浜茄子の花の咲く頃 第三章

三坂淳一

浜茄子の花の咲く頃

黒い雲が到来し、あたりが薄暗くなってきたと思った矢先、激しい驟雨(しゅうう)が小浜を襲った。

降りしきる雨の中、何度も雷のような大きな音が聞こえた。

彦四郎は庄屋の豊田與右衛門と碁盤を囲んでいた。

栄助は庭先に立ち、笠の雨雫をさらりと落としていた。

軒先に蹲(うずくま)って、栄助は大津浜で見聞きしたことを具(つぶさ)に語った。利兵衛と要助も栄助の傍らに蹲って、栄助の話に耳を傾けた。栄助は一昨日の状況から話し出した。

大津沖に異国の船と思しき黒船が出現し、沖合に碇泊した。

黒船の船体は全て銅鉄で覆われているが、ところどころにビイドロの障子のような窓も見受けられた。黒船は二隻で、それぞれの船から艀(はしけ)とも伝馬船とも思われる小舟が一艘ずつ出された。伝馬船一艘には六人の異国人が乗っていた。伝馬船は二艘で、十二人の異国人が大津浜に上陸した。伝馬船の長さは四間ばかりで、細板を何枚も張り合わせられて造られており、表面は全て漆で塗られているように思われた。異国人は四挺の鉄砲を携えていた。これらの鉄砲は我が国の種子島とは異なり、火縄は付いておらず、石を金属に打ち付けて、火花を飛ばして発火させる鉄砲であった。この形の鉄砲は古来、我が国にもあったが、種子島と比べ、実用性に欠けるということで廃れていた鉄砲である。

( 我が国には良い火打石が無かったことも廃れていった理由である )

他、十二人の異人が携えた武器としては、鯨突きと思われる突き棒が二本、銛が十本ほどであった。加えるに、剣を四本、羅紗を二反ばかり持参していた。

大津浜に上陸する際、伝馬船から下りようか、下りまいか、かなり逡巡した様子を見せた。そこで、大津浜の漁師たちが早く浜に下りて来い、と催促した際、異人の一人が片手を自分の首に当て、下りたら、首を斬られるといった仕草をした。

それでも、どうにもひもじくてしょうがなかったのか、浜に全員が下りてきた。

その者たちの仕草では、米とか何か食料品が欲しかったらしい。

浜の漁師が異人の手を取って、とりあえず、庄屋のところへ召し連れようとしたがなかなか承知せず、漁師に取られた手を押し払う様子を見せた。

どうも、話を聞く限りでは、浜の漁師たちに異人に対する恐怖心とか敵愾心といったものは感じられませぬな、と栄助は言った。

過去に何度か海上で異人に遭遇し、船乗り同士、異人慣れをしていたのかも知れませぬ、と栄助は付け加えて語った。

十二人の中に一人、黒ん坊がいたと云うことでござる。膚の色はまさに薄墨のようで、赤い膚が多い異人の中で極めて目立っていたとのことでござった。この十二人の上陸後、直ちに、早馬を走らせたとのことでござる。勿論、水戸表へのご注進でござった。

昨日は、十二名の異人を大津浜の漁師小屋に入れ、軟禁いたし、米の飯なぞを振る舞っているとのことでござった。警戒が厳しく、その漁師小屋には近づけませんでしたが、少し離れたところから眺める分には、異人たちは揃いも揃って、大きな男ばかりで、警固に当たっている役人の首一つ分は高うございました。赤い頬髯、口髭、顎髭なぞ生やし、鼻は天狗のように高く、眼は黄色或いは青色といったおかしな眼をしておりました。

