終章
彼方へ1
翔空衛団の代表として降り立ったのはあのルチルだった。彼女は墜落したイクス王国の船と動力源だった《天空石》を回収した後、マギス・ロアでヴェルティから事情を聞いたらしい。オーディオンに転送され、乗り移ってきたセレスレーナたちもまた簡単な事情聴取を受けることになった。
日を跨いだ朝に全員がマギス・ロアの操舵室に召集された。
セレスレーナが奪った銃を受け取ったルチルは合点がいった様子だった。
「これはターレントーリスの技術だ。となると今回裏で動いていたのはあいつらだね」
それを聞いたディフリートもため息をついている。翔空衛団に敵対し、神々だという《蒼の一族》に成り代わりたいという者たちだ。
「翔空衛団としてはどうしてそんな人物と関わりがあるのか聞きたいところなんだけれどね? マギス・ロアのヴェルティ船長」
「先刻説明したように俺は顔が知れてるからな。情報交換を持ちかけられて有益だと思ったから乗っただけだ。少なくともその船はターレントーリスじゃなかったし、そのゼームスとやらには心当たりはない」
有益な情報とはディフリートの居場所だった。この空ではそうやって《天空石》に限らず欲しい情報を街や船で交換する。相手はふたりの険悪な関係とコルデュオルでの一件を耳に挟んで近付いてきたに違いなかった。恐ろしい組織だ。耳の速さから侮れない規模だということが分かる。
「そんな組織がどうしてこの国に介入したんだろう」
問いに答えてくれたのはルチルだ。
「推測はできる。この世界には《半天石》の鉱脈があるのさ。もちろんそれを利用する技術はまだ発達していない。こうした発展途上の世界から《半天石》を採掘しようとする輩は残念なことに山ほどいる。奴らが目をつけている世界の一つだったんだろう」
「情勢が混乱すれば盗掘もしやすくなる。空船や被造物を売りつけたのは実験の一つだったのかもしれないな」
「……神を気取る輩に国を滅ぼされかけたなんてひどい話」
セレスレーナの低い呟きにルチルは深く頷いている。
「そうならないように翔空士には決まりを守る義務がある。今回のことは発見が遅れて申し訳なかった。翔空衛団の代表としてこの通り、謝罪する」
帽子を取って深々とお辞儀をされ、慌ててしまった。
「わ、私に謝られても……頭を上げてください」
「おおまかな事情はシェラとカジからも聞いた。異世界人の介入によって事象がねじ曲げられたなら、翔空衛団としてはあんたとあんたの国に力を貸すこともやぶさかじゃあない」
頭を上げたルチルはがらりと真剣なものに口調を変えた。
「簡単に言うと、あんたの国が自立する手助けをするし、あんたが即位するのも手伝おう。その代わり、あんたが見聞きしたものはすべて忘れてもらう。異世界なんてございませんって顔で生きていってもらいたい」
「それは、なかったことにしろ、と……?」
「そういうことだ。記憶を消す道具があればいいんだけど、そんな便利なものはなくってね。あんたを信頼するしかない。その代わり、今後ターレントーリスに狙われるかもしれないあんたを守ると約束しよう」
ルチルの信頼する人物なら、セレスレーナの手助けをしてくれることだろう。千年生きたようなずる賢い輩を相手にしたとしても、異世界の知識もあるから国をよりよい方法へ導くための知恵を授けてくれるはずだ。
国を守りたいという気持ちで戻ってきたのだから願ってもないことだ。なのにすぐ返事ができない。それを見透かしてルチルがいった。
「数日中に答えを出しておくれ。あたしたちは本来ならここにいるべきじゃない人間だ。その時が来たら速やかにここを去り、二度とやってくることはないだろう。よく考えるんだよ」
そしてルチルは全員を見回し、強い口調で告げた。
「空の妖精にまつわることは神の領域に近い。迂闊に手を出せばあんたたちに危険が及ぶだろう。この件は翔空衛団が引き受ける」
空の妖精らしきものと遭遇したことやセレスレーナに宿ったと思われる力について聞いた、翔空士をまとめる長の懇願だった。
セレスレーナはそっとディフリートを見たが、答えを出せるのは自分だけなのだと、そっと胸を押さえた。
セレスレーナはひとまず叔父を訪ねた。城が落ちる夜に異世界に飛んだため、自分は行方不明ということになっているはずだったからだ。王太子の代わりに執政を取り仕切っているはずの叔父マリオに無事の姿を見せて、状況を聞こうと考えた。
マギス・ロアからオーディオンに移ってから転送装置で近くまで送ってもらい、徒歩で屋敷にたどり着くと、門衛はこちらを見た後驚愕の表情になって慌てて内に知らせに行った。
