初恋
神木 ひとき
初恋
「和人!部活行くよ!」
「ああ、ちょっと待ってよ
まさか同じ高校になるなんて‥
しかも同じクラスに‥
これは神様の思し召しなの?
それとも悪魔の仕業?
「あ〜あ、せっかく和人と同じ高校に入学したっていうのに、クラスが別々になるなんてさ、神様っていないんだな」
彼女がため息混じりに残念そうな声を上げた。
彼女の名前は
篠田と同じ中学出身で、三年間同じクラスだったらしい。
篠田が入部したバスケ部のマネージャーになった子で、お世辞抜きにかなり可愛い‥
らしいとは、直接話しをしたことが無いからで、篠田との会話の内容を要約するとそういうことだ。
篠田の彼女?‥
それはハッキリとした確証が無い。
けど、お互い名前で呼び合っているし、かなり仲が良いから‥多分彼女なんだろう。
だろうと言うのは、少なくとも彼女が篠田を好きなのは誰が見ても明らかだし、何よりそれを篠田に直接確かめる勇気が無かった。
「
「あっ、うん、
重美の言葉に頷くと一緒に教室を出て音楽室に向かって廊下を歩き出した。
「ねえねえ、篠田君ってカッコイイと思わない?背も高いし、バスケ部では早くもレギュラー候補なんだって」
「へ〜っ、そうなんだ」
わたしは無関心を装って素っ気なく答えた。
「でも、毎日部活に迎えに来るあんな可愛い彼女がいるんだから、所詮は高嶺の花だよね」
「‥」
「まあ、明音はそんなこと興味無いか、小学生の時からずっと想っている好きな人がいるんだもんね、それって誰なの?いい加減もう、教えてくれてもいいんじゃない」
「ハハハ‥その話はまた別な機会に」
重美の言葉を適当に受け流した。
重美、
中学までバスケ部だったわたしは、高校から彼女と同じ吹奏楽部に入部した。
小学校から始めたバスケは嫌いじゃなかったけど、一度もレギュラーになることはなかった。
同じ高校に合格したら吹奏楽部に入るって重美と約束していたから、こうして音楽室に向かって歩いている。
バスケも上手とは言えなかったけど、楽器なんて触ったことが無いわたしにとって、吹奏楽部はかなりの負担になっていた。
部員の殆どは中学の吹奏楽部出身か経験者ばかりで、初心者なんて誰もいないんだから‥
「ハ〜ッ‥」
深いため息をついて憂鬱になった。
「どうしたの明音、ため息なんかついて?」
重美が能天気に質問してくる。
「重美はいいよね、楽しそうでさ」
「明音は楽しくないの?」
「全然楽しくない!」
音楽室に向かう足取りは更に重くなった。
「あ〜あ、結局今日も一人居残り練習だったな」
音楽室を出ると、陽がすっかり暮れて薄暗い廊下を歩いて昇降口に向かった。
吹奏楽部に入ってからというもの、毎日、満足に音が出ないトランペットと格闘している自分が情けなくなった。
こんなことならバスケ部に入っておけば良かったな‥
ふと体育館に目をやると、まだ灯がついていた。
何気なく体育館に続く渡り廊下を歩いて出入口の扉の小窓から中を覗いてみた。
「誰も居ない‥そうだよね」
時計を見ると既に7時半を過ぎている。
昇降口に向かおうと振り返ると、目の前に制服姿の篠田が立っていた。
「篠田‥」
彼はわたしの脇を黙って通り過ぎると、体育館の中へ入っていった。
わたしのことなど、全く覚えていないという素ぶりだった。
無視か‥
わたしはそのまま渡り廊下を校舎に向かって歩き始めた。
「佐山!」
背中越しに彼がわたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声に振り返ると、体育館の中に入って彼の元に近づいていった。
「何か用?」
「俺のこと、覚えて無いのかと思ったよ」
「フッ、そっちこそ、わたしのことなんて忘れているのかと思ったよ!」
「‥」
あの日のことが走馬灯のように思い出されてきた。
