空の妖精と《天の石》6

 文字が浮かんでいた画面が切り替わり、赤く燃える城塞が映し出された。

 城だけでなくかなり広範囲にわたって火事になっているらしい。ひどい状況だ。

「どうしてこうなったか説明してもらいたいんだが」

 ヴェルティの要求に頷き、セレスレーナは連れ去られてこの城で目覚めたことからのことを話した。サージェスとの口付けはもちろん省いたが、彼の名前を出すと恐怖に似た落ち着かなさがあって眉が寄ってしまう。

 聞き終えたヴェルティが最も気になったらしいのは、セレスレーナに思いがけないところだった。

「その獅子、『ありあ』と言ったのか」

「聞き取れた限りは。それが重要なの?」

「俺たちにとっては馴染み深い。『ありあ』というのは、空の妖精の名だ。空の妖精アリアマーレ。《天空石》を守っていた《蒼の一族》の少女だと言い伝えられてもいる」

『ありあ』と聞いて翔空士たちが真っ先に思い浮かべるのがそれらしいが、異世界の存在を知って間もないセレスレーナには思いつかなかったものだった。そして商人に言ったことが真実なら、立太子の儀式に現れたあの幽霊はそのアリアマーレだということになる。

「その獅子が《天空石》の力で動くなら、間違いなく《蒼の一族》の被造物だ。ならあの破壊力にも納得がいく」

「被造物?」

「簡単に言えば、神々が作った永遠に動く人形だ。兵器ともいう」

 兵器という言葉にぞっとした。

「止める方法はない?」

「《天空石》が砕かれたことによって活動を停止していたものが目覚めたなら、《天空石》がある限り止まらないだろう。止めるならあの獅子を破壊するしかない」

「商人は、私の血が《天空石》の力を操ってあの獅子を動かしていると言った。なら私が命令すれば」

「その力の制御の方法を誰も知らない。姫さんが制御方法を習得するまで待つのは危険すぎる。それに何度呼びかけても聞かなかったんだろう? あの獅子はすでにどこか故障しているのかもしれない」

 破壊するしかないとヴェルティは言う。そうすべきだと思うけれど、作り物とは言え言葉を発するものを壊してしまうのは気が咎めてならなかった。

「破壊すると言っても、具体的にどうする?」

「マギス・ロアで射撃する。うちの狙撃手なら被害を最小限にして撃ち落とせるはずだ」

 ディフリートの問いにヴェルティは難なく答えた。

 どうやら彼に頼るしかないようだ。そう結論を出したセレスレーナはまっすぐに彼を見つめて言った。

「あなたを力を借りたい。けれどその前に、出来ることをやらせてほしい」

 光を放つ胸元を押さえて告げる。

「最後にあの獅子を説得したい。地上に降りてあの子に呼びかける。それでも止まらないときには、……仕方がない」

「地上にはお前を狙っている奴らがいるんだろう。うちは護衛まで出すつもりはないぞ」

「俺が行く」

 自分でなんとかすると答えるつもりが、ディフリートが前に立った。

「俺が行くなら文句はないだろう」

 やれやれとヴェルティは肩をすくめた。

「オーディオンにつなげ」

 乗組員によって通信が接続されたが、応答する声はびっくりするほど不機嫌だった。

『……こちらオーディオン』

「よお、シェラ。まだその船に乗ってるのか。そろそろこっちに来ないか?」

『用件がそれなら切るわ』

「もう一つ大事な話がある。作戦概要を説明するから聞け」

 これからセレスレーナとディフリートが地上へ向かい、獅子の暴走を停止させるよう試みる。停止不可と確認された場合、マギス・ロアが射撃を行う。射撃準備が開始された時点でオーディオンはセレスレーナたちを転送し、回収が確認された後射撃を行う。

『こっちはディーとレーナを捕捉し続けて、時機を見て転送すればいいのね。分かったわ』

 準備は整った。セレスレーナはディフリートとともに再び転送装置のある部屋に向かい、地上へ降りることになった。

「レーナ。これ持っとけ」

 そう言って渡されたのは、さらわれたときに落としてしまったディフリートの剣だ。自分のものではないはずなのに、手にするとしっくりと馴染んで、心がまっすぐになるような感覚を覚えた。

「借りるわ。銃を使って私には合っていないと思ったところだったから、ありがたい」

 剣帯をきつく締めていると、操舵室から声が届いた。

『宣言後、現時点で残存している最も高い建物へ、三十秒で転送が開始されます。……ディフリート、ちゃんとその子を守ってやるんだぞ』

「言われなくても分かってるよ」

 むっとしながら言い返したのを聞いて、通信機の向こうの男性は笑っていた。

『秒読み開始。三十、二十九……』

「この船の奴ら、顔見知りだから俺のことをまだ新米扱いするんだ」

「ここがヴェルティ氏の船だと分かってびっくりした。仲が悪いんじゃなかったの?」

 秒読みの声が『……十八、十七……』と続いている合間に問うことではなかったかもしれないが、ディフリートは複雑そうながらも答えてくれた。

「昔は仲が良かったんだ。でもいきなりあいつが態度を変えた。俺がアーヴレイムの王子だって知ったからだ。そういうことで差別しないって言ってたくせに」

 つまり仕返しとばかりに険悪な態度で応じているらしい。だが、ん? と思う。ヴェルティの家族から聞いた話を齟齬がある気がする。

「ちょっと待って、あなたたちお互い勘違いしていない? 私はさっきマリーヤさんから船長……ヴェルティがあなたの素性を知ったときのことを聞いた。衝撃を受けて荒れたって」

