要ググ)を、マッチ替わりにして火を着けることは可能です。この植物の存在を知らない人なら、この火はマッチで着けたもの、と言われれば信じてしまうかも知れません。いずれにせよ、この方法による反証は論理的ではありません。
*****
他のことで説明できるからと言って、そのロジックによる反証は論理的ではありません。
【ユウグレムシさんの引用】
>脳細胞が死滅し、遺体が土に還ったら、その人はそれで完全におしまいです。
>しかし、死んだあとに何も残らないとなると、
このチャイルデッシュなロジックについては、私は「あの世って不要なのよ」の回で次の通り述べております。
*****
「保存則」(要ググ)という事実《ファクト》があります。
貴方もご存知のとおり、「保存則」とはエネルギー保存の法則(不滅の法則)のように、中学校でもその一部を習う、物理学の基幹を成す法則です。
(中略)
無神論者のかたがたが、「死んだら無になる」という主張をされることがありますが、それは義務教育のレベルで間違っています。人は死んでも無になることはないし、無にしようと思ってもできません。
※ご注意 最新の研究によると、ブラックホールの近辺では「保存則」が壊れる可能性があるそうです。でも、そのあたりに旅行に行く予定はないし、知りあいも住んでいないので、まあいいかな~
人が死ぬと、その人を構成していた物質やエネルギーは、人間の観点において変化し、拡散し、やがて観測できなくなりますが、それは現在の人間の技術では観測できなくなるというだけで、消えてなくなったりはしません。
当然、物質やエネルギーの変化によって形作られていた「情報」もまた、消えてなくなったりはしません。したがって、価値観を含むその人のすべての精神活動の情報もまた、消えることはありません。
また混同しがちですが、印刷物や電子媒体に行われる「情報の上書きと消去」という概念はあくまで表面的な現象を指すものです。
それは、物理どころか日常、いや、それ以下の事務レベルの範囲に限って、人の都合によって「そう見える」現象であり、その媒体と関わりあうすべての物質やエネルギーの変化として世界に記録された情報について、上書きや消去をするものではありません。
「保存則」においては、真の意味での「情報の上書きと消去」という現象はありえません。そして、ある情報を意図的に変えようとした、消そうとした、その行動による物質やエネルギーの変化もまた消えません。
*****
以上の通り、何も残ったりはしない、というのは明らかな間違いです。
正確に言うなら、どれだけ科学技術が発達しても、生きている状況に「たぶん」復元できない、と言うべきです。でもそれは、ただ単に科学技術の未熟に過ぎません。
【ユウグレムシさんの引用】
>この世に産まれて生きてゆくこと自体に何の意味もなくなってしまいます。
>それでは現に生きている自分自身の存在を肯定できません。
ユウグレムシさんはそう思ってらっしゃるんですね、とか言いようがありません。たとえ消え去ることが真実だったとしても、私はそう思いません。
私は自他共に認める愛妻家ですが、やがて別れのときが来ることを知っています。しかし、本当にそのときがやって来たとしても(私はそのとき気が狂う自信があります)、いっそ出会わなければよかった、とは思わない自信があります。
それでも私は、北斗の拳のサウザーさんみたいに、それなら愛などいらぬ、と言うかたがおられることも知っています。ユウグレムシさんもサウザーさんみたいに何か辛いことでもあったんですか?
【ユウグレムシさんの引用】
>どうせ全部消えるのだから、今日も明日も生きる意味はなく、いつ死んでもいいということになってしまいます。
まず、前述の私の指摘にある通り、「どうせ全部消える」というロジック自体が間違っています。
また私は、「どうせ、いつか人間は死ぬのだから、生きててもしょうがない」というロジックで自殺するかたがおられることを知っています。でもこれは個人の感想であって、本当はロジックでも何でもありません。なぜなら、「どうせ、いつか人間はまた腹が減るのだから、食べてもしょうがない」と言う人はいないからです。ユウグレムシさんもごはん食べるでしょ?