服も奇妙な形をした長い筒袖を着て、少し緩んだ股引のようなものを穿いておりました。

布地は、そう、羅紗のような感じを受けましたな。陣羽織に使われるあの羅紗でございます。丈夫で、雨にも強い布でございます。

彦四郎から栄助に、先ほどから聞こえてくるあの大きな音は何の音かとお尋ねがあった。

栄助は即座に、音は異国船から聞こえてまいりました、おそらくは、黒船が放つ大砲の音かと思われまする、と答えた。


一昨日、昨日の様子を報じた後、栄助は再度物見として大津に出立した。

栄助には、右馬之助に命じられて、利兵衛も同行することとなった。

おいらも行きたい、と要助は望んだが、泉表への連絡要員として、要助は小浜に残ることとなった。

手持無沙汰となった要助は庄屋の家の者から番傘を借りて、雨の中、村の中をぶらぶらと歩いた。小腹が空いたので、河岸陣屋から少し離れたところにあった飯屋に入った。

この飯屋は夜になると煮売り酒屋となるが、夕方までは茶屋も兼ねていた。

焼き団子の旨そうなにおいに誘われて、中に入った要助は三本ほど入った串団子を一皿注文した。渡辺村あたりでは、このような店には一度も入ったことがない要助であったが、今のような旅の空では少し羽根を伸ばしてもいいだろう、と勝手に思っていた。

利兵衛から腹が減ったら何か食いな、と三十文ほど貰っていたので、初めて自分で注文して食っていても、銭があると、気は楽なものであった。四文払って、店を出た。

雨はまだ止まない。止まないどころか、本降りになってきたようだった。

平潟の方から、また、大砲の轟くような音が聞こえてきた。

暮れ六ツ(午後七時頃)あたりで、ようやく、霧が晴れてきた。

要助は唐船見番所に行き、平潟沖を眺めた。意外なことに、異国船の姿は消え失せていた。先ほどの大砲を放った後、どこかに行ってしまったのか。

要助は番人から遠眼鏡を借りて、夕陽で黄金色に照らされた海を隈なく探したが、どこにも異国船の姿は見受けられなかった。


戌(いぬ)ノ刻(午後八時頃)になって、利兵衛が戻ってきた。

栄助はそのまま大津浜に向かったが、利兵衛は関田まで行き、そこで噂として洩れ聞いた話を彦四郎、右馬之助に伝えるべく、大津行きを断念して戻ってきたらしい。

利兵衛の話によれば、大津浜の今日の出来事はこのようであったらしい。

磯原にある水戸藩の遠見番所から郷士や郷同心といった無足人が駆り出され、大津浜に出向き、漁師小屋に軟禁されていた異人たち十二名を捕えたという噂を関田で聞いた。

派兵された者たちはこの蒸し暑い中、火事装束に身を固めていたらしい。

火事装束というのは、垂れ布付きの刺子頭巾を頭に被り、刺子半纏、腹当、刺子手袋を身に付けた上で、股引を穿き、紺足袋を履いた上に草鞋を履くといった姿になる。

考えただけでも、汗が噴き出そうになる恰好だった。

また、直接の領主である中山備前守の家中からも家士がかなりの数で出兵してきたらしい。その恰好も、火事装束に優るとも劣らない恰好であったらしい。

額には額当、襷を掛けて、鎖襦袢、鎖手甲を着用し、袴に脛巾(はばき)という、まさに、斬り込みを思わせる姿の侍も居たらしい。

噂をしている商人は大津から来ているらしく、面白おかしく話していた、と利兵衛は結構大真面目な顔で彦四郎と右馬之助に話していた。

聞いている要助は、おかしくて、若様たちの前でなければ、腹を捩って笑いたいという衝動に駆られるほどであった。

そして、水戸藩ではこの一番隊の他、二番隊、三番隊と続々と大津浜に集結させようとしているとのことでございました、と利兵衛は語った。

大儀であった、ゆっくり休め、という彦四郎からの労(ねぎら)いの言葉を戴いてから、利兵衛と要助は庄屋宅で、遅い夕餉の食事を摂った。

無足人が数名ほどやはり遅い夕餉の食事を摂っていた。

昨夜は山鯨だったが、今夜は紅葉のしぐれ煮が丼にたっぷりと盛られて出た。

ほら、そこのあんにゃたち、いっぺえ食いな、とばかり、しぐれ煮の丼がやたら、利兵衛と要助の箱膳の前に廻されてきた。鹿の肉を食うのも要助には初めての経験であった。

要助の舌には、鶏の肉よりあっさりした感じだったが、しぐれ煮の甘辛醤油の味がよく染み込んでおり、昨夜の山鯨の堅めの肉より美味に感じた。飯も丼で三杯食って、昨夜同様、幸せな気分を味わった。このような飯が食えるなら、このままずっと、この小浜に居てもいいと要助は思った。その後、すっかり日が暮れて夜になった小浜の浜を歩いた。

