中継船団2
「ディフリートの船に新しい人間が乗るのはめずらしいんだよ。あそこはいつも同じ世界出身の顔馴染み三人でやってるからね。シェラは腕のいい航空士だし、カジも機関士として一流だ。ディフリートは若いがあの歳でよくやってるよ。やっぱり生まれ育ちかねえ」
そう言っている間に到着し、ディフリートはまだ書類をやりとりしていた。その隣で五つの石がはめ込まれた細い腕輪を受け取る。
「身分証、ならびに通信機です。翔空の際には必ず装着してください。使用方法は……」
「俺が説明しておく。書類もこれで終わりだな? じゃあ買い物に行くぞ、早く行かないと店が閉まっちまう」
「慌ただしいねえ。別にすぐ発たなきゃならないってわけじゃないんだろ?」
「さっきマギス・ロアが発ったって聞いた。そいつを追いかけたい」
張り詰めた横顔は彼の口にした何者かとの因縁を感じさせたが、ルチルは呆れたように大声で言った。
「好敵手もいいけど、くだらない喧嘩に新人を巻き込むんじゃないよ。分かってるだろうね」
そこでディフリートは思い出したようにセレスレーナの顔を見た。険しかった顔はみるみる余裕を取り戻し、軽薄にも思える笑みを浮かべるようになる。
「翔空士手帳はもらったか?」
「……え? ああ、ええ」
表情の変化に目を奪われて返事が遅れてしまったが、手帳をかざして見せると満足したように彼は頷き、ルチルに言った。
「ありがとう、ルチル」
「あたしは仕事をしただけさ。それよりも新米のこと、気をつけてやるんだよ。ターレントーリスがちょっと妙な動きをしてるからね」
「あいつらが何か企んでるのはいつものことだろう。具体的には?」
「《蒼の一族》の遺跡から何か掘り出したらしいことは聞いたかい? やつら、どうやらそれを動かす方法を見つけたらしい。あそこはあたしたち以上に進んだ技術を持ってるからそれは不思議じゃあないんだが、方法を見つけたなら次は実験に移すものだろう? それが終わったら実用だ。――どこかの世界が実験台に使われる可能性がある。そのうち戦争が起こるかもしれないね」
ルチルは声を落としたが周知の事実なのだろう。その場にいた人々が口を挟むことはなかったが、あの、とセレスレーナは手を挙げた。
「ターレントーリスについて教えてください。このままだと何に気をつければいいのか分からないので」
その世界の人々、例えばジェマリアの国民が知らないうちに外の世界からやってきたその者たちに利用されている可能性があるのだだと、セレスレーナは先ほどルチルに教えてもらったことを思い出しながら考えていた。
(外の世界に出たなら、知りたい)
そんな強い思いを見透かしたのか、ルチルは快く答えてくれた。
「ターレントーリスは、独自に《蒼の一族》について研究しながら被造物を収拾し、使用している。その目的は自分たちが《蒼の一族》に成り代わることだ。《蒼の一族》に従って秩序を守っている翔空衛団の敵対組織ってところだね」
(敵対組織……)
《蒼の一族》は神様だったと聞いた。ならそれに成り代わろうとしているターレントーリスはかなり危険な組織だと思われた。
「ターレントーリスはあちこちに配下を潜ませている。そうした密偵を使っていろんな翔空士たちに諍いを起こさせたり、言いなりにしたりしている。あくどい商売に手を染めてもいる。人身売買、やばい薬をばらまいたり、それこそ文化指数に見合わない武器や道具を持ち込んだりね。なんにせよ、この空で何かしようものなら、翔空衛団よりもターレントーリスの耳に入る方が早い」
「翔空衛団の長が団の尊厳が揺らぐようなことを言わないでくれ」
ディフリートは額を押さえながらルチルの話を遮った。
「やつらも暇じゃないからありふれた翔空士を襲うような真似はしない。警戒するに越したことはないが心配するほどじゃないだろう。ルチル、あまり怖らがせるなよ」
ディフリートは文句をつけたがルチルは何故かにやにやしていた。
「真っ当な翔空士はターレントーリスと関わらないって常識を教えただけさ。ディフリート、あんまり過保護にしてるとこの子は自分で立てなくなるよ。大事な空船に乗せるくらいだから可愛いのは分かるけどね」
「……可愛いのは否定しない」
「……は!? な、何言ってるの!? ……あ、分かった、新人として可愛いってことね!?」
お願いだからそう言ってと懇願するように念を送っていたのが通じたのか、ディフリートは頷いた。
「ああ、まあうん、そうだな」
「その歯切れの悪さは何!?」
「あっははは! 相性が良さそうで何よりだよ。あんたに新しい風が吹いたってことだね、ディフリート」
ルチルは目をきらりとさせた。
「その風は新しい世界を開いてくれるはずだ。大事にしてやりな。あんたもだよ、セレスレーナ。風の導きを見失わないようにすれば得難いものがあんたに与えられる。あんたたちに空の妖精の加護がありますように」
