空の妖精と《天の石》8

『みんなの期待に応えたかっただけなのに。みんなに喜んで欲しかっただけなのに……』

 虚鳥が鳴く。セレスレーナの悲しみを煽り立てるかのように、そうだお前が悪いのだと叫んでいる。

『あんなに頑張ったのに。言われる通りにしてきたのに。どうして私を認めてくれないの……?』

「レーナ!」

 ぎゃあぎゃあぎゃあ、と泣き喚く鳥の声に邪魔されてディフリートの声は届かない。どうやらやつらはディフリートをセレスレーナに近づけたくないようだった。

(やるしかないか)

 この空間で傷を負えばどうなるか分からないが、嬉しい状態にはならなさそうだ。

『私はいらない人間……』

 その声を聞けば、戦わない理由などないのだ。

 銃を取り、走り出した。

『みんなのためになりたいと思ったのに、出しゃばりと言われて。望まれたことを果たしただけなのに、ご機嫌取りと言われて』

 空へ飛び立つ前に脅威になりそうな中型の虚鳥を撃ち、飛ぶのではなく太い足でこちらに向かってくる大型を避けつつその動きを見極める。小型の攻撃を受けるのは仕方がない。すべてを撃ち抜くまで銃の《半天石》が保ってくれそうにないからだ。

『できることをやっただけなのに優越感に浸りたいのかと言われて。目立ちたがりだと叩かれて。その立場にいるからやっているだけのことを、認めてもらいたいから頑張っているのだと言われて』

「ぐっ」

 意外に動きの速い大型の体当たりを避けた瞬間、中型に視界を潰される。それを追い払ったかと思ったら大型が迫ってきていた。両の翼を広げて地面を揺らしてやってくるそれに銃を向けるが、羽を打ち抜こうともびくともしない。逃げきれなかったディフリートは翼に身体を打たれ、転がった。

『何をやっても好かれないなら……私、どうしたらよかったんだろう……何もしなければよかったのだろうか……』

「そんなわけ、ないだろうが!!」

 手を突きながら吐くように叫ぶ。

 何もしなければよかったなんて、あるはずがない。

「あんたがやりたかったからやったこと、あんたの心がそうしたいと思ったこと、その声に従って誰かを助けたんなら誇っていい! 本音がどうであっても助けたことには変わりがない。あんたが動いたことで救われたやつがどこかにいるんだ!」

 向こうに飛ばされた銃を拾おうと、ディフリートは短剣を手に虚鳥に立ち向かった。とても大型の相手はできないため、みっともなく逃げ回ることしかできない。

 その姿は無様だろう。だがそれがなんだというのだ。上手く立ち回るだけが正しいと、どうして思うのだ。最も大事なのは自分の心、思いを守ること。誰かに誇れる自分であることだ。

「出しゃばりだったかもしれない。ご機嫌取りをしたかもしれない。優越感に浸ったことも、目立ったことで満足したこともある。――誰だってそうだ。役に立てたら、認めてもらったら、嬉しいに決まってる。ここにいていいんだと思えるからだ。あんたはずっとそうやって『ここにいていい』と言ってほしかっただけだろう!?」

 拾い上げた銃と短剣で再び応戦する。少しずつ宝物庫との距離は縮まっていた。そうしながら叫んでいるこの声が届いているかどうかはわからないが、それでもディフリートは呼びかけ続けた。

「みんなのためだって言って自分に嘘を吐き続けても! できることをやっただけだと言いながら聖人を気取っても! 本当のあんたは俺が見つけてやる。あんたがすぐに見失う本当の心を、俺がちゃんと守ってやる。だから――!」

 がちり、と錠が落ちる音がした。

 宝物庫の分厚い扉から光が溢れる。その光は幾重にも迸り、虚空に巣食うなにものでもない影たちを射抜いていく。

『やっとあなたを手に入れられると思ったのに――』

 後ろからそんな声に囁きかけられた気がして振り向いたが誰もおらず、そこにあったはずの城の景色は放たれた光に白く塗りつぶされていくところだった。

 消滅していく鳥たちは塵も残さず消え、後には汚れたディフリートだけが残された。

 開かれた宝物庫に向かったディフリートはそこに膝を抱えてうずくまる彼女を見つけて、言った。

「……あんたは宝物なんだよ、レーナ。何もせず見ないふりをしなかった、それだけであんたは気高い」

 ぴくりと小さな肩が揺れる。恐る恐る顔を上げたセレスレーナに、思わず笑みがこぼれた。

「やっぱりこの国は生きた人間を宝物庫に入れておくんだな?」

 泣き笑いの表情に思いがこみ上げる。

「かわいいな、あんた」

 そう、最初に見たときから。

 ディフリートにとって、セレスレーナはずっと宝物のような女の子だったのだ。


 セレスレーナはその笑顔を見て、恐れていた心がゆるりと溶け出すのを感じた。勇ましいことを言っておきながら結局つまずき、閉じこもるしかなかった自分をやっぱりディフリートは助けてくれた。そうして誇るでもなくこうして軽薄な口調で軽々しいことを言うのだ。

 そんなところが好きだと、強く思った。

「……馬鹿」

 ディフリートは笑って手を差し出した。その手につかまって立ち上がったセレスレーナは一度唇を結び、言った。

「あなたの声が、聞こえた」

 詫びればいいのか決意を口にすればいいのか。どれも本当ではない気がして口ごもる。

「何度だって迷っていいんだ、レーナ」

 すると分かっているとディフリートは頷いた。

「変わろうとして、変われなくて自分の心に何度嘘をついてしまっても、繰り返すことでいつかは変われる。それを信じればきっと大丈夫だ。その過程で出会いと対話を重ねることで、あんたのことを好きになってくれる人はこれからどんどん増えていく。世界は広いんだから、怖がらなくていい」

