第30話「ブラコンだと知っていても」

 朱莉が僕のことを好きだというのは知っていた。

 ……知っていたが、僕は結局、朱莉のことを何も知らなかったようだ。

 朱莉の気持ち、そして『計画』を知った時、僕は朱莉が酷く怖い存在に思えた。

 盗撮、盗聴、監禁。

 彼女のノートに書かれたそれを読んだ時、いつか漫画やアニメで見た『ヤンデレ』キャラそのものであると気づき、朱莉は僕にとってどこにでもいる"普通の妹"ではなく、不気味さを孕んだ、ある意味特別な存在になった。

 何を考えているのか、何をしようとしているのか。

 分からない。怖い。


 ……そうだ、いっそ全てをぶちまけてしまおうか。


 両親に相談すれば何か解決策が出てくるかもしれない。きっと二人は悲しむだろうけど、それでもこの現状を打破するにはそれしかないんじゃないか。そう思ったこともあった。


 でも、結局出来なかった。

 いや、しなかった。


 何故か? それは多分、最後まで僕が朱莉のことを嫌いになれなかったからだろう。

 たとえ朱莉がどんな妹であっても、僕にとってたった一人の、大切な存在であることには変わりない。

 怖いけど、不気味だけど。

 僕が何とかしなければいけない、そう思ってしまったんだ。



 七海の家での一件から数時間経ち、僕と朱莉は自宅へと帰ってきた。

 僕も知らないもう一冊のノート。

 そこには、この数ヶ月朱莉がとった行動の本意が記されていた。

 朱莉は僕がノートを読んでいることを知っていた。

 知っていて、わざと僕に『計画』のことを教えたのだ。

 それは『計画』のことを知った僕が、朱莉に対してアプローチをかけるだろうと考えてのことらしい。

 実際、『計画』のことを知った僕は、距離を取ることで回りに不仲アピールをしようと目論んでいる朱莉に対して、逆に仲良くなれば解決出来るのではないかと考え行動している。

 ここは朱莉の予想通り、そういう訳だ。

 だがこの『裏ノート』によれば、そこから朱莉にとって予想外のことが起きたらしい。


 それは……僕に対する好意が、より強くなったこと。


 今まで距離を取り続けていた反動か、僕と会話することで今まで我慢していた思いが爆発し、僕と『普通の恋』がしたい、そう思うようになったとこのノートには書いてある。

 朱莉が僕のことを、一人の男として意識していることは知っていた。

 だが、朱莉がこんな風に僕のことを思ってくれていたなんて、思いもよらなかった。

 この数ヶ月、朱莉が僕に近づいて来たのも、何か別の考えがあってのことだと心のどこかで疑っていた。

 もちろん朱莉とまた仲良くなれるのは嬉しかったし、このままいけば彼女の『計画』を食い止めることも、もしかすれば朱莉が"普通の妹"に生まれ変わってくれるのではないかと思ったりもしていた。

 だが、僕の知らないところで、朱莉は生まれ変わっていたのだ。

 もちろん、実の兄に好意を抱くなんてことが正しいとは思わない。

 だが、その好意は以前の歪んだ感情ではなく、どこにでもいる普通の、恋する女の子の持つそれになっていたのだ。


「朱莉、入っていいか?」


 朱莉から借りた『裏ノート』を読み終わった僕は、隣の部屋で待っている妹の元へと向かった。


「うん、いいよ」


 ドアを開き、部屋へと入る。

 そういえば、こうして堂々と朱莉の部屋に入るのは何年ぶりだろうか。

 これまでこの部屋にはこっそりノートを読みに来るだけだった僕は、この部屋で朱莉と顔を突き合わせている状況がやけに不思議に思う。


「ノート、読んだよ」

「………うん」


 そう告げると、朱莉は静かに言葉を返した。

 その声は、先ほど僕の元へやってきたときに比べると、随分と弱々しいものだった。

 朱莉はきっと気づいているんだろう。

 僕がこのノートに目を通した以上、これまでのような関係を続けるのは無理だってことに。

 今まで答えをはぐらかし続けていた『妹からの好意』に、明確な返事を返す。

 お互い口にはしていないが、そうなることは分かっていたはずだ。


「その……朱莉が僕のことを、そんな風に思ってくれていたなんて知らなかったからさ、今はその、ビックリしてる」

「……うん」

「――でも」


 俯いたままの朱莉の体が、少しビクッと動いた。

 それは、僕が今から朱莉に伝えることを、彼女自身も何となく察しているからだろう。

 表情は見えないが、どんな顔をしているのかは何となく分かる。

 ……でも、これは伝えないといけない。ハッキリと僕の口から、言わなければいけない。


「僕たちは、血の繋がった兄妹だ。朱莉の思いに答えることは出来ない」


 朱莉の本性を知った数年前から、いつか朱莉に言わなければいけないと思ってい

た。

 だけど朱莉のことが怖くて、ずっとそんな現実から目を背けていた。

 朱莉と距離が縮まれば、自然と僕に対する思いも消えるんじゃないか。自分の間違った感情に気づいてくれるんじゃないか。そう自分に言い聞かせて。

 だけど、それは間違いだったと気づいた。

 だって……僕はこうして、大切な妹を泣かせてしまったのだから。


「ごめん、本当はもっと早く言うべきだった。そうすれば朱莉も……」


 俯きながら涙を流す妹を前に、これ以上言葉を口にすることは出来なかった。



「……もういいよ、お兄ちゃん」


 数十分経っただろうか。

 涙が止まった朱莉は、俯いていた顔を上げ、パンパンに腫らした目で僕の方を向いた。


「分かってたよ。お兄ちゃんが私の気持ちには応えてくれないんだろうなってことは。だから中学生の時から、あんな『計画』を実行しようと思ってたんだしね」


 そう言いながら立ち上がる朱莉。


「お兄ちゃんはさ、私のこと嫌いにならないの? ずっとお兄ちゃんに酷いことしてきたのに、どうして私に何も言わないの?」

「……正直言えば、僕は朱莉の事が怖かった。何を考えているのか分からないし、朱莉が何をしようとしているのかも分からなかったから。……でも、中学生になって気がついたら朱莉と距離が生まれてて、寂しいなと思ったのも事実だったんだ。結局僕が朱莉を突き放すことが出来なかったのは、今も昔も、朱莉のことを大切に思っているからなんだろうな」


 そういうと、朱莉は少しだけ悲しそうな表情を浮かべ


「でもそれは、妹として、だよね?」

「……うん」


 もしかしたら嘘でも吐いて慰めた方が良いのかも知れない。

 こういう時、どんな言葉をかけてあげるのが正解なのだろうか。

 だけど……今の僕に出来ることは、朱莉から目を背けず、僕の本当の気持ちを伝えることだけだ。



「……ねえ、お兄ちゃん。一つだけお願い、聞いてもらってもいい?」


 僕の返答から数分。

 静寂が訪れていた僕たちの間を、朱莉の言葉が切り裂いた。


「お願い?」

「そう、お願い。一つだけでいいから」


 そう言う朱莉に、僕は首を縦に振る。


「で、お願いってのは?」

「……それはね」


――これからもずっと大好きなお兄ちゃんの隣にいることを許してね? ……私がブラコンだってことをお兄ちゃんが知ってても、ね?

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