第二十七章 燐光

 辺りが薄闇に沈み始めてソロモンが皆に野営の準備をするよう命じた。兵達はあわただしく辺りを駆けめぐり天幕テントを張り、火をたき始める。まっさきに立てた一際大きな天幕に馬から下りたマリアとエリス、クライドを中へ入れると次々にまた少し小振りな天幕が幾つもできあがっていた。

 それぞれの天幕へレイヴァン達も入れば兵は慌ただしさも減り、あたりはすっかり深い闇に飲み込まれた。兵達はその夜を守るようにいつでも抜刀できるような体勢で陣を引いている。そんな中で思わずマリアは居心地の悪さを感じてしまうのであった。

 そっと外をのぞき見たマリアが溜息にも似た息をもらすと息は白く濁る。まるでその息すらも兵達に見張られているような気がして思わず息を詰めて中へ戻った。

 エリスとクライドはマリアのためにテキパキと寒さをしのぐための上着や眠るための寝具を用意していた。それから、カバンに入っている“包みに覆われた何か”をエリスが取りだした。


「それは何?」


 マリアが何気なく問いかければ、エリスはにっこりと微笑んで包みを剥がせば包みの中から白い雪のような真っ白な粉に覆われたパンのようなものが出てきた。それを見てマリアは目を見開き、「なに、これ」と問いかける。


「シュトーレンです」


 短くエリスは答えてシュトーレンを“うすぅーく”手持ちのナイフで切れば白い粉が雪のようにはらはらと下へ落ちる。

 うすぅーく切ったシュトーレンをマリアに渡せばマリアはそれを受け取って食べてみる。すると、ほのかにする果物の味と生地の味がよいバランスになっていて甘過ぎなくしつこすぎない甘さでちょうど良い。


「おいしい!」


 マリアが素直にそう言えばエリスは、ぱあっと花を咲かせるように表情を明るくさせて喜んだ。それから、少し照れるように頬を赤らめうつむいて小さな声で「よかった」と呟けばマリアも嬉しいのか頬を綻ばせてシュトーレンを頬張る。そこへレイヴァンとソロモンが来た。


「うまそうな匂いがしたから来てみれば、エリス。俺たちの分はないのか」


 拗ねるように言うソロモンが可笑しくてエリスは小さく笑ってからレイヴァンとソロモンの分のシュトーレンも薄く切って渡した。それぞれ受け取って口に運ぶとぱっと表情を軟らかくする。


「うん、美味い。この季節はやはり、これを食べねば」

 

 満足そうに呟いたソロモンをマリアが不思議そうに見て「そうなのか?」と問いかければソロモンは大きく頷く。


「王子は食べたことがないのですか?」


「ああ。食事はいつもシェフが作ってくれていたけれど、シュトーレンは初めて食べた」


 嬉しそうに微笑んでマリアが答えればソロモンもまた微笑みを浮かべる。シュトーレンはマリアの気に召したようで何だか嬉しい気がするソロモンなのであった。

 ふとソロモンは咳払いをしてマリアを見つめる。


「シュトーレンも美味しいですが王子に話があって参りました」


 真剣なまなざしでソロモンがそう切り出せばマリアが頷いて先を促す。ソロモンは口を開いて言葉を紡ぎ出した。


「王子、これからは“あなた”を徹底的に隠してください」


 呆然とマリアは目を見開き、思わずソロモンの隣にいるレイヴァンの方を見つめた。けれどレイヴァンは、何も答えずただじっと石のように固まってマリアの様子を伺っているようだった。


「あなたは王子として振る舞っているようで、やはり女の子なのです。我々と共にいるとき、気を抜いて時折、声や言葉遣いまでもが女の子なのです。それすらも隠していただきたいのです」


 指摘されればマリアも思い当たるところがあって少し反省した。確かに皆といれば落ち着くし、特にレイヴァンの側にいるときが一番気を許してしまって気をゆるめてしまう。

 これまではそれでも王子として貫けたけれど、もし誰かに聞かれればすぐに兵達にも女の子であることがばれてしまう。いずれ明かすにしても、今は兵の士気を下げるのは得策とは言えない。