(私を好きになってくれる人……)

 もしそうなればなんて、素晴らしいことなのだろう。

 いつか出会うかもしれないその人たちのために、セレスレーナは頷いた。

「あなたみたいになる。昔の自分に戻りそうになっても、変わることを諦めない。なりたい私になるために」

「楽しみにしてる」

 その励ましに後悔が恐れが和らいだときだった。足元にゆれるものが見えて視線を向けると、ディフリートは声を上げた。

「あっ、こいつ」

 見つけられたことに驚くかのようにふわっと浮かび上がったそれは、ふたりの肩のあたりをくるくる回った。小動物のような異世界の生き物かと思ったが、ディフリートも戸惑った顔をしていた。

「これ……何?」

「わからん。でもあんたがいるところまで案内してくれた。悪いやつじゃないと思う」

『わたしはあなたたちの味方よ』

 途端その光は大きく伸びたかと思うと十代半ばの少女の形になった。影の中に浮かび上がるかのような淡い人影の顔は判別できなかったが、長い髪を持つその形にセレスレーナは息を飲んだ。

「どうした、レーナ」

「あなたはもしかして……立太子の儀に現れた幽霊では?」

 ディフリートが目を見開き、少女の影は笑っていた。

『ええ、わたしは昔のあなたに会っている。あの時は驚かせてごめんなさい。でもどうしても隠れなくてはならなかったの。《天の石》を狙う人たちにわたしのことを知られるわけにはいかなかったから』

《天の石》とは《天空石》のことだろう。それを狙うとすれば翔空士だ。イクス王国でのこと、ターレントーリスのことを思い出したセレスレーナの思考を読み取ったかのように、彼女は頷いた。

『あのときあなたが飲み込んだ光、《天の石》の力はわたしなの』

「あんたは誰なんだ? こんな幻の世界で虚鳥に襲われ、自分は《天空石》の力だっていうあんたは」

 少女の光に包まれた両手が小さく組み合わされた。まるで祈り乞うように。

『わたしはアリアマーレ。《天の石》の守り手であり、砕かれた石に宿るもの。力の源』

 セレスレーナは翔空衛団の紋章を思い出し、ディフリートは呆然と呟いた。

「空の妖精……?」

『ここは、石の力を取り込んだセレスレーナが作った世界よ。《天の石》は望む者の願いを叶える、世界だって作ることができるもの。ただ彼女に宿った力は小さなものだったから、狭く不安定な幻の世界になっているけれど』

 そう言って彼女は哀切を帯びた声で訴えた。

『あなたたちが空を翔ける人たちならどうかお願い、《天の石》を守って。あの石が悪用されることがあれば、さっきのように虚無の世界のものたちが溢れ出し、連なる世界は消えていってしまう。《天の石》を汚してはいけないの』

 ふっと足が浮く感覚があり、セレスレーナは小さく悲鳴をあげた。いつの間にか宝物庫であったはずの場所は白い光に包まれてしまっている。慌てて抱き寄せてくれたディフリートに掴まった。

『困ったときにはわたしの力を使って。あなたにはそれができるから』

「できるって、どうやって!?」

 気配は次第に遠くなり、声は何を言っているかわからないほど小さくなっていた。けれど最後に一言だけ聞こえた――「あなたはひとりぼっちじゃない」という声が。


 はっとした瞬間黒煙になぶられ、セレスレーナは自身を支えるディフリートと顔を見合わせた。そこはイクス城の城壁。遠くには墜落した空船の煙も立ち上っている。

 どくりどくりと緊張が這い上ってきたが、ディフリートに強く握られた手に励まされる。

(できるかどうかはわからない。けれど)

 胸に手を当てると声が聞こえるような気がした。

 ――形はなんだっていいの。あなたの思う方法で願えば、空はきっと応えてくれる。

 ディフリートに微笑みかけたセレスレーナは、彼から少し距離を取ると、その場に膝をついて両手を組み合わせた。

 祈りの言葉はすぐには思い浮かばなかったが、空の妖精――この世界でいう空の女神のことを思えば、彼女を讃える語句がふさわしいと気付けた。

 古い言葉で祈りを唱えていると、声が重なる。

(どこからか歌が聞こえる)

 気付けば同じ歌を口ずさんでいた。

 セレスレーナの知るどの古い言葉でもない。けれど彼女の由来を思うならそれはこの世界、連なるすべての世界に運ばれていった最初の言葉だ。祈りに添うものならこう歌っている。

 ――天の水よ、降り注げ。炎を鎮めておくれ。

(どうかお願い、応えて――)

 祈りと歌は天に昇る一筋の光になった。

 かっ、と空が吠える。稲妻が閃いたかと思うと雲が集まり、湿った風が吹き始めた。

 その後は、まるで盥をひっくり返したかのような大雨になった。

 周囲は水の膜で真っ白になり、炎がみるみる鎮まっていく。

「レーナ、見てみろ」

 焦げ付きと水のにおいがする闇の中で、獅子の形をした光が踊り、小さな球体になると天に昇っていく。

(空に帰っていくんだ)

 ありあ、と喜ぶ獅子の声が響いた、その向こうの空に、うっすらと浮かび上がる巨大な帆船の姿を捉えてディフリートがほっとしたように言った。

「翔空衛団だ。事態の収拾に来たんだろう」

 そうして天の水を浴びるセレスレーナの胸の光も消えていく。


 後日、神の力を不当に手にしたイクス王国と敵国の城を身を呈して救ったというジェマリア王国王女セレスレーナの噂は、止める間もなく急速に広がっていったが、このとき、セレスレーナを満たすのは「なんとか守りきれた」という静かな充足感だった。

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