第三十章 風の言霊

 夜の闇によく映える薄い金の髪が靡いた。美しい髪が風に弄ばれているにもかかわらずマリアは、気にした様子もなく矢を射っていた。

 ここは野営から少し離れた場所で木が覆い茂っている森であった。森といってもマリアのいる場所は、森の深くではなく森の入り口付近といったところだろうか。

 そんな森の中で兵達に心配をかけまいとそっとテントを抜け出して矢の練習をしていた。

 マリアの手から離れた矢は空を切り、木に突き刺さる。それぐらいならば、そんなに苦に感じずに射られるようになっていた。

 それからマリアは的にしている木と矢の距離を少しずつ開けては矢を射る。

 28クラフタ(約50メートル)まで離れて矢を射れば、矢は木に向かって飛んでいき音を立てて突き刺さった。

 レイヴァンと旅を初めて間もない頃。弓道場のある町で28クラフタ(約50メートル)先の的に向かって射ったとき、矢は的に当たることなく地面へ落ちてしまった。その時のことを考えると確実に射程距離は伸びているようだ。思わずほっと息を吐き出す。すると白い息が空に向かって溶けた。

 ふと空を見上げると弦月が淡い光を地上へもたらして輝いていた。月に向かって風が吹いて、冬の花を上空へと舞い上げる。

 その情景をマリアが見上げていると、レジーが隣に来た。


「眠れない?」


「実は」


 少し恥ずかしそうにマリアは答えて、木に突き刺さっている矢を回収して矢籠(しこ)に戻せばレジーは矢のひとつを抜き取って座り込んだ。と思えば、目をほそめてあらゆる角度から眺め始める。


「何をしているんだ?」


「手入れです。こうしておかないとよく飛ばなくなりますから」


「わたしにも教えてくれ」


 マリアは自ら志願して、矢の手入れの仕方をレジーから教わる。ひとつ賢くなったとマリアは少し嬉しそうだ。レジーもそんなマリアを見て頬を綻ばせる。それから、矢の手入れが終われば矢籠に戻して月を見上げると風に導かれるように言葉を紡いだ。


『彼の地の王

 我らが王に愛された

 けれど それは報われぬまま

 大陸ごと海に沈められた』


「それは風の声?」


「はい。かつての『我らが王』には恋人がおり、けれど思いは報われぬままであったと風が時折、語りかけて参ります」


 そうなのか、と呟いてマリアは悲しげにうつむいてしまう。 けれど、すぐに顔を上げてレジーと同じように月を見上げる。


「わたしはお主達の言う『王』ではない。何の力も持たぬ愚かな娘だ」


 レジーは感情の読み取れない表情でマリアを見つめていたが、一歩前に踏み出して口笛を吹いた。すると、不思議なことに口笛に導かれて風が騒ぎ始める。マリアは驚きと不思議な景色に目を奪われていたが、レジーがこちらを振り返ったところで我に返り目を瞬かせた。