 だからこそ、ソロモンはマリアに忠告したのだとマリアは思わざるを得なかった。


「わかった。いっそう、気を引き締める」


 凛とマリアが見つめて返せば、ソロモンは満足そうに頷いて微笑みを浮かべる。それから、シュトーレンをもう一切れ頬張った。


***


 一人の兵士がコーラル国、国王バルドルの部屋へ入った。そこで兵士はバルドルにシプリン支城から多くの兵が王都へ向かってきていることを告げた。


「ついに、動き始めたというわけか」


 特に驚くこともなくバルドルが呟けば、兵士は「いかがなさいますか」とバルドルに問いかける。すると、バルドルはグレンを呼ぶように言いつければ兵士は返事を返して部屋を出て行った。

 兵士がしばらく城の中を探し回りやがてグレンの姿を見つけ、グレンにそのことを告げると「うむ」と小さく呟いてバルドルの部屋へ向かった。

 グレンが扉を叩けばバルドルは待ってましたとばかりに扉を開け放つ。そのことにグレンは驚いたけれどなんてことないように口元に笑みを浮かべて見せて部屋の中へ入った。


「どうかなされたのですか」


「シプリン支城から軍が向かってきているらしい」


 ほう、とグレンが呟いて思案顔をして考え込んだ。

 軍が向かってきているということは軍をまとめ、率いている者がいるのだろう。マリアは崖から落ちて亡くなっているはずだと思う。つまりマリアの従者レイヴァンなのだろうか。あり得なくない話だ。彼はこの国一の剣士と言われている。実際、剣を交えたことがあるが確かに剣の腕は確かなのだ。

 しかし、もしそうだとして何故今まで何もしてこなかったのか。剣を抜く以外の戦い方を知らなそうであるのにこちらの兵が半分以下とわかって攻め込もうとしているとはたいした策士だ。それとも、彼に入れ知恵をしている者がいるのだろうか。


「おそらく、向こうにも策略家がいるようなのだ」


 グレンの心を読んだかのようにバルドルが言えばグレンは小さく笑い、口を開いた。


「そのようですね。陛下、戦には絶対勝つということはございません。ただ絶対負けるということは無いように計略を考えるのです」


 言ってからグレンはとりあえずは守りを固めなさいと告げた。それから、向こうが疲労し始めたら攻撃へ転じましょう。まずは守ることが大切です、と告げればバルドルは「うむ」と呟いて軽くグレンをねぎらう言葉を告げると下がらせて今度は兵長を呼び作戦を告げた。

 すぐさま、兵長は部屋を出て作戦を成すための行動を開始し始める。

 部屋に残ったバルドルは、瞳の奧に炎を燃やしてじっと何かを見つめていた。



 近くの森を抜けて王妃アイリーンとバルビナが、王都の方を振り返った。すると、開け放たれていた王都の門が閉まっていくではないか。


「マリアがついに動き出したのね」


「そのようでございますね。何とか、マリア様と合流できればよいのですが」


「急ぎましょう、マリアを守るためにも」


 アイリーンは告げると足を速めて、シプリン支城へと急いだ。


***


 寝袋の中で眠っていたマリアはふと目を覚まして寝袋を抜け出すと外套を羽織り、天幕の外へ出た。外は寒く空気そのものが氷のようであった。それでも、マリアは天幕に戻ることなくどこかへ足を向けて歩き出す。

 何気なく空を見上げれば闇色の夜空に燐光を放つ弓張り月が浮かんでいる。上弦の月であろうか。マリアにはわからなかったが、これから国を取り戻そうと考えているマリアにとって満月へと近づいていく上弦の月であって欲しいと願ってしまう。

 視線を落として周りを見回せば墨で塗りつぶしたような木々が辺りを囲っていて、マリアを木の檻の中に閉じこめられたようだった。

 随分と遠くまで来てしまったようだ。いけないと思いきびすを返したマリアであったが、辺りは木々が覆うばかりで天幕がいっこうに見えてこない。


(こわい、こわいよ、レイヴァン)


 マリアが思わず泣き出しそうになったとき、足下に伸びた木の根元に躓いてすっころんだ。なんとか、上半身を起こすと目の前に白い手が差し出された。

 驚いてマリアが顔をあげれば、クライドがいた。


「王子の声が聞こえたから」


 マリアは嬉しそうにクライドの手を取り、立ち上がると「ありがとう」と答えればクライドは顔を綻ばせてからどこかへ行くときは自分を起こしてほしいと告げた。


「けれど、それではお前が眠れないではないか」


「あなたが側にいない方が眠れません」


 マリアは何も返せなくなり、頷いて見せた。それから、二人は天幕の方へ戻る。すると、マリアがいないとちょっとした騒ぎになってしまっていた。どうやら、レイヴァンが嫌な予感がして王族の天幕をのぞいたらしかった。