利兵衛は歩きながら、関田宿の話ばかりした。昨日、今日と平藩に対する物見のために訪れた関田宿を利兵衛は大いに気に入ったようであった。関田宿には綺麗な女がいっぱい居る。利兵衛はにやりと笑いながら、要助に語って聞かせた。

「関田宿には飯盛り女と呼ばれる宿場女郎がわんさか居てな。旅籠の前には、留女(とめおんな)という大柄で力の強い女中も居て、そこのあんにゃ、寄って行きな、とばかり袖を掴んで自分が雇われている宿に呼び込もうとするのよ。袖を掴まれた男は、にやにやする男ばかりでは無く、ほとんどが掴まれた袖を振りほどいて、立ち去ろうとする。掴んで引きずり込もうとする女と振りほどこうとする男、まあ、どちらも必死も必死で賑やかなものよ。おいらはなるべく道の真ん中を恐い顔をして歩いたせいか、袖を掴まれずに何とか通り過ぎてきたものの、まあ、いい経験をしたわ。家の数は二百軒ほどあり、人も千人は下らないと見たな。駅馬も五十頭ばかりおり、なかなか繁盛している宿場だわ。黒船のこともあり、平藩の侍もいっぺえ居てなあ、大津同様、皆暑苦しい恰好をしてござった。要助と一緒に行った時は、ほとんど街道をそれるように歩いたので、判らなかったが、今日の関田歩きは面白かった。今度は、要助にもじっくり関田の街道筋を見せてやっぺ」

いい気分で話す利兵衛と一緒に歩きながら、要助も今度は一人で関田とか大津に行ってみたいと思った。夜の浜辺は暗く、寄せては返す波の音だけが聞こえていた。これが、海鳴りのような音なのか、と要助は思っていた。

歩く要助たちの鼻腔に甘い香りが漂ってきた。利兵衛が言った。これが、浜茄子の香りだ。要助、どうだ、いい香りだろ。要助にはその香りはせつない香りのようにも思えた。

人恋しさの香りとも思えた。十八歳の要助にとって、この小浜滞在は忘れられないものになる、そんな予感がしていた。星が出ていた。寄せては返す波の音は、幼い頃に聞いた子守唄のように、ゆったりと耳に響いてきた。


六月一日 曇り後、晴れ


昨日同様、朝方は濃い霧に覆われ、平潟沖は何も見えなかった。

辰ノ刻(午前八時頃)前、甘南備(かんなび)次郎太夫が率いる二番隊、鉄砲足軽部隊二十人が小浜河岸陣屋に到着した。百石役高二十石の俸禄を戴く甘南備はこの時、番頭用人を勤めていた。甘南備の家は中老職まで昇進できる年寄格の家格であった。目は針のように細く、痩身でやや神経質な感じを与える中年の侍であった。藩内では、沈着冷静な男として知られていた。

その後、半刻(はんとき)(今の一時間)ほどして、中村弁之助率いる三番隊の鉄砲足軽部隊十五人が到着した。七十石役高十石を戴く弁之助はこの時、大目付取次惣武具預を勤めていた。

陽に焼けて膚の色は黒かったが、眉目秀麗、鼻も高く、目鼻立ちが極めて鮮やかな侍で、白塗りをすれば、そのまま江戸の中村座に出ても通用するのではないか、と城下の娘からかまびすしく騒がれている美男の若侍であった。

陣屋内に到着後、先遣隊として派遣されている衣笠右馬之助率いる一番隊と諮り、各々の部隊の配置を終えてから、庄屋宅に投宿している本多彦四郎の許に赴き、挨拶がてら、他藩の動き、これまでの情勢などを語り合った。