「オレの力を以てすれば風を操ることも思いのまま。あなたが望むのならば無を有にしてみせます。あなたにはその権利があるのです」


「ありがとう、レジー」


 柔らかくマリアは、答えてレジーに近づいた。そのとき、白い雪が空から月明かりを浴びて妖しく輝きながら降ってきた。


「わあ!」


 子どものように思わず声を上げるマリアにレジーは、そっと笑みを浮かべて小さく息を吐き出せば白く濁って風に運ばれていく。


「積もるだろうか」


 うきうきとした様子でマリアが言えばレジーは特に困った様子でもなく淡々とこう告げる。


「けれど、雪は夜のうちに地面を凍らせてしまうこともあるので王都へつくのが遅くなってしまうかもしれません」


 言われれば、マリアが現実に引き戻されてごめんと呟いてと肩を落とした。レジーは、そんなマリアを見つめてから空を見上げる。


「でも、そうですね。積もるのも楽しいかもしれない」


「すまない、レジー。気を遣わせたみたいで」


「いいえ、そんなことはございません。オレはただあなたのように純粋に何かに触れることが出来ないだけです」


 新しい何かに触れるのに臆病であるとレジーは、自らをそう評した。けれど、マリアは首を横に振りレジーの臆病さをこう評する。


「いいや、わたしはただ愚かなだけだよ。考えが浅いんだ。けれどレジーは違うだろう。危ないことをしようとすれば、わたしを止めてくれるだろう?」


 雪が積もっていく景色の中でレジーに向かって言えば、レジーはそんなマリアに目を奪われて何も言えなくなりゆるりと跪いた。


「ええ、あなたを失うわけにはいきませんから」


「その言葉だけで十分だよ。思えばお前は表には出てこないけれど、ずっとわたしを守ってくれた」


 跪いたレジーの手をマリアが取る。その手は氷のように冷たくて指先は赤くなっていた。包み込むようにマリアが、手を握ればレジーが困ったような顔になりながら立ち上がる。


「冷えてしまいますよ」


「わたしだって十分冷たいよ。ただ少しでも温めることが出来れば良かったのだけれど」


 わずかな温もりを二人で共用していると、そこへギルも起きてきて近寄ってくる。


「おいおい、まるで恋人のように手を握り合うな。レイヴァンが見たら嫉妬するぞ」


 レジーは、ハッとなって手を引っ込めたけれどマリアは小首を傾げる。嫉妬するなんてまったく思っていないのだろう。そんなマリアの手を取りギルはきれいに跪いて手の甲に口づけを落とす。それから立ち上がるとマリアの手を離した。


「レジー、お前も隅に置けないな。だが、あまりに過ぎる忠誠心はレイヴァンに勘違いされるぞ」


 マリアだけは意味が分かってない様子であったが、レジーは意味を理解していて小さく息を吐き出した。マリアは不思議そうにレジーを見上げる。


「どうしてレイヴァンに勘違いされるの?」


 ふとマリアが問いかけるとレジーとギルは困ったような、それでいて尊ぶような視線をマリアへ向けていた。マリアはますますわからなくて困惑の表情を浮かべれば二人もまた肩をすくめて見せた。それから、ギルはマリアの肩をぽんと叩いた。


「さあさ、王子様。もう寝るお時間ですよ。早く眠らないと体が持ちませんよ」


 しぶしぶと言った様子でマリアは頷くと天幕へと戻っていった。そのとき、レジーが空を見上げる。その様子にギルが声をかける。


「どうかしたのか」


「戻ってくる」


「え」


「エリスとクライドが明日には合流できるようだ」


 それは良かった、とギルは呟いたあと天幕へ戻った。レジーは寝付くことが出来ない様子で天幕へ戻らず野営の外で見張っている兵達に混じってたいまつをじっと眺めていた。



 明朝、レジーは地面に座り込んで眠ってしまっていた。兵達の騒がしい足音で目を覚ませば立ち上がり辺りを見回していると風の声が聞こえてくる。それから少し経ってエリスとクライドが到着した。それを見てレジーはソロモンとレイヴァンを起こしに行けば二人ともすぐに飛び起きて着替えると二人から王都で得た情報を聞いた。

 ソロモンは、二人から話を聞くと何やら考え込んでぶつぶつ呟く。そんなソロモンを横目で眺めてからレイヴァンはエリスに問いかけた。


「陛下はまだ捕らわれたままだと言うことなのか」


「ええ、おそらくは。けれど兵達にはきちんと知らせられていないようなので信憑性はございませんが」


 エリスの言葉にソロモンはがばりと顔を上げる。その動きに驚いてエリスは肩をビクつかせレイヴァンはあきれ顔を作った。


「まったく、エリスが驚いているじゃないか」


「ああ、すまん。いや、その5万の兵で攻め込んでくるとのことだが、将軍殿にエリス達が見つかったことによって兵の数を変えてくる可能性が高い」


 レイヴァンの言葉にソロモンは答えとも似付かない答えを返した。それを聞けば皆して黙り込んで考え込んでしまう。それからエリスは、もう一度向かおうかと問いかければソロモンは思案顔のまま考え込んだ。そのとき、ふとレジーが空を見上げる。いつものことであるから、皆気にした様子がなかったが次に発せられた言葉に皆は目を瞬いた。