 兵から話を聞き、思わず苦笑いを浮かべるとレイヴァンが気づいてこちらに近づいてきた。


「王子、勝手にいなくならないでください。何かあったのかと思いましたぞ」


「すまない。でも、クライドも一緒だから平気だよ」


 レイヴァンはひとつ息を吐き出して、マリアにクライドと同じことを告げた。守られている自分を実感しながらマリアは、苦笑いを浮かべて聞いていた。


「王子、聞いてますか?」


「うん、聞いてるよ。ただわたしは少し、皆に甘やかされている気がして」


 マリアの口から出た言葉が意外だったのかレイヴァンは目を一瞬、見開いたけれどいつもの様子に戻って真剣なまなざしに変わる。


「甘やかしているつもりはございません。ただ恐いだけです」


「え?」


 呆然と呟いたマリアにレイヴァンが恭しく跪く。慣れた動きに様子を見ていた周りの兵達すら息を飲んで見とれていた。


「俺だけがあなたの騎士であったのに。この先もそうだと疑わなかった。けれど、あなたに仲間が出来て仕える者も増えて恐くなったのでございます」


 マリアの中の自分という存在がただの仕える騎士の一人に変わっていくことが恐いだなんて我が儘にもほどがある。けれど、自分だけが特別だと思いたかった。許されない感情を抱いているにしてもせめて、一番の騎士でありたかったのだ。

 そんなレイヴァンを知って知らずかマリアは、黒い騎士を優しく見つめて微笑むと地面に座り込み抱きしめた。

 兵達が思わず息を飲んで二人を見つめる。


「何を言ってるの。レイヴァンは、わたしにとって最高の騎士だよ。それは今だって、これから先だって変わらない。お前がいたからわたしは、“王子”という立場を何一つ恨まなかった。お前がいたから、わたしは気丈でいられたのだから」


 マリアが離してにっこりとレイヴァンに笑ってみせれば、騎士もまた小さく笑って自らの指に薄い金の髪を絡め取る。少し伸びたマリアの薄い金の髪が、燐光のように月明かりを浴びてきらきらと輝いていた。


(まったく、この方には敵わない。それに比例するように俺の独占欲がふくらんでしまう。いけない、とわかっているのに。どうしようもなく惹かれてしまう)


 愛おしげにレイヴァンがマリアの髪に口づけを落とすと、兵たちが少しばかり頬を赤らめ固まった。甘ったるいほどの視線を受けてマリアも思わず頬を赤らめレイヴァンを見つめる。すると、珍しくもクライドが咳払いをして二人の空間を破った。

 慌ててマリアは立ち上がり、レイヴァンにお休みを言うとクライドと共に天幕の中へ入った。すると、エリスも起きていて二人を見るとマリアに駆け寄った。


「眠れないのでしたら、起こしていただいてかまいませんから」


 皆、同じようなことを言うものだからマリアは思わず笑ってしまう。エリスは不思議そうにマリアを見つめていたけれどマリアに水を渡して矢を作り始めた。どうやら、矢の数が少なくなっていたらしい。


「エリスは何でも出来るな」


「いえ、何でも出来なければ生きていけませんでしたから」


 マリアはエリスの言葉に何だか悲しみがこみ上げて顔をうつむかせてしまう。するとエリスが驚いてマリアに声をかけた。


「どうかなされましたか!」


「いや、何だか自分の無力さを実感してしまって」


 マリアの唇から発せられた言葉はどこか寂しげで悲しげであった。そんな声を聞けばエリスは心を痛めてマリアの心が少しでも救われるようにと跪いて言葉を紡いだ。


「あなた様はそのままで良いのです。あなたを支えられるのなら、僕はこの技術を身につけて良かったと心より思います」


 そんなことを言われればマリアはうれしさがこみ上げて瞳に涙をためて「ありがとう」と答えた。やがて、青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳から零れだした涙はマリアの頬を伝った。

 クライドがマリアの涙をすくうように汲み取れば驚いたようにクライドを青い瞳が捕らえた。


「申し訳ございません。あなたの瞳から宝石でも零れたのかと思ってしまって」


 しゃれたことを言うクライドに思わずマリアは可笑しくなって笑みを漏らせばクライドも氷のような仮面が取れて笑みを浮かべる。そんなクライドをマリアは見つめてずいと顔を近づけた。