巳ノ刻(午前十時頃)の少し前に、大津に忍び物見に出向いていた新妻栄助が小浜に戻ってきた。栄助が彦四郎以下に語ったところは以下のようなことであった。

大津浜では郷士や郷同心などの兵員を出動させて、上陸した十二名の異人たちを捕え、浜の漁師小屋から村名主の土蔵に押し込めた。

これは昨日、利兵衛が関田で聞いた噂と同じであった。

異人たちは厚い皮の被り物、羅紗の長い筒袖を着て、羅紗の股引を穿いていた。

被り物の形はいろいろで、陣笠のような被り物も、先端が尖っている被り物もあった。

黒い顔の者もいれば、白い顔、赤い顔をした者もいるが、いずれも鼻が鼻筋通って高く、ほとんどの者は赤い髪と赤い髭をしている。体格は大きいが、体臭が強く、何とも言えないくらい臭いらしい。臭い、臭い、と役人が話していたのを聞いた。

齢は、なかなか判別はむつかしいが、二十歳くらいの若者から四十近くの中年まで幅広いように思われた。

全員を土蔵に押し込め、やれやれと思った矢先、海上の深い霧を破って、伝馬船に似た小舟が四艘ほど現われた。

浜から、陸に上がって来いと手招きをしたが、首に手を当てて、首を斬られるから上陸はできないという身振りが返ってきた。近づいた四艘とも、六人ずつ乗っており、全員が鉄砲を携えていた。火縄の付いていない鉄砲であった。

何やら、紙片のようなものを掲げ、先に上陸した者たちに渡したいというような身振りをした。手紙か、と思い、浜の者が竹竿に籠をぶら下げて、渚を歩いて小舟に近づき、その紙片を受け取った。見ると、判読はできないが、異国の文字のようであったので、藩役人の許しを得た上で、土蔵に収容されている異人たちに渡した。

その後、暫くして、囚われている異人たちからも手紙を渡したいとの意思表示があり、その手紙を受け取り、浜に戻り、小舟の中に居る異人たちに渡した。

手紙の交換後、四艘の小舟は浜に上陸することも無く、海上の親船に向かって漕ぎ去り、消え去っていった。

ざっと、このようなことを栄助は大津浜で見聞したこととして語った。


巳ノ刻(午前十時頃)を少し過ぎた頃、本多亮太郎(すけたろう)が十人ほどの泉藩士を引き連れて、小浜河岸陣屋に到着した。亮太郎は彦四郎の実弟で、忠順の三男である。

七十石役高十石で大目付惣武具預を勤めていたが、この時弱冠二十歳の若者であった。

少年の頃から、馬術に長け、藩の馬術世話という役にも就いていた。

全員が火事装束という姿をしていた。

この蒸し暑い中、ご苦労さまだねえ、という村人の声も聞かれたものであった。

垂れ布付きの陣笠、胸当、火事羽織、腰には宛帯を巻き、手甲、野袴という火事装束で現われた一行は文字通り、汗みどろといった有様だった。

到着の報に、彦四郎が出迎えたが、汗を満面に掻いた弟の亮太郎を見て、暫くは声も出なかった。他藩も火事装束で出動したと聞いた時は、思わず、失笑した彦四郎であったが、よもや実弟までもこのような火事装束で現われるとは夢にも思っていなかったに相違ない。

「亮太郎、お前、何じゃ、その恰好は」

彦四郎の呆れたような口調に、亮太郎は反発して答えた。

「兄上、これは戦以外での緊急時の出動の決まりでございますぞ。中老の石井様がそうおっしゃっておりました」

「いやはや、それにしても、このむしむしと暑い中。なんともはや」

彦四郎も苦笑いするばかりであった。

父上ならば、火事装束をせよとは申すまい、と彦四郎の顔には書いてあった。

亮太郎は生来色白で、一見、女と見間違えるような優男であったが、馬術は勿論、武芸に長じている若者であった。近々、嫡子のいない番頭用人の家に養子として入ることとなっていた。何でも、その家の十六になる娘が昨年の桜の花見で、馬に乗って颯爽と走る亮太郎を見て、一目惚れをしたのが契機となったとか、泉城下でもっぱらの評判となっていた。女の髪は象をも繋ぐ、可愛い娘の頼みに否と言う男親はいない、と評判になった。