「セレスレーナ! お前かい!?」
家宰の制止を振り切って現れた小柄な叔父に微笑んだ。
「ただいま戻りました、叔父上」
慌ただしく屋敷に招きながらマリオはセレスレーナの話を聞きたがったが、旅のことは親切な人に会って匿ってもらっていたのだと説明するにとどめた。色々なところに言ったのだという話をすると、それを聞いたマリオは深く椅子に身体を沈みこませ疲れたように顔を拭った。
「本当によく無事で……城の者たちは誰もお前の行方を知らないというから、嫌な想像までしてしまったよ」
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。……あれから国はどうなったのですか?」
城が落ちた後イクスによって占領されたジェマリアは、属国となることに同意し、兵たちの引き上げを待っているところだったという。イクスの特使やサージェスはセレスレーナを引き渡すことを強く要求したそうだが、マリオは行方が分からないと言って突っぱね続けたため、決着はつかないままだった。そうしているうちにサージェスが、セレスレーナとの婚姻によりジェマリアを治める旨の通知書をよこしてきたので仰天したという。だがその知らせを塗り替えるように今度はイクス城が落ちた知らせが届き、両国の話し合いは宙に浮いたままになっているが、少しずつ変化の兆しが表れているらしい。
「イクス王国ではカルマン王とサージェス王子が大怪我を負ったとかで、従弟に当たる公爵がジェマリアと友好関係を築くために尽力してくださっている。もう二度と城が落ちるようなことはないはずだ」
「よかった。それを聞いただけでも戻ってきた意味があります」
するとマリオは誰もいないはずなのに人目をはばかるように声を落とした。
「噂を聞いたんだが……お前がイクス城を落としたという……」
天罰を下しにセレスレーナが現れた、というところまで話が大きくなっているらしいが、微笑むだけにしておいた。
その様子を見たマリオはしげしげとセレスレーナを見て、切なそうに言った。
「なんだか変わったね、セレスレーナ。いくつも年上になったように見える」
「そうですか? 自分では分からないのですが」
「お前を助けてくれた人がよかったのだろう。いろいろなところに行ったと話していたが、それがお前を大きくしたのだと思う。まったく未知の世界を知ることは、時に自分を大きく成長させてくれるものだ」
まるで分かっている口ぶりだったのでじっと見つめていると、マリオは照れたように頭を掻いた。
「いや実はね、お前の母親レナグレースが言っていた。『この子は空の妖精に愛されている。きっと空に導かれるでしょう』……だから国王であるお前の父も、いつかお前がいなくなるような気がしていたようだよ。立太子の儀式は失敗に終わったけれどほっとしていた」
「ほっとしていた? ……失望していたの間違いでは」
今更に傷口をえぐられるような思いをして尋ねると、首を振られる。
「『王妃の言っていたことは本当だった』と言って、気持ちを新たにしたそうだ。いつかお前は国を出て行く、その時までに自分の持てるすべてを教え、あらゆる術を身につけさせて、どこへ行っても生きられるように鍛えるのだ、と」
厳しい父だった。そして自分は、そんな父に認めてもらいたくて必死になっていた。周囲の期待に自分を押し殺して、言いなりになるようにして尽くした。
だがそれがひとつの愛情だったことに気付かされる。
「……不器用な方」
本当なら、抱きしめて、よくやっていると撫でてほしかったし、立派だと褒めてもらいたかった。優しさよりも厳しさを優先させてしまったことはセレスレーナにとって不幸だったかもしれない。けれど厳格であった父が自分を思ってくれていたことを知って、ようやく身体が楽になった気がした。
涙をこらえながらセレスレーナは尋ねた。
「叔父上……私、選びたい道があるんです。許されないことは知っています。これでいいかと迷う気持ちもある……けれどここで選ばなかったら一生後悔する」
マリオは目を細めて言った。
「国のことは心配いらない。けれどお前が戻ってきたとしても前のようにはいかない、王女として生きることはできなくなるということは覚えておくんだよ」
厳しいことを言うようでいてどこまでも優しい叔父に何度も感謝して、セレスレーナは屋敷を後にした。
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