「……兵が」


 エリスは「え」と言葉を零す。けれどレジーは気にした様子もなく言葉を紡ぎ出した。


「たくさんの兵がこっちに向かってきてる」


 レイヴァンが血相を変えてレジーにどれほどの兵かと問いかければレジーは「5万」と答える。それを聞いてソロモンはいぶかしそうに眉を寄せた。


「向こうは守り固めた後、こちらが疲労するのを待つわけではないのか?」


「わからない。ただ、向かってきてるのは5万」


 ソロモンとレイヴァンは、頷きあうと兵達に命じて盾と武器を装備するように言い数人の兵を偵察へ向かわせた。

 それからソロモンは、兵達に状況を説明し、レイヴァンはマリアのいる天幕へ向かった。天幕の中にはギルもいたが、すでに起きていて何やら忙しない。レジーと同じく何か感じ取ったのだろうか。


「起きていたのか」


「まあね、“水”が何だか騒がしくて」


 そんなギルにレイヴァンは状況を説明する。それからマリアを起こして、また状況を説明した。すると、マリアはどこか険しい表情に変わる。


「心配なさらなくても大丈夫ですよ」


「ありがとう、レイヴァン。だけど……」


 レイヴァンの優しい言葉にマリアは、震える手を止めようとしたけれど止まらない。手をぎゅと握り締めれば、その手にレイヴァンが自らの手を重ねてきた。


「大丈夫ですよ、あなたは俺が絶対に守ります」


 それを聞いてマリアは顔を上げると凛とした瞳でレイヴァンを見つめ返した。柔らかくも王子としての威厳を失っていないその瞳にレイヴァンは少し息を飲んだ。


「いや、お前は軍を率いることだけを考えてくれ。わたしは大丈夫だから」


 言い聞かせるように言った言葉にマリア自身も震えが止まっていた。レイヴァンもまたそんなマリアを信じるように跪いて頭を垂れた。


「かしこまりました。必ずや勝利をおさめてご覧に入れましょう」


「うん、ありがとう」


 マリアは心の内に孤独を隠しながらレイヴァンにそう答えてみせれば、彼は安心するような息を漏らして立ち上がると天幕を出る。そこから少し離れたところで、息を吐き出した。先ほどのような安堵の息ではなく、悲哀に満ちた息であった。その息を聞きつけたようにレイヴァンにソロモンが近寄ってきて問いかける。


「姫様はなんと?」


「不安そうだったから安心させようと俺が守るといったのだが『お前は軍を率いることだけ考えてくれ』と言ってくださった。けれど、あんなに今にでも泣き出しそうな顔をして言われても安心できるわけがない」


 レイヴァンは答えながら拳を作り、その手を震わせていた。自分が軍を率いなくてはならないことにむずがゆさを感じているのかもしれない。軍を率いるということは、ずっと主を側で守るということは出来ない。それが彼を煩わしく感じている事柄なのだろう。

 ソロモンはレイヴァンを見つめて目を細めた。


「軍を伐つことは、姫様を守ることにもつながる。そう思うのではだめか?」


 ソロモンの言葉に考え込んだレイヴァンは、小さく頷くだけにとどめマリアのいる天幕の方を振り返った。するとちょうどマリア達が着替えてから出てきていた。

 “王子”の顔で近寄ってきた兵達と会話を交わした後、レジーがマリアの元へ来た。それから、マリアはこちらに気づくと笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。その後ろからレジーとギルもゆったりとした足取りでついてきた。