午ノ刻(正午頃)になって、斉藤周平が率いる後詰め鉄砲足軽部隊二十人が陣屋に到着した。八十石役高二十石を戴き、物頭大目付取次組頭を勤める斎藤周平は泉藩の剣術師範も兼ねる壮年の剣士であった。江戸の小野派一刀流中西忠太の許で修業し、免許皆伝を受けていた剣士であった。大柄で頑強なからだを持ち、眉太く、目は切れ長で大きく、意志の強そうな口元、丈夫な顎を持つこの剣士に敵う侍は藩には居ないと言われていた。


昼餉を摂った後、栄助と入れ代りに、利兵衛と要助の二人が大津に出向いた。

後詰めの部隊の一員として小浜に来た、市郎右衛門という者も同行することとなった。

市郎右衛門という者は金三両二分二人扶持の無足人並であったが、実は新妻栄助同様、泉藩の手練れの忍者であった。切れ長の細い目でむっつりと相手を睨む癖のある無愛想な中年の男であったが、栄助には一目置いているらしく、栄助が、見どころがある兄弟、と利兵衛たちを引きあわせてくれたこともあってか、親しみのある眼差しを利兵衛たちに向けるようになった。

小浜の空はいつの間にか、晴れ渡り、海の彼方にむくむくとした頭を見せる雲があるばかりであった。

小浜から大津までは四里足らず、忍者の足ならば、一刻(いっとき)(今の二時間)もかからない。

しかし、市郎右衛門は小浜から岩間を過ぎ、佐糠までをほとんど駆けるような速歩で歩いた。利兵衛はこんなに速く歩く必要は無いのに、とは思いながらも市郎右衛門に負けじと歩いた。要助も同じ考えと見えて、あたりの風景に目を遣る暇も無く、ひたすら市郎右衛門、利兵衛に遅れじと歩いた。

佐糠まで来たところで、市郎右衛門は立ち止って、利兵衛たちを見た。

じっと、鋭い目で見た。そして、満足そうな顔をして、利兵衛たちに微かな笑顔を見せた。利兵衛たちが汗ひとつ掻かず、自分の早歩きに付いて来たことに満足を覚えたものと思われた。市郎右衛門は利兵衛たちを試していたのだ。

「おめえたち、駆け歩きをどこで修業した」

利兵衛が答えた。

「新田峠で、十年ばかり」

「なるほど、それで、息も切らさずにおれに付いてきたということか」

気に入った、と市郎右衛門が言い、その後は普段の足遣いに戻った。

やがて、鮫川の渡し舟場に着いた。

「おめえたちは昼餉を食っただろうが、おれはまだ、飯をくってねえ。すまねえが、ここの茶屋で蕎麦を食わしてもらうよ」

市郎右衛門は、もり(・・)とかけ(・・)、と大きな字で書いてある茶屋に入り、もり蕎麦を二人前注文した。おめえたちも、ついでだ、何か食いねえ、と言って、利兵衛たちに焼き団子を振る舞ってくれた。この茶屋は蕎麦とは別に、白身の魚の天麩羅も四文ほどで売っていた。