あれは小学校の卒業式を数日後に控えた日のことだった。
所属していたバスケ部の卒業イベントに参加していた。
それは男子と女子の合同で行われる行事で、先生のチームとバスケで対抗戦を行うものだった。
卒業するバスケ部の部員から選抜して男子チーム、女子チーム、男女混合チームを編成して先生のチームと試合をするのが恒例の行事だった。
わたしは卒業生だったけど、補欠だったので、試合を黙って見ている観客の一人に過ぎなかった。
男子選抜チームの試合、女子選抜チームの試合が終わって、勝敗は男子が勝って女子が負け、1勝1敗で最後の男女混合チームの試合になっていた。
当然わたしは選ばれる筈もなく、コートの横で座って試合を見ていた。
試合は女子が足かせになって先生のチームが8ポイントをリードしていた。
前半が終わりコートチェンジと休憩になって、座って見ていたわたしのところへ篠田がやって来た。
「佐山、出番だよ、メンバーに入って!」
彼はそう言いながら座っているわたしの腕を掴んだ。
「ちょっと!わたしなんか無理だよ!他の人に頼んでよ!」
そう言ってわたしは彼の手を振り払った。
「佐山の力が必要なんだって‥」
「わたしの力?冗談はやめてよね!」
「本当だって、佐山がいないと負けちゃうんだよ、これは小学校最後の試合なんだ!勝って終わろうよ」
彼はそう言ってわたしの耳元であることを囁いた。
「頼む、佐山なら出来るって!」
彼が囁いた言葉に驚いた‥どうして?
「やってくれるよね?」
「わかった‥やってみる」
頷いて返事をすると、立ち上がってコートに向かって歩きながらストレッチを始めた。
「メンバーチェンジ!田中に変わって佐山!」
彼が声を上げた。
「おいおい篠田、田中はレギュラー、佐山は
補欠だぞ、何考えてるんだよ!もう諦めたのか?」
「誰が諦めるかよ、まあ見てろよ島津」
そう言って篠田は彼の親友の島津に笑みを見せた。
後半が始まって、コートに入ると彼の指示通りの配置についた。
最初に彼にボールがまわると、彼はドリブルをしながらわたしに向かってパスを出した。
「佐山!後はよろしく!」
彼からボールを受けると、ゴールに向かってシュートを放った。
ボールは綺麗な弧を描いてゴールに吸い込まれていった。
「ナイスシュート!佐山!3ポイントだ!」
後5ポイントだ‥
わたしはまた自陣から敵陣のゴール付近に走って行ってボールが来るのを待っていた。
彼がボールを奪うとまたドリブルをしてディフェンスをする先生を交わしながらこつちに向かって来た。
「佐山!もう一回頼む!」
今度はスリーポイントラインの内側で彼のバウンドパスを受けると振り向いてゴール向かってシュートを打った。
ボールはまたもやゴールに吸い込まれた。
「佐山!ナイスシュー!後3ポイント!」
「おい、佐山‥お前スゲー!本当スゲーよ」
さっきまで交代に文句を言っていた島津が声を上げた。
「島津!わかったよな!勝ちに行くぞ!」
「ああ!篠田の作戦が分かったぜ!佐山!ボール回すから後は頼んだぜ!」
そう言って島津がわたしの肩を叩いた。
ドリブルが苦手だった‥
だから控えで試合に出れないわたしは毎日、毎日、ただシュート練習に明け暮れていて、
シュートには自信があった。
「佐山、俺はお前がどんなに頑張ってたか知っている、シュートなら誰にも負けない!だからゴール前で待ってるんだ、俺が必ずパスを出すから!」
篠田がわたしの耳元で囁いた言葉だった。
不思議とその言葉に勇気が湧いた。
そして何よりクラスの違う篠田がわたしの努力を見ていてくれたことが嬉しかった。
今度は彼がボールを奪うと、先生達が彼を取り囲んで進路が塞がれ身動きが取れなくなっていた。
「島津!後は頼むぜ!」
「任しておけ!」
そう言ってパスを受けた島津がわたしにドリブルをしながら近づいてくる。
