6-4 陽奈の告白

「――立花先輩は私の噂を知っていますよね? 私は、高校に入ってからずっとイジメに遭っていました。理由は……、今でもよくわかりません。そのせいで友達もできずにずっと独りでした。人間っておもしろいですよね。元々おしゃべりは得意ではなかったのですが、ずっと人と話していなかったら、全然話せなくなって……。口とかがほんとに開かなくなるんです。食事のときとかは大変でした。あ、すいません。脱線しました。それで、私が二年のときです。


 当時私は、近所の植物園に足を運ぶのが日課になっていました。なんかすごいなって思ったんです。動物は結局、他の生き物を殺さないと生きていけないのに、植物は太陽の光と水だけで美しく咲くことができるんです。あ、すいません。また脱線しましたね。そこでよく植物の絵を描きにきている男の人と、ふとしたきっかけで知り合いになりました。私は嬉しかったんです。久しぶりに人と会話することができて――。しばらくして私はその人と付き合うことになりました。その人は、立花先輩もよく知っている人です。――小鳥遊、大輔先輩です」


 弘瀬は予想だにしなかった人物の名前に、驚きを隠せなかった。当然そこで出てくるのは、優一の名前だと思ったからだ。


「小鳥遊先輩は私の学校の三年生でした。学校ではお互い知らないふりをしようと、私のほうから言いました。イジメに遭っている自分を知られたくなかったからです。ですが、やっぱり隠し通せなかったみたいです。あの日、噂になった二年前の事故の日。私は北新地駅でイジメを受けていました。……小田博子さんって人にです。もしかしたら知っているかもしれませんが、そこで起こった事故の被害者です。彼女の家はその路線なので、よくそこに呼び出されていました。何かおもしろくないことがあったらしく、いつもよりも執拗なイジメに遭っていました。


 電車が来たので、私はようやく解放されました。私はその路線ではないので、改札口から外に出ました。そしたら、電車が急ブレーキを踏んだかのような音を出して、次にぼんって音が聞こえたんです。本当に、タイヤが破裂するようなそんな音でした。そんな状況になったら、意外とすぐにピンとくるものなんですね。私はもしかしたら、小田さんが電車に跳ねられたのかな、と思いました。だって、他に人はいませんでしたし。私は恐ろしくなりました。だって今まで普通に生きていた人が、ちょっと目を離した隙に死んでしまったなんて、何が起こったんだろうって思いました。信じてもらえないかもしれませんが、そのときはそれ以上の感情はありませんでした。彼女が電車に跳ねられて嬉しいとか、開放されたとか、本当にそんなことを思う余裕はありませんした。


 そのまま逃げ帰りたい気持ちも確かにありました。でも、気がついたら、私はホームへと戻っていました。そこで小田さんと思われる腕と、その近くで嘔吐している人を見たんです。それが小鳥遊先輩でした」


 そこで陽奈はいったん口を閉じた。ジュースを飲んで、気持ちを落ち着ける。


「なんでここに小鳥遊先輩がいるんだろう? 私はそう思いました。そしてすぐに、私がイジメに遭っていたことを知ってしまったんだなと思いました。小鳥遊先輩は私を見るなり力一杯抱き締めてきました。私は、『私が虐められているのを見たんですね?』と訊きました。そしたら小鳥遊先輩は、『いいんだ。もういいんだ。大丈夫だから、もう大丈夫だから』と言って、私をホームから連れ出してくれました。それですべてを理解しました。


 ――小鳥遊先輩が私を助けるために、小田さんを突き落としたのだと。


 幸いなことに運転手の人もその瞬間を見ていなかったみたいで、小鳥遊先輩が犯人扱いされることはありませんでした。でも私が小田さんと一緒にいたという事実は、噂のような形で周知の事実になっていて……。隠し通すのは無理だと思った私は、小鳥遊先輩のことは伏せて、警察にありのままを話しました」


 弘瀬はあまりにもショッキングな事実に声を出すことさえできなかった。

 二年前の事件の真犯人が大輔だったなんて、夢にも思わなかった。


 そして陽奈はこの二年もの間、大輔を庇い続けて、身に覚えのない中傷を受けてきたのだ。すると陽奈がこの大学に来たのは、大輔の後を追ってなのだろうか?


 そんな弘瀬の思いを察したかのように、陽奈は話を続けた。


「あの日から小鳥遊先輩とは段々と会わなくなりました。秘密を守るという理由もあったと思います。けれどそれよりも、あの日のことをなかったことにしたいという気持ちのほうが強かったのだと思います。向こうはちょうど受験の時期だったし。


 小鳥遊先輩が卒業後どうされたのかは、あえて調べませんでした。だから、大学で再会したときはお互いに驚きました。そのときは過去の話はしませんでした。ただ、友達づくりに慣れないようなら、自分のつくったサークルに入らないかと誘ってくれました」


 弘瀬は申し訳ない気持ちになった。再会は偶然かもしれないが、二人の間にはまだ繋がっているモノがあるような気がした。そこに自分は、厚顔にも踏み入ってしまったのかもしれない。


「……俺は二人の仲を邪魔したのかな? それならごめん。なんにも知らなくて――」


「いえ、それは違います」


 陽奈が静かに首を振る。


「立花先輩と付き合うようにと、薦めてくれたのは小鳥遊先輩です。たぶん私の気持ちに気づいていたんだと思います。私が小鳥遊先輩に抱いていた気持ちは、恋ではなく、寂しさを埋めてくれるだけの友情だったことに――。ですから、よりを戻そうというような話は出ませんでした。小鳥遊先輩は、私が犯人扱いされたことがショックだったらしいです。『守ってやれなくてすまなかった。味方になれなくてすまなかった』って、言ってくれました。


 イジメから開放してくれただけでも十分だったのに……。だから、自分は私と付き合う資格はないのだとも。でも、立花先輩はまっすぐな奴だから、最後まで私の味方になってくれるって言ってました。……本当でしたね。でも、誤解しないでください。私はちゃんと自分で考えて付き合うことにしたんです。立花先輩のまっすぐに人を信じられるところが、好きなんです」


 そうして陽奈の話は終わった。彼女の表情はどこか満足気だった。


 陽奈はジュースを飲もうとして、それがすでに空になっていることに気付くと、恥ずかしそうに笑った。それは女の子らしい、愛らしい笑顔だった。


「そろそろ俺のことを話そうか。たぶん予想はついていると思うが……」


 優一はそう言ったが、弘瀬にはさっぱり検討がつかなかった。彼が誰なのか未だに分からない。陽奈の話の中にも優一の話題は出てこなかった。彼は一体何者なのだろう。


 弘瀬は、ドラマなどで名探偵の口から真犯人の名前が告げられる瞬間のように、固唾を呑んで優一の言葉を待った。

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