近くに腰を下ろした商人風の旅人が旨そうに食っているのを要助が珍しそうに見ているのに気づき、市郎右衛門は天麩羅も六枚ほど注文した。

届いた熱々の天麩羅を旨そうに食う利兵衛と要助を見て、市郎右衛門はにやりと笑った。

「若えやつはなんぼでも食えるもんだ。おれも若え頃はそうだった。今のこの齢になっちゃあ、もうあんまり食えねえがな」

むっつりした外見とは別に、市郎右衛門は結構話し好きだった。蕎麦を食い終わった後、前を流れる鮫川に目を移しながら、利兵衛たちに話しかけてきた。

「おめえたち、鮫川の名物って何か、知ってるかい」

「鮭が獲れるという話は聞いているよ」

要助が言った。

「そう、塩鮭が名物だな。正月には欠かせねえものだ。塩鮭を食わねえとおれは正月が来た気がしねえ。で、その鮭は川のもう少し、上のほうで、簗(やな)を仕掛けて獲るんだ。鮭の他、名物と言やあ、こんにゃくと椎茸っていったところだ。椎茸は十年ほど前から栽培できるようになったのよ。それまでは、地のもので高かったけんど、この椎茸栽培がものになってからというもの、大分、値が下がり、煮しめにも使われるようになってきた。ありがてえもんよ。飯に湯をぶっかけて、醤油で煮込んだ椎茸でさらさらと食うのも結構粋なもんだぜ」

市郎右衛門の話を聞いている内に、要助は腹が満ちているのにもかかわらず、唾が口の中に溜まってくるのを覚えた。

三人は渡し舟で鮫川を渡った後、街道を関田に向かって歩いた。

中田の浜を過ぎ、関田の浜が目に入ってきた。

天気はよく晴れており、関田の長浜は街道筋の松並木とあいまって、まさに、白砂青松といった風情を醸しだしていた。

「浜街道は歩く方向によって、呼び方が違うんだ。今、おれたちが歩いている道は水戸路と呼ばれ、逆に歩けば、磐城街道と呼ばれる。ここから、水戸様のご城下までおおよそ二十里ばかり。おれたちの足でも、三刻(さんどき)(六時間)はかかる」

要助は市郎右衛門の話を聞きながら、左手に見える青い海を眺めて歩いた。

松の並木越しに、白い砂浜が見え、海鳥もすいすいと飛んでいる。

海鳥が時々鳴き、要助の耳に響いた。緑の松に、白い砂浜、白い海鳥、そして、青い海と空。これから、異国船騒動の渦中にある大津浜に向かう自分たち、忍び三人組。

何とも言いようのない違和感を覚えた要助であった。

「このあたりの砂浜の砂は鳴り砂、或いは、鳴き砂と呼ばれている。雨の降らない乾いた季節に、砂浜を歩くと、きゅっきゅっと砂が鳴き声をあげる。砂自体が水晶みたいな石の粒でできており、細かく、白く、さらさらとしていてな、踏むとそのように音を立てて、鳴くのだそうだ」

平藩士が警戒する中、市郎右衛門たちは足早に関田宿を通り過ぎた。

陣笠の下から覗かせる侍の顔はいずれも汗に濡れ、埃が付いて、一種異様な斑模様を呈していた。

関田宿を過ぎ、九面(ここづら)という奇妙な地名のところに差しかかった。

九面は、昔は崖が海までせまっていたところで、道が浜辺近くの洞窟道しか無かったと云われている。旅人はいったん、浜辺に下り立ってから、その洞窟道を通って水戸側の道に出るということを余儀なくされていた。しかし、海が荒れる度、洞窟道には海水が流れ込み、とても歩いて渡れる状況では無く、海が収まるまで通行止めになるのが通常のことだったと云う。その後、海までせまっていた崖に何とか、人馬が通れるような隧道を掘り、道を通し、果ては、その隧道を崩して、切り通しの道にして、現在の街道になったと云われている。そんなことを、物知りの忍者、市郎右衛門が語った。

「この話、嘘か真実(まこと)か、は知らねえ。何と言っても、おれが生きてる時代の話ではないからのう」

と、真面目に聞いている二人をからかうような口調で付け加える市郎右衛門であった。

九面の港には五百石船が数艘浮かんでいた。港の突端は鵜の子岬と呼ばれ、断崖絶壁となっている。五百石船は、長さは十二、三間ほどしか無いが、帆桁(帆柱に横に渡した用材)は八間もあり、大きな白い帆をぱたぱたと風に揺らせていた。