「佐山!3ポイントを狙え!ラインの内側に入るなよ!」
指示通りラインの外側に出て島津からのボールを待っていると、彼は少し山なりの高いパスを出した。
背伸びしてボールを受けると、そのままジャンプをして両手でゴールに向けてシュートを打った。
「ボールはまたもやゴールネットに吸い込まれいった」
「やった〜!同点だ!佐山ナイス!」
島津がハイタッチをしてきたので、彼にハイタッチを返した。
「佐山‥よくやった!同点だからな、気を引き締めいこうぜ!」
今度は篠田がわたしにハイタッチをしてきて、嬉しくて彼にハイタッチを返した。
「佐山にこんな才能があったとは!驚いた!」
顧問の先生が思わず声を上げた。
試合は一進一退で同点のまま残り時間が30秒になった。
「佐山、俺は今日のバスケが今までで一番楽しいよ、最後は頼んだからな!」
「うん‥」
篠田の言葉に頷くとゴール付近でポジションを取った。
先生達もかなり本気モードで、島津が囲まれて仕方なさそうに篠田にボールを回した。
篠田は少し強引にドリブルを仕掛けて、ディフェンスを突破しようとした。
ドリブルしていたボールが先生の手に当たって、篠田の手から離れそうになった。
彼は倒れ込みながら、思いっきりボールを叩いてわたしにパスを出した。
ボールはバウンドしながらわたしの方へ転がって来るのがわかったので、勢いよくダッシュしてボールを取りに行った。
何とかボールを取ることは出来たけど、ゴールまでかなり距離があって、直接シュートすることは出来なかった。
「佐山!行け!自分でドリブルして決めろ!」
篠田が大きな声で叫んでいた。
わたしはゴールに向かってドリブルをすると、ディフェンスの先生が手を挙げてシュートコースをふさいでいた。
右に行くと見せかけて左にフェイントを掛けて突破を試みると、先生が上手く引っかかってゴール下に入ることが出来た。
ボールを一度バウンドさせてゴールに向かってシュートを放った。
ボールはバックボードに当たって静かにゴールに落ちていった。
『ピッー』
その瞬間、試合終了を告げるホイッスルが鳴った。
入った‥
わたしは頭の中が真っ白になって、ただ呆然とコートに立ち竦んでいた。
「やったな佐山!勝ったんだよ!」
篠田が真っ先に駆け寄って来てわたしの肩を叩いた。
「勝ったんだ‥そう」
「佐山のお陰だよ!もっと胸を張れよ!」
「うん‥」
こんなにバスケが楽しいと思ったことは今まで無かった。
楽しくて、嬉しくて‥何故だか涙が溢れてきた。
「佐山!完璧なシュートばっかりだったぜ!お前、本当に控えなのかよ?」
島津もわたしに駆け寄って来るなり興奮した様子で言った。
「島津、俺の言ったとおりだっただろう?」
「ああ、篠田が佐山を交代で入れてなかったら、間違いなく負けてたよ、佐山と篠田に感謝だな!お前ら息ピッタリだったぜ!」
わたしは篠田と顔を見合わせると、お互いを意識して恥ずかしくなった。
「もう、明音にはやられたよ、最後に全部おいしいとこ持っていくんだから!」
途中で交代した田中莉奈が笑いながらわたしの頭を撫でた。
わたしはみんなに揉みくちゃにされて、何が何だかわからなかったけど、とにかくバスケが好きになったのと、篠田のことを特別な存在として意識したのがわかった。
けど、もう何日か後には卒業式で、彼と離れ離れになることもわかっていた。
わたしと篠田は中学の学区が異なり、わたしは南中、彼は東中に進学することが決まっていたからだ。
卒業式の日、式が終わってみんなが帰り始めた校庭で思い切って篠田に声を掛けた。
「篠田‥東中でもバスケ頑張ってね」
「うん、佐山はどうするの?」
「う〜ん、わたしは篠田みたいに上手くないからな‥」
「上手いとか下手とか関係ないよ、好きか嫌いかじゃないのかな?」
「‥」