【ユウグレムシさんの引用】
>そこで昔の人々は、「肉体の消滅が避けられないとしても、魂だけは不滅だ」とかいう屁理屈をこねて、
>不滅の魂が召される世界や輪廻転生なるものの設定を、執拗なまでに細々と捏造していったのではないでしょうか。
>死は誰でも怖いものですから、
>善行を積まないと地獄に落ちるぞ、といった脅し文句は、さぞ古代世界で政治や商売の役に立ったでしょう。
これには完全に同意します。
私も「あの世って不要なのよ」の回でこう書いています。
*****
私は、既存のメジャーな「あの世観」を問題視しています。
もちろん、それには理由があります。
現代的価値観に照らすとフィクションとして欠陥が多いことや、その現代的価値観の死後保証がないこともその一因ではありますが、最も問題視している理由は。
「あの世」を「暴力装置」として悪用する人たちが実在していることです。
*****
う~ん、こうして見ると、ユウグレムシさんには「あの世って不要なのよ」の回だけは読んでほしかったなあ~
【ユウグレムシさんの引用】
>でも本当は、この世に産まれて生きてゆくことには何の意味もなく、
>現に生きている自分自身の存在を肯定できる余地など一瞬たりともないのです。
>なぜなら我々は徹頭徹尾、物質にすぎないからです。
これもまた、ユウグレムシさんはそう思ってらっしゃるんですね、とか言いようがありません。失礼ですが、それが「本当」とか「徹頭徹尾、物質にすぎない」だなんてユウグレムシさんは断定できるほど現実の観察力や視野の広さは持っておられないと思いますよ。だって自力による保存則への言及はおろか、私の作品を全部読まないでこうやって論じておられますから。
【ユウグレムシさんの引用】
>「死んだ人間は物語になる」と作者様はおっしゃいますが、
>その「物語」は、人類の終焉や地球の終焉や宇宙の終焉を乗り越えられません。
>結局最後には「聞き手」などいなくなり、主観も客観もなくなります。
>宇宙の終焉を乗り越えられない「物語」は、自己満足のための現実逃避、
>もっと言うと、「死んだ人間が物語であってほしい」という気持ちは、
>「客観」という名の「不滅の聞き手」をあがめる信仰心にすぎません。
ユウグレムシさんは、この回「終わりの終わりに」における私の前提をおそらく意図的に無視していると思います。
*****
その答えはもちろん、人によって違います。
私の主観的な答え、つまり「私にとって」の答えについては、このテキストの始めのほうにて、それは「心のありよう」である、と事実を述べています。
しかし。
たとえ証明できないことであっても、人は「何々だと思う」という形で、客観的な答えを出すことはできます。
事実ではなく、主張として。
*****
人によって違う、事実ではない、こうだと思う、って書いてるのに否定するのは、とてもチャイルデッシュな反論だと私は思います。ましてや、ユウグレムシさんの知識や視野に疑問が持っている私にとっては。
【ユウグレムシさんの引用】
>どうせみんな消えるにもかかわらず、
>事実から目を背け、甘い嘘を信じてまで人生にしがみつこうとするんですから、
生き物ってしぶといですよね。
しつこいようだけど、まず事実として消えないです。また、ユウグレムシさんの物の見方にはそれを「甘い嘘」だと断定できる信頼性に欠けていると思います。また、自殺する人がいるように「人生にしがみつかない」人も少なくありません。
そしてこの文章の流れでは、正しい単語は「生き物」ではなくて「人間」です。この「生き物」という表現は、作家の才があるかたなら当たり前に可能な解釈ですが、「人間なんて単なる生き物なんだからカッコつけんなよ」という意図を感じます。まさかこれって、単なる厭世的な「捨て台詞」じゃないですよね?
最後に、全体を通じてのことですが。
私はこの作品の紹介文において、「このテキストは独自のアプローチで、死後の世界の実態を考えるものです。……本当はそんなものがなかったとしても。」と書いております。私本人が疑いを捨てきれない、と最初に宣言しているのです。私がまるで無知で無責任な楽観論者であるかのような論調は、いかがなものでしょうか?
私の反論としては以上になります。
ユウグレムシさんには反論の反論もおありのことと思います。私は実にそれを読みたく思います。その際には、いくつかお願いがあります。
まず、全部読んでから論じてください。できれば疑いの余地がないようにその証拠として「応援ハート」を残してください。読みたくないなら論じないで「つまらない」などの感想だけ書いてください。これからも。
もうひとつ、反論の反論を書くときは、別の回の感想欄に書いてください。やりとりが長すぎるし、後から編集がもろ判り、ってのも嫌ですよね?