また、街道筋には大きな土蔵が十数棟ほど並び建ち、目にも鮮やかな海鼠(なまこ)壁を陽光に照らさせていた。黒い平瓦を壁に貼り、その目地を蒲鉾形の漆喰で盛り上げている海鼠壁土蔵を横目で見ながら、平潟へ抜けた。平潟も宿場町で関田同様、賑やかな宿場である。

「今は女どももあまり出ていないが、夕方頃になると、ここも関田同様、紅灯弦歌の巷となる。まあ、利兵衛には毒じゃな。要助にはまだ少し早いか」

市郎右衛門が笑いながら、言った。

「旨い食い物もいっぱいあるぞ。ほら、あの店を見てみろ。読めるか。鮨、鰻飯、と書いてあるのじゃ」

市郎右衛門が指差したほうを見て、利兵衛が言った。

「おいらは、鮨は一度食ったことがあるけんど、鰻飯はまだ食ったことがねえ。一度、食ってみてえもんだ」

「利兵衛、気持ちは分かるが、鰻飯は高えぞ。店によって違うが、五十から百文はするで。高え店だと、二百文もとりやがるが、まあ、普通は百文といったところか」

百文、と要助はびっくりして、思わず呟いた。

「そうよ。百文よ。百文もありゃあ、小浜の一膳飯屋なら、酒を三合ばかり呑んで、肴を五品ほど食える金だ。旨いが、鰻飯はとにかく高え」

「おいらは、泥鰌(どじょう)は親戚の家でご馳走になったことがあるけんど、鰻はまだ見たことがねえ。同じように、細長いからだをしていると聞いたことがあるだが、どこがどう、違うのか、さっぱり判らねえ」

要助の言葉を聞いて、市郎右衛門と利兵衛が笑った。


平潟を抜け、近道である山道を通って、大津に入った。

山影を縫うように、三人は歩き、大津浜、大津村の様子を探索した。

藩役人が監視している土蔵も小高い山の上から窺った。時折、異国人が役人に付き添われて、土蔵から出ては、また、戻るという繰り返しを何回か目撃した。

厠への往復であろうと要助は思った。異人と雖も、出るものは出るのだ。

異人たちを間近で見て、要助は感心した。なるほど、話に聞いたように、異国人の背丈は高い。彦四郎様、右馬之助様よりも高いのではないか、と要助は思った。

付き添う役人より、頭一つほどは間違いなく高かった。

袖の長い筒袖のようにも見えるし、半纏のようにも見えるものを着ており、下には股引とは少し違う、猟師が穿くような山袴みたいなものを穿いていた。布地は厚くて少しごわごわとしている。あのような布地を羅紗というのか。

要助はそんなことを思いながら、初めて見る異国人を観ていた。

とりたてて、何の進展もなさそうだ、さて、帰るとするか、と市郎右衛門が利兵衛たちに囁いた時だった。急に、役人たちの動きに変化が見られた。緊張した面持ちで、何かを連絡し合っているように見受けられたのだ。三人は土蔵の裏山の茂みに場所を移して、耳をすませた。どうも、誰かが新たに来るらしい。そんな感じが窺われた。

帰るのは夜でも十分帰れる、もう少し、ここに居て、何が起こるか見届けてやろう、と市郎右衛門が二人に囁いた。


夕七ツ(午後五時頃)頃になって、武士の集団が不意に土蔵の前に現われた。

葵の御紋の旗が見えた。察するに、水戸表からの部隊が到着したものと思われた。

三人はじっと耳を傾けた。

一番手として、供の小者を含め、水戸から二百人ほどの人数で来たらしい。

先手物頭、目付、筆談役、大筒方、太鼓貝役という言葉も聞こえてきた。

筆談役も来たということは、明日あたりから異人たちに対する尋問が始まるということになる。尋問が始まれば、おそらく、二、三日はかかるであろう。

少なくとも、面倒だから、斬ってしまえ、という乱暴なことにはならないだろう。

市郎右衛門は草の茂みから利兵衛、要助に目配せをした。

さあ、そろそろ小浜に戻るぞ、と市郎右衛門の目は語っていた。

戻りは街道を通らず、海岸沿いの浜辺の道を走りに走った。

暮六ツ(午後七時頃)には、小浜に着き、彦四郎と右馬之助に水戸藩からの派兵到着の話を含め、大津浜の物見で見聞したことを具に報告した。

三人が庄屋宅を訪れた時、彦四郎と右馬之助は離れの茶室で與右衛門が点(た)てた抹茶を服していたが、市郎右衛門の声を聞くなり、茶室のにじり口から外に現われ、話を聴いた。