「あ……ありがとう」
強い言葉と目の輝きに見入ってしまったため、お礼を言うのが遅れてしまったが、翔空士をまとめる長らしいことを言ったルチルはにっと笑うと悠々と去っていった。
その姿が見えなくなると、セレスレーナはほうっとため息をついていた。
「どうした?」
「さすが長になるほどの人だと思って。私の母くらいの年齢なのに……」
「見た目はな。彼女は長寿種族だから見た目の倍以上の年を取っているはずだぞ。実年齢は誰も知らない、知ったやつは殺されるっていう伝説がある」
「長寿!? 倍以上って……」
「驚くことじゃない。亜人と呼ばれる人間と別の生き物両方の特徴を持った種族がいる世界だってあるんだ。亜種族の翔空士は多くないが、いつか出会うこともあるかもな」
くらりとかすかなめまいを覚えた。
(翔空士になってしまったけれど、私、もしかしてとんでもない旅をすることになってしまったんじゃ……?)
翔空衛団での翔空士登録はそんな風にして、初めての知識と驚きなどをもたらして慌ただしく終了した。
だから気づかなかった。世界中に散っている翔空士の数が膨大だということ、長といえどもその一人一人を記憶できるわけがなく、覚えられているディフリートたちは稀だということ。そして彼女が言った『生まれ育ち』が何を意味するのか。
買い物を終えたセレスレーナたちは、最低限の補給を終えるとすぐさまオーディオンで出発することになった。
「久しぶりに広い寝台で眠れると思ったのに」
シェラはかなり不満そうに、カジが作った夕食の蒸し野菜を食べていた。
オーディオンでの料理は当番制なのだそうだ。この船で生活するにあたって、セレスレーナは当分三人のうち誰かと朝食と夕食の調理に当たることになる。また洗濯は専用の装置があるが、干す作業があるというのでこれも何度か教えてもらってから当番に入る予定だ。掃除は自室だけ、そのほかの場所は停泊したときに掃除人に依頼するか、船長の判断で一斉に行うことになっているらしい。
ちなみに風呂が備え付けられており、棒状の機具を下に動かすと湯が出る。これを見たときは「なんて便利な魔法だろう!」と感動してしまった。しかし水には限りがあるので、風呂に入るのは週一回が限度と厳命された。
食事が終わった後は各々割り当てられた引き上げる。
セレスレーナの自室になる場所はまだ片付けられていないということで、しばらく寝起きはシェラと一緒だ。彼女の室内に寝台が二つ並ぶと圧迫感があり、平謝りするしかない。
そうすると自然と寝台の上がセレスレーナの居場所になるので、そこに今日手に入れた道具を並べていく。
「翔空士七つ道具じゃない。買ってもらったの?」
「買ってもらったんじゃなくて、代理購入。国に戻ったらちゃんと返済するわ」
手持ちがないのをディフリートは承知していて普通に支払いを済ませようとしたので、「買ってもらういわれはない」と主張したのだった。結局最終的にこの旅でかかった金銭を合計し、国に戻ったら支払うという約束を交わして書面にもした。それを言うとシェラは顔を背けてくつくつと笑った。
「あんたってほんとくそがつくほど真面目ね! そんなの適当に『ありがとう』って可愛く言って頬に口づけするなり抱きつくなりすれば終わるのに」
「くっ、口づけ!? できるわけないでしょう!? 私はそんな恥知らずじゃない!」
真っ赤になって反論したが「はいはい」とまったく心に響かない相槌を打ち、シェラは拡大鏡を手に取った。
「『ゾリスタンの手記』に小型拡大鏡に護身用の短剣……ふーん、結構いいもの買ってもらったじゃない」
「だから買ってもらったんじゃなくて」
反論しかけてふと気づく。
「七つ道具って言ったけど、三つしかないわ。残りは何?」
「あんたが持ってるその翔空士の腕輪とその翔空士手帳。あとは空船と遺書。それで七つ」
さらりと言われて聞き流しそうになってしまった。
「遺書?」
「翔空士はどの世界で死ぬか分からないから、遺書を書いて持っておくか船に置いておくのよ。見つけた翔空士が故人の遺志を叶えるのが決まり。だからちゃんと書いておきなさいね」
じっとシェラを見つめたがからかっている様子はない。どうやら常識らしい。もしかしてとんでもない旅を始めてしまったのではと不安になってきたが、顔色に気づいたシェラは苦笑して明るく言った。
「そんなに深刻に受け止めなくても大丈夫よ! 翔空士が死ぬのってほとんど調査されていない新世界か、ばんばん戦争をやってるような世界だから、少なくともあんたが乗ってる間はそういう命の危険があるようなところに行くことはないって。今向かってるコルデュオルだって水害は多いけど比較的安全なところだしね」
(でも武器の携帯は必須なんでしょう?)