「佐山がバスケが好きならそれで良いんじゃないのかな」
「篠田‥」
「佐山、もし良かったら途中まで一緒に帰らない?」
「えっ?」
「嫌ならいいんだ、ゴメン‥」
「いいよ、ちょうど話したかったことあるし」
「話したかったこと?」
彼と一緒に卒業証書を抱えて並んで校庭を歩き始めた。
「話したいことって?」
「うん、ちゃんとお礼を言ってなかったから、この前はありがとう、最後にいい思い出が出来たよ」
「ああ、あれは佐山の実力だから‥」
「どうしてわたしのこと?」
「いつも見てたから‥佐山が腐らずにシュート練習してるの」
「篠田‥」
「いいシュートするなって見てたんだ‥いつか佐山と一緒にバスケが出来たらなって思ってた」
「本当にありがとね、わたし全然バスケ好きじゃなかった、試合には出られないし、練習だって‥ドリブル苦手だし、だからいきなり試合に出てあんなに上手くいくなんて思ってもいなかった」
「俺は思うんだ、試合は練習の確認なんだ、練習で出来ないことは試合では出来ないよ、佐山にはちゃんと実力があるんだよ」
「篠田‥ありがとう」
あと数十メートル先の交差点でわたしと篠田は家の方向が左右に別れてしまう。
「佐山ともっとバスケがしたかった‥同じ中学だったら良かったのにな」
篠田が寂しそうな表情を浮かべて言った。
「そうだね‥同じ中学だったら良かったね」
わたしもそう思って言葉を返した。
その時、いきなり彼がわたしの手を握った。
「篠田!?」
「佐山‥あの交差点までこのままで‥お願いだから」
彼が恥ずかしそうに小さな声を絞り出して言った。
「うん‥」
わたしは頷いて彼の手を握り返した。
男子と手を繋いで歩くなんて幼稚園の時以来だった‥
篠田の手の温もりを感じながらゆっくりと歩いた。
お別れの交差点が近づいて来る。
このままずっとこうして歩いていたい、そう思った。
交差点に着くと、彼は握っていた手を離した。
「佐山‥ありがとう、卒業のいい思い出が出来たよ」
「わたしも、篠田には感謝してる。わたし中学でもバスケ続けようと思う」
「佐山‥」
「またいつか、一緒にバスケしようね」
「うん‥必ずしような、約束だぞ!佐山、頑張れよ!それじゃあ!」
篠田はそう言うと、交差点を右に渡って行った。
わたしは涙を浮かべながら、彼の背中が見えなくなるまで見送っていた。
そして、本当に短い初恋が終わった。
あの淡い思い出の中の彼が、目の前に立っている‥
「忘れる筈ないだろう‥」
篠田はそう言ってコートに転がっていたボールを拾い上げてわたしにパスをした。
ボールを受け取ってゴール向かってボールを投げると、ボールはネットを揺らしてゴールに吸い込まれていった。
ボールのバウンドする音が体育館に響いていた。
「どうしてバスケやめたんだよ?こんなに上手いのに‥」
「中学でもレギュラーになれなかった‥上手くなんか無いんだよ」
「バスケ嫌いになったのか?」
「‥好きではないかな」
「そっか‥」
しばらく見つめ合ったまま沈黙が続いた。
「和人!いつまでやってるのよ、着替えに行ったんじゃなかったの?とっくにみんな帰ったよ!」
沈黙を破ったのは体育館に入ってきた村田英理だった。
「ああ悪い、もう帰るよ」
篠田は彼女に答えた。
「この子誰?‥和人、知り合いなの?」
彼女がわたしを見て怪訝そうに言った。
わたしは居た堪れなくなって鞄を掴むと、その場から逃げるように走って体育館を出て行った。
自然と涙が溢れて来るのがわかった。
まだ篠田が好きなんだ、ずっと彼のことが忘れられないでいるんだ。
それから篠田と会話をすることは無かった。
朝から生憎の空模様で雨が降っていたある日、
「次の体育の授業、雨だから体育館だって!男子と一緒だってさ」
重美が憂鬱そうな顔をして言った。
「そうなんだ、体育館ね」