大儀であった、ゆっくり休息せよ、という労いの言葉を賜った後、三人は庄屋宅を退出した。長屋門のところで、栄助が待っていた。

彦四郎様から銀を少し戴いた、で、今夜は縄暖簾で一緒に飯を食わないか、と栄助は三人を誘った。市郎右衛門は笑みを浮かべて、栄助の申し出を受けた。

利兵衛、要助も勿論異存は無い。要助は庄屋宅での豪勢な夕餉の食事にも多少未練はあったものの、泉藩を代表する忍びの熟練者と過ごす機会はまたと無いだろうと思い、山鯨、紅葉の肉は諦めることとした。


四人は縄暖簾をかけた煮売り酒屋に入った。

店の片隅に先客が居た。達磨に似た丸っこい男、小浜在住の忍者、権八だった。

四人を見た時、目尻に皺を寄せ、照れたような笑みを浮かべた。

権八の脇には銚子が二本並んでおり、酒を呑んでいたのは明らかだった。

「権八さん、こっちへ来ねえ。みんなで飯でも食おうや」

栄助が店の真ん中に陣取り、権八を呼んだ。

権八は、初めは渋っていたが、市郎右衛門も声をかけると、観念したような表情で銚子と食いかけの肴の皿を持って、栄助たちが座っている板の間に来た。

「おいらはここの住民だから、おめえさんたちと違って、酒を呑んでいいんだ。悪く、思わないでおくんなんしょ」

「ああ、それは当然だ。おいらたち、ここへ出張(でば)って来た者は、酒はご法度だけんど、権八さんは別だ。おいらたちに遠慮なく、呑んでおくんなんしょ」

栄助が笑いながら、権八に言った。

それから、店の小女を呼んで、煮豆、人参と大根の煮しめ、鰈(かれい)の焼き物、椎茸の煮付け、鮑(あわび)の刺身、冷奴、里芋の田楽おでんといった煮売りの品々を慣れた口調で注文した。

小女に、菜飯はあるか、と訊いたら、あると言うので、五人分の菜飯も頼んだ。

やがて、煮売りのものが入った皿と丼に入った盛り切りの菜飯が届き、みんなでわいわいと話しながら夕餉の食事に取り掛かった。

要助は、焼き鰈と鮑の刺身が珍しく、おずおずと手を伸ばしていたが、栄助に遠慮なく食いな、無くなったらまた、注文すればいいだけの話よ、と言われ、遠慮なく食い始めた。

「栄助さん、いつもは酒を呑むんじゃろ」

権八の問いかけに、栄助の代わりに、市郎右衛門が答えた。

「栄助さんもおいらも、酒は呑んだことがねえ」

「やっぱり、そうかね。おいらは忍び失格の男だから、酒を呑むんだけんど、本物の忍びは、酒は呑まないというからに」

「敵方の屋敷に忍んでいった時、吐く息が酒臭くては、すぐ露見してしまうからな」

市郎右衛門が煮しめに箸を伸ばしながら、そう言った。

「時に、利兵衛さん、おめえの得意は何だい」

栄助が利兵衛に訊いた。

「得意って、忍びの術のことで」

「そうよ。でも、言いたくなきゃ言わなくってもいいよ。まあ、忍び同士だから、腹を割って話してしまうが、おいらはどちらかと言えば、刀術のほうかな。これでも、少しは

自信があるのよ。斉藤周平様にも、筋がいい、と褒められたこともある」

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浜茄子の花の咲く頃 第三章 三坂淳一 @masashis2003

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