天狗のしわざか

花井ユーキ

第1話 オレオとチャラ男と刺身

甘茶オレオの拳がベースボールキャップの少年の鼻を潰した。少年は溢れ出る血を慌てて押さえ後ずさりする。彼は細身のジョガーパンツを着ていた。細身のTシャツが鮮血で赤く汚れる。

「冗談は顔だけにしとけよチンカス野郎」

すかさず拳を握り直すオレオを見て、2秒ほどの戸惑いを置いて少年は逃げ去った。整った顔が恐怖に青ざめていた。

「…クソが」

オレオは長い金髪をかきあげ、地面に唾を吐く。瞳孔が開いた青い瞳を少年から逸らし、踵を返して早足で道を行く。金髪と黒い制服のスカートが風になびいた。

「腹減った」

金も無いし家に帰るか。

ムカついていてもお腹が空くオレオは中学2年生だった。長い金髪が街から浮いていた。彼女は整った顔つきをしていた、見た目は白人の美少女と言った彼女はよく男性に声をかけられる。彼女はそれがとても疎ましかった。見た目から勝手に可憐な少女と認識され取り敢えず声をかけられる。それが非常に舐められた行為だと感じていた。


「ただいま」

ささやかな庭付きの一軒家の扉を開け、靴を脱ぐ。白いナイキのエアーフォースだ。隣にはアシックスの安全靴が並んであった。

「おう、帰ったか」

居間にはちゃぶ台の前に座った角刈りの中年が振り返りもせずテレビを観ていた。ステテコと腹巻が良く似合っていた。

「ごはんなに?」

「刺身買ってきとるから。冷蔵庫から出して食いな」

「…はーい」

やった、刺身だ。オレオは少し上機嫌になって二階に上がって行く。自分の部屋の襖を開け、アディダスのリュックを下ろしブレザーをベッドに脱ぎ捨て、家着に着替える。上下グレーのPUMAのジャージだった。小さく豹の刺繍が入っている。


裸足で階段をドカドカ降りて台所の冷蔵庫を開ける。長方形の皿に刺身が練りわさびと共に盛り付けられラップがかかっていた。オレオは刺身の皿を冷蔵庫から取り出し、炊飯器からピンクのマイ茶碗にご飯を盛る。

「…いただきます」

箸を持ったまま両手を合わし、箸で刺身を掴み醤油につけて頬張る。わさびを少し乗せる事も忘れない。

マグロとハマチの刺身だった。とりわけハマチが好きなオレオは歯ごたえを楽しみながらゆっくりと味わう。新鮮なハマチはほんのりレモンの香りがすると密かに思っている。

「美味しいね」

「うまいだろ、市場で買ったんや。あら汁も食うやろ?」

「欲しいー」

中年はよっこらしょと座布団から立ち上がり台所へ向かう。鍋の蓋を開け木のお椀にハマチのあらともやしや大根をよそい、汁をかける。もわもわと湯気立つあら汁がちゃぶ台に乗せられた。骨を捨てる小皿も忘れていない。

「ありがと。お父さんは食べたの?」

「もう済んだ。ゆっくり食え」

中年はまるでじかんを巻き戻したかの様に同じポーズでテレビの前に座る。

「今日は仕事早かったんだね」

「ああ。建材のトラックが日にち間違えよってな、仕事にならんかったから切り上げたわ」

「へー、大変だね」

「たまには、はよ帰れるのもええな」

オレオの父親はテレビから目を離さないままごろっと寝転ぶ。小さな屁の音がしたが、オレオは聞き流した。テレビからは他愛のないカップラーメンやビールのコマーシャルが流れている。


「学校は楽しいか?」

「まあまあかな。あんまし楽しくはないかも」

「そうか、そんなもんやで」

「給食は美味しいよ。今日はカレーライスだった」

「飯食いに行ってるんちゃうからちゃんと勉強もせえよ」

「わかってるよ。ノートとかはちゃんととってるから」

「それやったらええねん…、ケンカとかしてるんちゃうやろな?」

「…してない」

「…今、嘘ついたな?」

オレオの父親が首だけ後ろを振り向いて目を合わせてきたので、オレオは少し気まずくなった。

「…ごめん。下校中に声かけてきた男子、殴っちゃった」

「…鼻折ったりしてへんやろな?」

「してないよー、軽くビンタしただけだってば」

ひたすら刺身を見つめて視線を逸らす娘から目を離し、彼は再びテレビに向き直った。

「オレオは女やねんから、あんまりわやするな。心配やろが」

「…ごめん」

「なんかあったら言えよ。飯食いや」


テレビからニュースの呑気なテーマソングが流れ出した。


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