重美は運動が苦手で、典型的な文化系女子だった。
体操着に着替えて体育館に行くと既に男子が整列していた。
「今日は雨でグラウンドが使えないので女子と合同で体育をします、バスケットボールの試合をしようと思うので、適当に男子と女子で混合チームを作って下さい。それじゃ始めて!」
体育教師の言葉に、みんながバラバラになってチームを作り始めた。
バスケ部の篠田は人気があって色々な人から誘いを受けていた。
「あ〜っ、バスケだって!わたし球技苦手だから最悪!」
重美がため息をついてわたしに言った。
「明音、一緒のチームに入れてよね?」
「もちろんいいよ」
「佐山、俺も一緒に入れてくれよ」
わたしの隣に篠田がやって来て言った。
「篠田、わたしも重美も下手だから足手まといになるだけだよ、他を当たったら?」
わたしは彼の依頼を断ろうとした。
「構わないよ、俺はあの時みたいに佐山と一緒にバスケがしたいんだ」
「明音、篠田君と知り合いだったの?」
やり取りを聞いていた重美が驚いた様子でわたしに質問した。
「ちょっと知ってるだけだよ」
重美に答えると、
「篠田君が入ってくれたら百人力だよ、ねえ明音、篠田君と一緒にやろうよ!」
重美が嬉しそうに彼に言った。
結局、篠田と友達の二人、わたしと重美で混合チームを作ることになってしまった。
「篠田お前、佐山と松野は無いだろう?あいつら吹奏楽部だろ?運動全然ダメそうじゃん」
一緒のチームになった男子がこれ見よがしに聞こえるように言うのが聞こえてきた。
試合が始まると、篠田を中心にボールを回して、ゴールに近づいていく作戦らしい。
ゴール前で篠田が囲まれて、身動きが取れなくなっていた。
「佐山!頼んだぞ!」
そう叫ぶと、篠田がわたしにジャンプしながらパスを出した。
パスを受け取ると、ドリブルをしてスリーポイントラインから外に出て振り向いてシュートを放った。
ボールがバスケットゴールに吸い込まれていった。
「ナイスシュート、佐山!」
篠田の声がコートに響いた。
「佐山ナイス!お前やるじゃん!」
同じチームの男子が驚いた様子で声を上げた。
相手からボールを奪うとドリブルしながら、篠田を探してパスを出した。
「ナイスディフェンス!ドリブルもサマになってる!佐山すごく上手くなってるよ!」
「まあね!」
篠田はゴールに向かってドリブルをして、ゴール付近に近づくと、わたしにバウンドパス出した。
冷静にパスを受け取ると、ゴール下からシュートした。
ボールがゴールネットの中に落ちていくのが見えた。
わたしは思わずガッツポーズをした。
「佐山、よくやった!」
篠田があの時と同じようにハイタッチをしてきたので、ハイタッチを返した。
「すごい!明音、メッチャバスケ上手いじゃん!」
重美が興奮した様子でわたしに近づいて来て言った。
「あいつのパスのおかげだよ」
「やるな佐山!お前バスケ経験者だろ?あの篠田に付いていけてるよ!さっきはバカにして悪かったよ」
わたし達をバカにした男子が頭を下げた。
「ううん、気にしてないよ、わたしは吹奏楽部だからね」
笑ってそう返した。
重美にボールが回って、周りを囲まれてしまっていた。
「重美!こっち!パス出して!」
手を挙げて重美にパスをするように促した。
彼女はわたしに目掛けて思いっきりボール投げた。
ボールが右にずれて、思いっきり手を伸ばしてジャンプしながらボールを取りにいったけど、ボールを取ることが出来ないままバランスを崩した体勢でコートに着地してしまい、右足首に激痛が走った。
「痛っ!」
思わずコートに倒れこんでしまった。
すぐに立ち上がろうしたけれど、足首の痛みが酷くて立ち上がることが出来なかった。
「タイム!」
篠田の声がコートに響いた。
「佐山!大丈夫か?」
彼が真っ先に駆け寄って来て心配そうに言った。