「どうかなさいましたか」


「クライドが笑った顔をあまり見たことがないから」


 マリアの言葉にエリスも同意すればクライドは頬を染めて顔を背けた。そんな仕草が人間らしくてマリアが思わず吹き出せばエリスもクライドも驚いてマリアを見つめた後、小さく笑った。

 やがて、疲れてマリアが眠るまでエリスとクライドはずっとマリアを見つめていた。



 マリアは天幕の隙間から漏れた日の光で目を覚ました。力強いその光は、マリアを起こすには十分すぎるほど強い光だった。その光を背にして天幕の中へ誰かが入ってきた。日を背にしているため、背格好はわかるが顔は見えない。

 マリアはぼんやりとその人物を眺めていたが、その人物が近づいて相手が誰かを認識するとがばりと起き上がった。


「レイヴァン!?」


「無断で入ってしまい、申し訳ございません」


 呆然としていたマリアであったが段々目が覚めてきてレイヴァンに問いかける。


「まさか、わたしは寝過ごしてしまったのか」


 けれど、レイヴァンは首を緩やかに横に振り「いいえ」と答えてからまだ早朝であることを告げる。ほっと胸をなで下ろしたマリアであったけれど、何か用があるのかとレイヴァンに今度は冷静に問いかけた。


「それがオブシディアン共和国から“お客様”が参りました」


「え?」


 マリアは慌てて飛び起きて服を手に取ると着替えを始める。それを見て慌ててレイヴァンが、天幕の外へ出て少し経つとマリアが出てきた。慌てて着替えたせいなのか着ている外套の結び目が歪んでいる。それを見てレイヴァンはくすりと笑うと「失礼」と断ってから結び目を直し、それからはねていた髪の毛を優しく撫でてやった。

 それだけでマリアは頬を真っ赤に染めてうつむきがちに「ありがとう」と答える。か細いマリアの声がレイヴァンの耳に届けば愛おしげにマリアを見つめて髪を撫でた。

 すると、マリアは耳まで赤く染めてさらにうつむいてしまう。そんなマリアに悪戯心を覚えてレイヴァンはマリアの耳に顔を寄せると耳元で囁いた。


「かわいいですよ」


 甘い声で囁かれればマリアは顔を上げてレイヴァンを睨み付けた。


「そ、そんなこと囁かないで」


 頬を赤らめたままマリアが言うものだから、レイヴァンはやはり愛おしくて堪らないとでも言うようにあつい視線をマリアに送っていた。その視線から逃れるようにマリアが視線を外せばレイヴァンは逃がさないとでも言うようにマリアの顎を取り、自分の方へ強引に向かせた。

 そのまま無言で見つめ合い甘い空気が辺りに満ちたとき、すぐ近くまで来ていたエリスが咳払いをして甘い空気ごと追い払った。

 驚いてマリアとレイヴァンは同時にエリスの方を向けばエリスは呆れることもなくただ拗ねたように怒ってマリアの側を通り過ぎた。不思議そうにマリアはエリスを見ていたけれど、ふと辺りを見回せば兵達がこちらをじっと見ていたのだ。

 レイヴァンは慌てて手を引っ込め何もなかったかのように「こちらへ」とマリアを促した。

 レイヴァンに連れられて兵達が天幕を張った場所を抜けてしばらく行った先には、茶髪の若い男と軽装をしたアレシア。その後ろには数人の兵がいた。

 茶髪の男はマリアを見るなり、ピッと背筋を伸ばして恭しく頭を下げた。


「わたくしはエリアス。ツェーザル様からの勅命でこちらの国の王子に用がありまして参りました」


 男ことエリアスを見てマリアは口元に笑みを浮かべて「わざわざ、ありがとう」といってからエリアスに近寄ればエリアスはそっと顔を上げる。


「わたしはクリストファー・M・アイドクレーズ。この国の王子だ」


 高らかにマリアが告げれば、アレシアはとても驚いてマリアを凝視していた。けれど、納得したような表情もその中には孕んでいる。

 マリアはエリアスの方を向き直り問いかけた。


「それでツェーザル殿の用とはなんだ?」


「我が主殿はベスビアナイト国をお助け申したいと仰っております」


 マリアが自分一人では決めかねぬと思ってレイヴァンをちらりと見れば、ソロモンが隣にいて小さく頷いた。マリアは、まっすぐに前を見据えて「力を貸していただいてもよいだろうか」と言えばエリアスはもちろんと答えた。


