竜族の男

柚木現寿

プロローグ

「――ゲートが閉ざれて今日で200年です。今日もゲートは厳重な警備で守られています」


 テレビの中で最近話題の女子アナウンサーが神妙な顔でニュースを読み上げている。

 イチゴのジャムを塗ったパンにかじりついていた吉沢類はニュースの内容に引かれるように顔を上げた。

 テレビではアナウンサーの顔からゲート前の映像に移り替わっている。

 黒々としたゲートは手前に立っている軍人たちと比べるとかなり大きい。

 中学時代歴史の授業で習ったが確か二階建てのビルくらいの高さはあったはずだ。

 あの門の先は異世界につながっているらしい。らしい、としか言えないのは実際自分の目で見た事がないからだ。

 証拠の写真や映像はテレビや教科書で見た事があるが、あの扉の向こうに別世界が広がっているなんて夢物語としか思えなかった。

「――千年もの昔、時空の歪みに落ちて獣界からやってきた青年によって別世界がある事を知った科学者たちは世界をつなぐゲートの開発に熱中しました。そして完成したゲートの初期型がこのゲートになります。かつてはこのゲートを通じて盛んに貿易が行われていましたが、200年前に起きた所謂『血の報復』によって世界中に点在していたゲートは破壊され、このゲートだけが残されたのです」

 アナウンサーが教科書に載っているような内容を丁寧に読み上げて説明している。

 『血の報復』は中学の授業でも必ず習う重大事件だ。

 卒業旅行で人間界を訪れていた竜族の青年二人が酔っぱらいの大学生に集団暴行を受け、死亡したのである。それを知った竜族は竜王国に滞在していたほぼすべての人間を殺し、人間側の門前に積み重ねた。

 確かに人間のやったことは許されることではないが報復で殺された人の数は60人を超えると言われている。犠牲者の数から竜族の恐ろしさがわかる事件だ。

 子供の頃思い描いた異世界のイメージとはまるで違うと教えられ、恐怖した事を鮮明に覚えている。

 正直そんなに怖い世界なら見たくないし、一生ゲートなんて開かないでくれと思う。

 いずれ地球が消滅するときにあちらの世界へ移住しようという計画がある為、あのゲートだけは残しているらしいが、移住する前に人間が滅ぼされそうだ。

「ほら類、そんなにじっくりテレビ見てたら遅刻するわよ?初日から遅刻なんてしたくないでしょう」

 呆れたような母の声に我に返り、慌てて食べかけのパンを口に詰め込む。

 気づけばテレビの右上に表示された時間は7時20分を過ぎていた。

 急いで食器を片付け、歯を磨くと真新しい制服に身を包んで階段を駆け下りる。

 靴を履いている時かすかにリビングの方から「時空の歪みには気をつけましょう」という妙に明るい声が聞こえていたが、それよりも時間の方が気になってそのまま家を飛び出した。

 制服が新しいせいか、中学までは学ランだったせいかブレザーにはまだ違和感がある。でもそれが高校生になったのだという証明の気がして思わず顔がにやけてしまう。

 この制服を手に入れるためにどれだけ努力したことか。

 対して偏差値の高くはない学校だけど、自分なりに血のにじむような努力をして市立に入ったのだ。中学時代学年順位で常に下位をさ迷っていただけに親は私立への進学を覚悟していたらしいが、何とか志望校に滑り込んだ息子に親孝行をしたと褒めたたえた。

 金銭的な面でも苦労を減らせたのだから結果的にはとても満足だ。

 今日から通う学校は部活動が盛んらしい。

 どんな部活に入ろうかと夢が広がる。

 例えあのゲートの向こうに異世界が広がっていようといまいと類にとって大事なのはこれからの学生生活だ。それがどれだけ充実したものに出来るか、それが最も重要だ。

 異世界との確執はお偉いさんが考えて、戦争にだけはならないように解決してくれればいい。

「もうすっかり桜は散っちゃってるけど、俺の心は満開!なんちゃってな!」

 周りに誰もいないことをいいことにスキップしてみたのがいけなかったのだろうか。

 突如として目の前の地面に黒い水たまりのようなものが現れたのだが、あまりにも突然でやばいとは思ったが足を止めることはできず、類はその中に飛び込んでしまった。

 視界は一面の闇。

 事態を飲み込めない恐怖に襲われながら、自身がとてつもない強風に飛ばされている事だけは感じ取れた。まるで台風の中にいるようだ。

 身体を振り回される恐怖。いっそ気を失えたらどれだけ楽だろうと思う。

 しかしそんなに都合よく意識を失えないままただそれに耐えていた。

 それからどれくらい経っただろうか。突如として緑色の草に覆われた地面が見え――瞬間自身の身体がそこに叩きつけられていた。

 右肩から全身に伝わる痛みをやり過ごそうと身体を丸めて耐える。

 そしてやっと痛みをやり過ごした類は目の前に広がる光景に愕然とした。

 鼻をくすぐる草と土の匂い。

 そして周りを取り囲む背の高い木々。その間から透き通るような青い空が見える。

「な、にが、起こったんだ……」

 一瞬夢でも見ているのではと頬をつねりそうになったが、先程全身を襲った痛みは本物だ。

 何が起こったのか必死に考えるが、全くわからない。

 心臓が締め付けられて息苦しさだけが広がっていく。

 途方に暮れる類の耳には聞いたことのない鳥の声だけが響いていた――。

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