「うん‥でも、試合は無理かな、痛みがかなりある」
「無理するなよ、メンバーチェンジ!二人交代お願いします!誰か代わって!」
そう言うと、篠田はわたしを抱き抱えて歩き始めた。
「ちょっと、篠田!」
「保健室に連れて行くから歩かない方がいい、骨に異常があるかも知れないだろ」
「篠田‥」
「保健室に行って来ます!」
わたしを抱き抱えたまま、篠田は体育館を出て渡り廊下を歩いていた。
「ゴメンね篠田‥やっぱりわたしは下手だね、あの程度のボールが取れないんだから」
「‥佐山って意外と軽いんだな?」
「はぁ!?」
「いや、もっと重いのかと思った」
「ちょっとそれどういう意味よ?」
「久し振りに佐山とバスケが出来て嬉しかったよ、佐山はあの頃より上手くなってると思うよ、もったいないな‥バスケやめたの」
篠田に保健室に運ばれると、念のため保健医さんの車で病院に行ってレントゲンを撮ることになり、幸い骨には異常はなく、捻挫という診断を受けて、湿布貼って痛み止めを飲んですぐに学校に戻って来ることが出来た。
左の足首の包帯と、松葉杖が痛々しかった。
教室に戻ると、お昼休みでみんながお弁当を食べていた。
「明音!大丈夫?ごめんね、わたしがあんなボール投げたばっかりに‥」
重美がが申し訳無さそうに頭を下げた。
「重美のせいじゃないよ、わたしが下手だからだよ、それに骨には異常が無かったから、すぐに良くなるって」
「良かった!ホッとしたよ‥」
重美は胸をなでおろして大きく息をついた。
自分の席に座ると篠田がやって来た。
「篠田、ありがとうね、大したことなかった」
「そっか、良かったな」
彼はそれだけ言うと自分の席に戻って行った。
「明音、篠田君と小学校一緒だったんだって?バスケも一緒にやってたんでしょ?何で黙ってたの?」
重美が少し腹立たしそうに言った。
「小学生の頃ことなんて、覚えてないと思ったからね」
重美をなだめるように言った。
「あの後、篠田君みんなから質問責めにあってたよ」
「そう‥」
「明音が倒れた時の篠田君、尋常じゃなかったよ、ただの幼馴染じゃないよね?普通あそこまでしないでしょ?」
「そうかな?篠田は昔からああいう奴なんだよ」
重美に詳しく話をする訳にもいかず、そう答えた。
午後の授業が終わると、帰る支度をして一人昇降口に向かった。
「明音、わたしも部活休んで一緒に帰るから」
重美が心配そうに言った。
「一人で帰れるよ、それに今日は大事なパートの練習でしょ?部活休んだらみんなに迷惑が掛かるよ!重美は期待されてるんだから、休んだらダメだよ、わたしは本当に大丈夫だから部活に行きなよ」
「明音‥ゴメン、ありがとね」
「うん、心配しなくても大丈夫!」
そう答えると、重美は申し訳なさそうに音楽室に向かって行った。
まだ少し雨が降っていたけど、靴を履いた松葉杖のわたしは鞄を肩に掛けると、昇降口を出て傘を差さずに歩き始めた。
ポツポツと雨が髪に当たって冷たかった。
肩に掛けた鞄が重く感じて、慣れない松葉杖を使って歩くのが辛かった。
突然肩の鞄が更に重く感じるので振り返ると、篠田が肩に掛けている鞄を掴んでいた。
「篠田‥何するんだよ?」
「そんな足で一人で帰れる筈ないだろう、鞄持ってやるから」
そう言って彼は鞄を引っ張って渡すよう促すので、仕方なくわたしは鞄を肩から下ろして彼に渡した。
「バスケ部はどうするんだよ?」
「そんなのお前が気にすることじゃない」
「篠田‥」
「和人!突然バスケ部休むってどういうこと?」
村田英理が大きな声で叫びながら、慌てた様子で走って篠田を追いかけて来た。
「英理、悪いけど今日は休むから、キャプテンにそう伝えておいてくれよ」
「和人‥どうして!!その子がそんなに大事なの?」
彼女がわたしを睨みつけて叫んだ。