「偵察へ向かった兵達は、まだ戻っていないのだな」


「ええ」


 マリアの問いにレイヴァンが答えるとソロモンが一歩前に出てマリアを見て告げる。


「王子、向こうが攻めてきたとなってはこちらも交戦しなければなりません」


 マリアは無言で頷いた。ソロモンもまた無言で頷き返してマリアを真っ直ぐに見据える。それから小さな息を漏らせばマリアは不思議そうにかくんと小首を傾げた。


「いえ、何でもございません」


 その時、偵察にいっていた兵達が戻ってくるとマリア達に跪いて確かに5万の兵がこちらへ向かってきていることを告げた。するとレイヴァンは、兵達の方へ向かい迎え撃つための準備を始める。

 レイヴァンを見つめて悲しげに名を呼ぶマリアにソロモンは、話があるといって天幕の中へ促す。後ろにはギルとレジーもついてきた。それを確認してソロモンは口を開く。


「王子、こうなっては迎え撃つしかございません。ですが」


 言ってソロモンが地図を開き、エイドス支城を指してすでに伝令が向かい、ことを知らせていること。また高い立地から弓兵でコーラル国の軍を狙うことを告げた。


「エイドス支城からこちらへ来るのに高い場所があります。そこから弓兵で狙うようにとお願いすることにしました」


 ソロモンの言葉にマリアは小さく頷いて難しそうに地図を眺める。けれどソロモンはどうってことないようにマリアを見つめていった。


「レイヴァンを、兵達を信じてください。すべては信頼から始めるのですよ。あまり心配しすぎるのもよくはございません。自分の国の者達を信じてください」


 ソロモンにそう言われればマリアは押し黙ってただ小さく「うん」と答えた。けれどその表情は芳しくなく難しそうな顔である。やれやれ、とでも言いたげにソロモンは嘆息してマリアに言った。


「では、戦いに向かう前にレイヴァンに会っていらしてください。さすれば、レイヴァンも喜びましょう」


 マリアは小さく頷いてテントを出た。すると、ギルとレジーもついて行くのかと思いきや二人はテントの中で大人しく座っていた。


「おや、お二人は『王』の元に行かなくてよろしいのですか?」


 素朴な疑問を二人にぶつけると二人して小さく笑ってから「そんな野暮なことはしない」とだけ告げる。ソロモンはそれを聞いて守人にまで気を遣わせるとは困った二人だと心の中だけで呟いていた。


 マリアは天幕(テント)を出た後、レイヴァンの姿を探した。けれど、生憎とレイヴァンの姿が見つけられず肩を落としてしまう。そんなマリアにラルスが声をかけてきた。


「どうかなさったのですか」


「レイヴァンはどこにいるか知っているか?」


 合点がいったようにラルスは、頷いて見せてマリアに案内すると言って兵達があわただしく動いている場所から少し離れた場所にマリアを連れて行く。そこにはどこか思い詰めた顔のレイヴァンが、夕べの内に積もった雪の上に立っていた。

 そんな様子のレイヴァンに声がかけづらく戸惑っているとレイヴァンの方がこちらに気づいて声をかけてきた。


「王子、このような場所でどうかいたしましたか」


 すると、ラルスは空気を読んだようにその場を去る。それを確認してからマリアは口を開いた。


「少しだけでもレイヴァンに会えないかと思って」


 そんなことを言われて嬉しくないはずが無くレイヴァンは、心の中ではとんでもなく喜んでいた。けれど、あくまで冷静を装ってマリアに微笑んで見せた。


「ありがとうございます。臣下として至上の喜びでございます」


 そう言ってレイヴァンは恭しく跪いた。すると、ゆらゆらと白い雪が降ってくる。白い雪を眺めてからマリアはレイヴァンの方を向き直り、どこか不安そうな声色で言った。


「寒いから、道中気をつけて」


「はい!」


 レイヴァンは自分を心配してくれた事がとてつもなく嬉しくその喜びを隠せぬままにそう答えていた。それから、二人は整列している兵たちの元へ向かった。

 レイヴァンはマリアに必ず戻ってくることを告げると馬に跨って駆けだした。その後ろに兵達も続いていく。それをじっと眺めているとマリアの後ろからギルにレジー、エリスにクライド、クレアまでもが来た。


