空の妖精と《天の石》3
空船で寝ていると動力の振動と大きな揺れを感じるものだが、それがなかった。ひっそりと静まり返っているどころか、夜の虫のりいりいという声すら聞こえてくる。薄目を開けたセレスレーナはそこが見知らぬ広い寝台であることに知り、起きたそぶりを見せないようにしながら人の気配を探った。
(誰もいない)
音を立てないよう起き上がり、自身を確認する。
左手の腕輪はなく、持っていた武器や道具類も見当たらない。さらにいつの間にか着替えさせられており、薄い紗のドレスになっている。手触りを確かめて眉を寄せる。着慣れた感触だったのだ。
寝台を降りて窓の覆いをめくると、闇の中に掲げられた灯火と城壁が見える。ますます疑いを強めたとき、扉が開け放たれた。相手を見てセレスレーナは顔を歪める。
「お目覚めかな、セレスレーナ。うんうん、そのドレス、とてもいい。最初に着ていたあんな小姓みたいな服よりずっと似合っている」
「サージェス王子……これは何の真似ですか。ここはどこです?」
故郷ジェマリア王国の隣に位置するイクス王国の王子は晴れやかに笑った。
「そんなに怖い顔をするものじゃない。安心しなよ、ここは我が国イクス。父上の手の者がお前を連れてきたんだ。誘拐犯に連れ回されていたんだって?」
ならば自分は、虚空域でさらわれた後ファルアルジェンナに戻ってきたのだ。だがその方法はと疑問は尽きないが、とにかく冷静でいなければならない。怯えた素振りを見せればこの男はあっという間に悪魔のようになって、逃げられないよう心を壊すはずだ。
「イクス王の手の者とは?」
「趣味の悪い商人さ。腕はいいけど感性がない。でなければジェマリアの首都を火の海にするなんて馬鹿げた真似はしないだろう?」
息が止まりそうになった。
サージェスはにやにや笑っている。
(今、何て言った……? 首都を……)
「来なよ。いいものを見せてやる」
無用心にも背中を向けられるが、武器になりそうなものは一つも見当たらなかった。燭台すらないのはここが牢獄の役目を果たす建物だからだろう。
これ以上動揺を見せてはならないと気を引きしめ、後に続く。
部屋を出るとお付きの者たちが背後についた。適度に距離を取られたため、間合いに入った途端腰の武器を奪う前に取り押さえられるだろう。もう少し機会をうかがうべきのようだ。
サージェスは鼻歌でも歌いだしそうな上機嫌で、城の奥にある真新しい建物に入っていく。後に続いた全員が入ると扉が閉まり、一瞬の暗闇の後、内部が赤く照らし出された。
巨大な影に足を止める。
「……これ、は……」
「ただの船に見えるだろう? でもこれは地上を一瞬にして焼き払う魔法を備えた、空飛ぶ船なのさ!」
オーディオンよりふた回り小型の川遊びで使うような帆船だ。だが前方部には船体の半分以上ある巨大な硝子体が取り付けられている。そのつるりとした美しさは異様だった。その奥で何かが瞬いているのだから。
(《天空石》!?)