ディフリートは短剣のほかに常時装備する長剣も購入していた。彼が持っている銃と呼ばれる筒状の武器は文化指数が低いと使用できないため、刃物を持つのが妥当だという。
だが購入した長剣はディフリートのものになった。ブランシュを助けるときに貸したものをそのまま使っていいと言って、セレスレーナに自分の剣を預けたのだ。そこに彼の意志を感じてなんとも言えない気持ちになる。私はそこまで誰かに繋ぎとめられなければならないような危なっかしい人間なのだろうか。
「そろそろ休みましょう。ぐるぐる考えるのは疲れてる証拠。備えるに越したことはないけど、そのときにならなきゃ分からないことばっかりなんだから、あまり心配しすぎないことよ」
シェラが言って、部屋の中央に下がっている洋燈を消そうと待ち構える。セレスレーナは急いで道具をしまって横になった。
明かりが消され室内は闇に包まれると、船が航行する振動がより近くに感じられた。必要でなければ船は勝手に飛ぶようにしてあるという。常に航海士が張り付いているわけではないと聞いて不思議に思ったし大丈夫だろうかと心配になった。翔空士になったけれどセレスレーナにとって何もかもがわからないことばかりのままだ。
疲れていたが翔空士手帳と『ゾリスタンの手記』を持ち、あっという間に寝入ってしまったシェラを起こさないように気をつけて部屋を出た。
行き先は甲板だ。虚空域を航行していると必ずそこに守り火が掲げられるのをすでに知っていたからだ。
ほのかに明るい甲板で洋燈が吊るされた真下に腰を下ろし、翔空士手帳を読む。ルチルが語った《天空石》と翔空士の始まりの話を冒頭に、翔空士の心得や専門用語について記されている。虚空域に変質嵐が発生すると航行は危険を極めるなど翔空に関することのほかにも、異世界を旅するための火のおこし方、飲料を作る方法、食べ物の知識も書かれてあって読み物として非常に面白い。
(守り火は空の妖精の化身なのか。空の妖精って本当にいたのかな)
空の妖精の名は世界によって様々だが、翔空士手帳の中では『アリアマーレ』という名になっている。
ジェマリアの空の女神は青い髪と瞳をした清浄の化身として描かれるから、セレスレーナが想像したのは、その女神の娘のようなそっくりな少女だった。
灰色に包まれた虚空域には、どこかの世界と思しき光の球がちらちらと瞬いている。雲のある星空を飛ぶとこんな感じなのかもしれないとふと思った。どんな世界があるのだろうと考え、置いてきた自分の国のことを思い出して唇を噛む。
(今の私にジェマリアを救うことはできない。でも異世界のものは国を救う手段になりうるかもしれない。たとえば銃。軽くて女性でも簡単に使うことができる、そういったものが外の世界には溢れているはずよ。ルチル代表は禁止事項だと言ったけれどなんとか持ち帰りたい)
この旅を意味あるものにできれば国を救うことができる。だから国を離れることは無駄なことではないと信じたかった。
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