「みんな……」


 マリアが皆を見回すと、クレアが柔らかい微笑みを浮かべて「大丈夫ですよ」と告げた。


「あなたの一番の臣下を信じてください」


 そう紡いだクレアにマリアも同意を示すために頷いて見せて微笑んだ。そこでふとレジーが空を見上げる。


「レジー、どうかした」


「いえ」


 マリアの問いかけにレジーは短く答えると何か思い詰めた表情をしてソロモンの元へ向かい、雪に何やら落書きをしていたところに声をかける。


「少し話したいことがある」


 何を言い出すのかと思って策士は、やや身構えた。



 一方、レイヴァンの率いる兵達は雪の中を進んでいた。ソロモンの言ったとおりの道を進んでいく。先に向かっているエイドリアンの部隊がおそらくもう交戦しているだろうからそこから奇襲をかける。それがソロモンの策だった。ちょうど合流地点であるのでエイドス支城の弓兵が切り立った山の上に弓兵を配置し、敵軍を追い払う。といったものだった。けれど、雪であたりは真っ白だ。さらに風が少しづつ強くなってきている。吹雪になりそうだ、とレイヴァンは思った。果たしてこのままこの作戦を実行して良いのかと思い始めた頃、ついには吹雪となってあたりは白く塗りつぶされた。

 ふいに“あの時”を思い出した。それはこの国がコーラル国に乗っ取られた日であり、何とか戦線から離脱した日のこと。城から脱出することが出来たマリアと無事に会うことが出来て、様々な出会いを経てここまで来た。

 あの時の戦場は闇に塗りつぶされていたが、今は白く塗りつぶされている。あの時のようになってしまうのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎった時。


『寒さはコーラル国にとって不利だ。我々には慣れたものであっても、それを忘れるな。たとい、吹雪で前が見えずともそれは敵とて同じ。けれど、いくらか違うのはここが我らには慣れた土地であるということだ』


 ソロモンの言葉がよみがえる。


(ああ、そうだな)


 心を固めると手綱を握りなおした。その手が吹雪で凍り付いていくのを感じるが、心の闘志が消えることはない。

 ふと吹雪に混じって金属のぶつかる音が響いてきた。エイドリアンの部隊とやり合っているのだろうか、とレイヴァンが思っていると吹雪の中でエイドリアンの部隊が押されているのが白い中で見えた。

 地面には仲間の兵の骸が転がっている。どうやら、エイドリアンが率いている部隊の数が随分と減っているらしかった。奇襲をかけようにもこの吹雪だ。どう奇襲をかけようとレイヴァンが考えているとどこからか歌声が聞こえてきた。それは吹き抜ける風のような歌声だった。


『空を旅する風よ

 我らの声に答えておくれ

 気ままなままに我らの道を開けよ

 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 忘れないでおくれ

 自由を授ける変わりに我らの道を阻まぬ事を』


 すると、どうだろう。道が開かれるようにレイヴァン達に向かってきていた白い雪が風向きが変わってコーラル国の兵達ばかりにぶつかってゆく。


「いくぞ!」


 レイヴァンが兵達に声をかければ兵達は声を上げて前へ進み、コーラル国の兵達を蹂躙させていく。 けれど、こちらは1万の兵。圧倒的に数が少ないのもあって最初は勝っていたものの押されていく。心がくじけそうになったとき、切り立った山から“何かが”飛んできた。それは矢ではなかった。

 爆発音が響いたかと思えば小さな爆発が、コーラル国の兵達に目がけて起こって一瞬にして何十人もの屍の山ができあがっていた。

 その方向へ視線を向けるとエイドス支城からの援軍であった。その援軍はコーラル国の兵達に向けて雨のように何度も黒い物を投げる。すると、やはり爆発してコーラル国の兵達に恐怖を植え付けた。

 兵長はこれは勝てぬと思えば兵達に命じて撤退させた。そこでやっと黒い物体の雨は止まれば切り立った山からエイドス支城の兵達がレイヴァン達と合流した。その中には、エイドス支城で錬金術師として働いているセシリーの姿があった。