「マリーヤに? 荒れたって……」

「どうして言ってくれなかったって気に病んだらしい。ねえまさか、そのことが原因でお互いに『向こうが態度を変えた』って思い合っているんじゃ……」

『……三、二、一』

 礫を食らったようにディフリートが目を丸くして何か言いかけるのと、秒読みが終わったのが同時だった。周囲の景色が白く染められ、意識も真っ白になる。


『――……りあ、ありああ、ああありあああああああ!!』

 そうして絶叫のような呼び声を聞いた。

 気が付けばセレスレーナは城の外壁に当たる部分にディフリートと降り立っている。城内は火の勢いが凄まじいらしく黒煙によってほとんど見えなくなっており、外にまで回った火によって、立っているだけで前後左右から炎に炙られるという危険な状態だった。

 くらりと目眩がしたのは過去の光景が重なったからだ。

 すると、ぽん、と背中に手を当てられた。ディフリートの手だった。

 しっかりしろと言われている気がしたので彼に向かって頷くと、笑みを返してくれる。それにまた笑みを返して、獅子を探した。

 壊れたような泣き声が響いている。翡翠色の翼の光があるからどこにいるのかはすぐに分かった。あちらにいったかと思えば戻ってきて、向こうに行ったと思ったらまた同じところを飛ぶ。アリアマーレを探しているのだ。

『ありああああああああああ……!』

「ここよ――!」

 ディフリートがぎょっとするのに構わずセレスレーナは叫んでいた。

「私はここにいる! いらっしゃい、もういいのよ――」

 獅子の声があまりにも悲痛で、辛くて、早くなんとかしてやりたかったのだ。両手を広げて呼びかけると、獅子が首を巡らせた。羽ばたきがふらついているのは矢を受けたかららしい。獅子を止めようと地上から矢を射ったのだ。

『ありあああ、ありああ……』

 まるで幼子が泣きながら駆け寄ってくるようだった。声は少しずつ小さくなり、セレスレーナの前にやってくる頃には落ち着きを取り戻したようだった。

『ありあ……』

「『ありあ』は大丈夫だから、攻撃を止めて」

『ありあ……守ル……』

「もういいの。もう、」

 そのときディフリートの腕輪が光った。

『逃げろ、ディー!!』

 ヴェルティの警告を聞いたディフリートは素早かった。セレスレーナの腕を掴み、逃げるのは間に合わないと思ったのだろう、腕に抱えて自分の身体で庇おうとした。セレスレーナは、押し倒されながら空に浮かんだ小さな船の底についた硝子球が、こちらに向かって光を放つのを見た。

 あの光を受ければ助からない。燃え尽きるのだ、跡形もなく。

 それを可能にするのがイクス王国が手にした異世界の船だった。頭上が白く染まっていくのに死を覚悟した瞬間、ふと視界に黒い影が生じた。

 獅子だった。

「あ――!」

 声を上げた瞬間、獅子が船から発射された光を浴びた。

 その身体すべてでセレスレーナに降り注ぐはずだったそれを受け止めきる。

『ありあ、守レタ』

 満足げなその言葉を残して、獅子は塵になった。

 彼を作っていたものがぱらぱらと降り注ぎ、セレスレーナの口から衝動のように声が漏れた。

 再び空が光り、イクスの船は撃ち落とされて地に堕ちていく。

「あ……ああ……!」

 アリアマーレを守る、ただそれだけを望んでいたのに、彼女に会うことなく消えてしまった、そのやるせなさ。力が及ばなかった自分への怒り。異世界の力を無造作に扱った者たちへの憎しみ。すべてが混沌とした渦になっていく。

 ――ああ私は何も救うことはできない……。

 心臓がぎゅうっと握りつぶされたような痛みを覚えた。めまいがして吐き気がこみ上げる。音がたわみ、視界が黒く塗りつぶされる。獅子が動き始めたときと同じだ。世界にまるで一人きりのように、何も聞こえず見えなくなる――大事にしていたものが壊れていく恐怖と、冷たいほどの怒りがこみ上げる。

 ――どうして守れない。

 ――こんなにも私は弱い。

 ――力があったら。

 ――もっと力があったら。

「レーナ!?」

 ディフリートの叫び声が聞こえたと思った、けれど次の瞬間セレスレーナの意識は途切れていた。最後に見えたのは、胸から放たれた全身を包み込む光だった。

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