「僕の言うことが嘘じゃないってことは、お前がよく知って、」
「あの船をどこで手に入れた!?」
掴みかかろうとしたセレスレーナは控えていた護衛たちに手を掴まれ、後ろへ捩じ上げられる。痛みに顔を歪めながらそれでも叫んだ。
「あれはあなたが使っていいものじゃない……!」
翔空衛団の長ルチルの言葉と翔空士手帳に記された掟を思い出す。
文化指数の低い世界に高度な文明を持ち込んではならない――この船は明らかに、別の世界で造られたものだった。
怯んでいたサージェスはセレスレーナがそれ以上近付けないことが分かったからか、息を逃がすようにはっと笑い、まったく謝意が感じられない口ぶりで言った。
「なんだ、怒ってるのか? 悪かったよ、僕がいたらあんな無粋な真似はさせなかったのに、父上ときたらあの商人に乗せられて試運転だとか言って、ジェマリアの首都を燃やしてしまったんだ。惜しいことをしたよ。他国といえど美しい街だったのに」
「自分たちが何を使っているのか分かって、痛……っ!」
苦痛に息が詰まり、膝が折れて崩れた。すると見下ろすようにしてサージェスが囁く。
「賢いお前なら分かるだろう、セレスレーナ? 僕たちはお前よりも強い。この船があればどんな国だって制圧できる。でも僕は優しいから降伏した人間は許してやるつもりだ。たとえ立太子の儀式に失敗した出来損ないの王女でも」
顎を掴まれ上向かされると、嬉しげな笑顔を目の当たりにする。
この男の初対面の印象を思い出す。立太子の儀に失敗した後の夜会で、みんながセレスレーナに哀れみや侮蔑を投げる中、舌舐めずりするような別種の感情を持ってこちらを見ていた姿を、まるで蛇のようだと薄気味悪く思ったこと。
「一目見たときから手に入れようと思ってたんだ。出来損ないでも関係ない。僕がお前に求める価値はそれじゃないから。綺麗なセレスレーナ、お前は無力に震えて僕に縋ればいいんだ」
素早く首を伸ばして指に噛みつこうとしたが、咄嗟に手を退かれてしまい、がちんと自分の歯が鳴るだけだった。
怒りと悔しさで全身が燃えそうだ。この世界に他の場所から危険な武器を持ち込まれたことも、サージェスたちがそれを使って優越に浸っていることも。こんなやつらのために首都が焼かれたのかと思うと無念でならない。
「獣みたいに唸るなよ。せっかくもっといいものを見せてやろうと思ったのに」
サージェスが合図すると、護衛のもう一人が壁際にある装置を動かした。じゃらじゃらと鎖の音がして中空にあったらしい床が降りてくる。セレスレーナたちの前に降下したその上には、寝そべる獣の彫像が載っていた。
金属片や石のかけらを張り合わせたようなそれは、翼のある獅子を模しているらしい。前足に顔を埋めるように俯せている姿で、関節部分が自在に動くように作られている。
「かっこいいだろう? これも例の商人が売りつけてきたものだ。お前の国の……なんだっけ? ああそうそう、星銀石だ。あの石があれば動くそうだよ。お前持ってるんだろ? 城中探したのに見つからなかったから」
さっと青ざめたのを勘違いしたのかサージェスは笑みを深くした。
「どこに隠した? 言えよ」
「……私は持っていない。ここにはない」
「誰に渡した?」
絶対に言うものかと黙秘を続けていると髪を掴まれた。
「っ……!」
「船は父上のものだけど、これは僕のものにしていいってさ。だからあの石が欲しいんだ。動くこいつを見てみたいんだよ。なあ」
(イクス王に近付いたその商人は翔空士だ。それも《天空石》に詳しい何者か。あの獣は《半天石》で動く道具と同じ原理で、《天空石》を使って起動するんだ。翔空衛団に……ディフリートに知らせなくては)
痛みに耐えながら問いを投げる。
「腕輪……私の腕輪をどこへやった?」
「知らないよ。それよりも僕の質問に答える方が先だろ」
にやついた口元に牙が見えた気がした、その瞬間――唇が重なったかと思うとべろりと舐め上げられた。
「想像していたとおりだ。甘くて柔らかいな」
いたぶるような粘着質な笑い方をしてセレスレーナの無力さを嘲る。
口付けひとつと笑おうとして、出来なかった。引きつった喘ぎが漏れ、血の気が引いて気が遠くなった。手足が力をなくしていく。怒りは嫌悪と恐怖に覆われ、まるで何一つ見えない暗闇の中に一人取り残されたように、自身の怯えた呼吸だけが響く。
「なんだ、そんなに驚いたのか? どうせ毎日のことになるんだから慣れろよ。すぐ結婚式だからな」
サージェスが何か言っているがよく聞こえない。うまく息ができないせいだ。
そんなとき、作り物の獅子がセレスレーナの視界に現れた。
彼は淡い光をまとっており、セレスレーナの息を取り込むかのように少しずつ息をするような鳴動を始めていた。その身体の内側に力が蓄えられていくのが感じられる。
獅子の心臓が光った瞬間、その目が開いた。
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