「英理、俺はずっと好きな子がいるって話したよな‥だからお前とは友達なんだ、悪いけど今日は帰らせてくれ」
「和人‥もしかして、和人の好きな子って‥そうなの?」
篠田は少しだけ苦笑いを浮かべて小さく頷くと、彼女は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
篠田、それって‥
「佐山、帰ろう」
「篠田‥いいの?本当に?」
「ああ、俺は佐山と一緒に帰りたいんだ」
彼はそう言ってわたしの鞄を肩に掛けると、持っていた傘を差してわたしを入れて歩き始めた。
松葉杖のわたしに合わせてゆっくりとしたペースで彼はわたしの隣で言葉を発することもなく、ただ黙って駅までの道を歩いてくれた。
「篠田、ありがとね」
「うん‥」
「村田さん、てっきり篠田の彼女だと思ったよ‥」
「俺はずっと片想いの子がいるから‥小学校が同じだったんだけど、中学は別々になってしまって、その子と同じ高校に行ってバスケをもう一度一緒にしたくてさ、彼女と同じ中学行ってる友達にどこの高校受けるか調べてもらって、彼女頭が良かったから、必死に勉強して、せっかく同じ高校に合格して、しかも同じクラスになれたのに、俺は話し掛けることが出来なかった」
「どうして?」
「彼女とっても綺麗になってた、それにバスケもやめてしまってた、俺のこと覚えてなかったら‥そう思ったら、怖くてさ‥」
「‥」
「大体、小学生のガキの頃のことなんて‥」
「そうかな?わたしははっきり覚えてるよ、バスケを一緒にしたこと、卒業式の後一緒に帰ったことも、忘れたことなんて無かったよ」
「佐山‥」
「繋いだ手が、とっても暖かかったこともね」
「佐山‥俺は、俺は、あの時手を繋いで歩いてくれたこと、あれは佐山の同情で俺のことなんて何とも思って無いって思ってた。だって最後のバスケを一緒するまで、佐山とは殆ど話したことも無かったんだから」
「確かにそうだね、でも、わたしは最後のバスケをしたあの時から‥篠田のことを意識したよ」
「佐山、それ本当?本当に?」
「うん‥そうじゃ無かったら、手を繋いで歩いたりしないよ、わたしもずっと篠田を忘れられずにいた。高校で同じクラスになって嬉しかったけど、彼女がいるって思ったから、話し掛けることが出来なかったんだ」
「俺は今でも佐山が好きだ、佐山は俺のことどう思ってるのかな?」
「‥試してみたらわかるよ」
そう答えると、彼は少し考え込んだ表情をした後、わたしの手を取って優しく握った。
あの時のように彼の手を握り返した。
「佐山‥これが答えなのか?」
「うん‥わたしも篠田が好きだよ、だからこの手は離さないからね」
「佐山、俺はこうやってずっと佐山の隣にいるから‥今日はあの日とは違って佐山の家まで手を握ったまま送るから、いいよな?」
「うん、よろしくね」
「佐山、ありがとう」
「お礼を言うのはわたしの方だよ、今日久し振りに篠田と一緒にバスケをしたでしょ?」
「ああ、俺、とても嬉しかったよ」
「わたし、篠田とバスケしてわかったんだ」
「何を?」
「わたしは篠田もバスケも大好きなんだって、だからこの足が治ったらバスケ部に入ろうと思う」
「佐山にはバスケの才能あると思うよ」
「どうかな?でも吹奏楽部でトランペット吹くより、バスケのほうが自信あるかな」
「俺もそう思う、佐山が吹奏楽部なんてガラじゃ無いよ」
「言ったな!篠田」
「ハハハ、ゴメン!」
繋いでいる彼の手の暖かさはあの時と少しも変わらなかった。
雨は殆ど止んで空には虹が見えていた。
「篠田見て!虹が出てるよ!」
「ああ、綺麗な虹だな!」
わたしの左手は彼の右手にしっかりと握られたまま、わたし達は足を止めて、しばらく空に掛かった虹を見ていた。
−終わり–
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