「それでは、伝騎を一騎走らせます」


 言ってエリアスは後ろにいる一人の兵士に目で合図を送れば兵士は頭を下げた後、馬に乗って走り去った。

 それを一瞥してからソロモンが口を開いた。


「お主のあるじのご高恩に感謝する。それでそちらのお嬢さんは?」


 アレシアは、一歩前に出てソロモンに自己紹介してから人を探していることを告げた。


「ほう、人を探しにこのような場所まで。それで探し人とはどなたかな」


 出来るだけ優しい口調でソロモンが問いかけた。すると、アレシアはマリアの方を一瞥した後、その名を口にした。


「ヘルメスという者です」


 アレシアの口調がどこかきつめでマリアは違和感を覚える。果たしてアレシアはこんなきつい口調であっただろうかと。

 ヘルメスを追いかけてここまで来たのは確かだと思うが、それにしては様子がおかしい。

 違和感を覚えているマリアの隣でレイヴァンは何かを感じ取っているのか険しい表情だ。そんなレイヴァンにソロモンがふと視線を投げる。レイヴァンはソロモンの視線を受けてどこか複雑そうな顔をして困ったように眉を歪めた。

 ソロモンはアレシアと少しだけ話をした後、レイヴァンと連れてその場を離れた。アレシアに会話を聞かれないぐらいまで離れるとソロモンが口を開いた。


「アレシア殿のあの様子、どう思う?」


「そのことを俺も考えていた。前に会ったときは、もっと穏やかな雰囲気だったと思うのだが」


 答えてレイヴァンはアレシアの方を見る。するとアレシアはマリアと話をしているようだった。その様子は以前、会ったときの様子とあまり変わっていないようだった。


「気のせいだといいのだが」


 ぼそりとレイヴァンが漏らせばソロモンがレイヴァンをちらりと一瞥してから口を開いた。


「人はまず“裏切る者”として考えよ。甘い考えは持たない方が良い」


「それは旧友としての助言か。それとも策士としての言葉か」


「どっちもだ。いついかなる時も人は裏切る者として考えろ。でなければ、姫様が傷つくことになりかねん」


 レイヴァンは「そうだな」と呟いてソロモンの言葉を飲み込み、アレシアの様子をじっと眺めた。すると、レイヴァンにギルが近寄ってくる。となりにはクレアも一緒だ。


「どうかしたのか」


 ギルは問いかけてから、レイヴァンの視線を追いアレシアの方を見て刹那に眉を潜めた。その様子にソロモンがギルに問いかけた。


「何かわかったのか」


「ええ、まあ。これでも俺は〈水の眷属〉の守人ですから。体内にある“水”の動きで多少なりとも向こうが何かを成し遂げようとしていることはわかります」


 何かとは何かとソロモンが問いかけたけれどギルは、そこまではわからないとでも言いたげに肩をすくめて見せた。ソロモンは落胆するように肩を落とすとレイヴァンを見つめた。

 成り行きを見守っていたクレアは、ギルから離れてアレシアの方へ走っていった。同性同士ならば何かわかるかも知れないと思ったのであろう。

 クレアは、マリアに後ろから抱きついて二人の会話に加わった。


「クレアなら何かわかるかも知れませんね」


 くすりと笑ってギルが言えば、ソロモンとレイヴァンも同意する。それから、またアレシアの方へ視線を戻した。

 そのとき、どこからか草笛が聞こえてきた。自由気ままな風のような音はあたりを柔らかい気配で満たした。草笛の方へレイヴァンが向けば案の定、レジーが気ままに草笛を吹いていた。

 ゆっくりと歩いて来るレジーに数多の目が向けられるけれど、気にする素振りもなく進みレイヴァンの隣まで来ると足を止めて草笛を止めた。


「風が泣いている」


 一言、静かにレジーが告げればソロモンが不思議そうにレジーを見つめ問いかける。


「なぜ泣いているんだ」


「アレシアがしようとしていることに関係している。マリアに実害はないけれど、きっと悲しむことになる」


 ソロモンが何をしようとしているかと問いかけたけれど、レジーは顔を伏せるばかりで答えない。答えられないと言うよりも答えたくないといった感じだ。それから青い空を見上げてぼそりと呟いた。


「マリアなら」


 先の言葉は風にかき消された。

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