「セシリーさん!」


 見知った姿を見つけてレイヴァンは思わず声をかければ、セシリーも満面の笑みを浮かべてレイヴァンに駆け寄る。けれど、雪に足を取られてすっころんでしまう。


「へぶっ!」


「ああっ、大丈夫ですか」


 レイヴァンが起こしてやるとセシリーは、へらっと笑うと恥ずかしそうに頭をかいた。そんな気の抜けたセシリーを見るとレイヴァンもまた気が抜けてしまう。


「えへへ、またやっちゃいました」


「気をつけてください。ところで、さっきの“黒い物体”は?」


 レイヴァンが問いかけるとセシリーは、ふふんと胸を張って答えた。


「あれは“爆薬”です。安全装置を外して敵の方へ投げるとバアン! ってなります」


 わかりやすいような抽象的な説明にレイヴァンは、とりあえずわかったとだけ答えた。セシリーは気にとめていないようすで笑みを浮かべたままだ。それから、エイドリアン達とも合流してマリア達のいる場所へ戻ると真っ先にマリアはレイヴァンの元へ駆け寄ってきた。


「ケガはしていないか、痛いところはないか」


「大丈夫ですよ、エイドス支城からの援軍が間に合ったので」


 そこでふとマリアは、エイドス支城の軍とセシリーがいることに気づく。


「セシリー、お主も来ていたのか」


「はい! まだ殺傷能力がどれほどのものなのかわからなくて不安だったので。でも、なんとかいけそうなので良かったです」


 マリアは驚いて目を丸くする。セシリーはカバンを漁り、黒い何かを取り出すとレイヴァンにしたような説明をした。 すると、マリアはどこか悲しげに微笑む。


「そうか」


「でも、まだ改良の余地はありそうですね」


 セシリーは言って手に持っている爆弾をこねくり回す。それから、まだ実用するには早かったかなと呟いた。

 それを聞きながらもマリアはやはり表情が暗い。それを見てセシリーはマリアが煩わしていることを汲み取るとこういった。


「私は仕事だから、より殺傷能力の高い物を求められるけれど、本当はもっとみんなが驚いて楽しめるものが作りたいんです。王子に見せた“花火”のような」


 マリアはセシリーの台詞に心が温かくなるのを感じながらセシリーを見つめ返した。


「そうだな、いつか戦が無くなったらセシリーにみんなを喜ばせるようなものをいっぱい作ってもらいたいな」


「はい!」


 セシリーは元気よく答えて微笑んだ。すると、クレアがこちらにやってきてセシリーに抱きついた。


「久しぶり、セシリー!」


「クレアも!」


 そんな二人を眺めながらマリアは、また一つ目指さなくてはならない物が出来たと考えていた。



 夜、しんしんと雪が降り積もっていた。もうすでにテントの中でマリア達は休んでいた。けれど、レジーはぼんやりと凍てつく夜空を見上げている。そんなレジーにレイヴァンが声をかけた。


「今日のあの歌、お前なんだろう?」


「なんだ、気づいてたんだ」


 レイヴァンは小さく笑いレジーの隣に座る。


「お前が助けてくれなかったら、負けていたかもしれない」


「いや、オレが風向きを変えなくてもお前達は勝っていた。ソロモンは、そもそもそれを考慮して策を練っていたんだから」


 レイヴァンは相変わらずだなソロモンは、と思いながらレジーを見つめる。レジーは視線を受けつつもぼんやりとどこか遠い何かを見つめていた。


「だとしても、ありがとう。それだけを言いたかった」


 そう言い残してレイヴァンはレジーの元を去る。レジーはレイヴァンの方を振り返ることなくどこか遠い何かを見つめながら柔らかい笑みを浮かべた。


「『我らが王』でなくても、オレはあなたに会えて良かったよ。レイヴァン」


 誰にともなく言った言葉が、凍てつく夜空に温かく溶けていった。

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