第8話


 郡芝美雪は、勤めて2週間になる新人ホステスに、正直いらいらしていた。

(上田さんの紹介だから文句は言いたくないが……)


 狭い店内にはママの美雪とホステスが4人。いつもの常連客がそれぞれのテーブルでいつものように酒を飲んでいる。

 古株のホステスに常連を根こそぎ引っ張られてから、美雪は、自分の店の女の子にプロ意識を求めていない。色気で客の気を引くのをやめ経営に徹した美雪と水商売に素人な4,5人で、スナック美雪は回転していた。

 酔った男は、誰でも女の体を欲しがる。幾らややこしい客を排除しても、良い客を変貌させては元も子もない。酔客がエスカレートすればいつでも逃げられるよう通路側に座るそのルールを、美雪は自分の店のホステスに徹底させていた。

 二人の男に体を挟まれた格好の沙織は適度に体を密着させながらそれでもトラブルなく上手に男たちをあしらっている。

 水商売は初めてだと言いながら、そんな所も美雪には妙にしゃくに障った。


「灰皿お願いします」

 店の熱気で少し汗ばんだ様子の沙織が、カウンター越しに声をかけてくる。


「沙織ちゃん、席、気ぃつけてな」

「あ……ごめん、またやってしもた」

 当の沙織はペロッと舌を出すと、おしぼりと灰皿を持って席に戻っていく。

 塞がった両手を上にあげ、お尻を振って二人の客をボックスの奥に押し込める。


「怖いねえ。最近のガキは」

「ああ、ボーリング場で相手土下座させて殴ったんじゃろ。やくざも顔負けや」

「いやあ、それがやられた方も悪さしとったらしい。娘に聞いたら、殴ったほうがいい奴じゃ言うてたな」

 隣の席の男が口を挟む。目の前のホステスより、沙織に関心があるようだ。


「よっちゃんの娘さんっていくつよ」

「いや、中学2年なんやけど、その男、やったほうの、結構有名らしいわ」

「え~気いつけんと変なのに引っかかったら大変やで~。あ、新聞ちょっと見せて」

 均整の取れたバストがワンピースにくっきりと映え、新聞を読む少し捻った姿勢が沙織の細い腰を強調する。


 三十そこそこで、若さもある、色気もある。本人に悪気はないのかも知れないが。(最近、直子の様子が変なので、過敏になり過ぎか……)


「ママの娘って幾つよ」

「今年高校出たばっかりやけん。働きもせんとぶらぶらしとりますわ」

「儲かっとんのに、学校でも行かしたりいな」

「そやなあ、あんたらが焼酎やめて高級なブランデーでも入れてくれたら、ケンブリッジでも行かしたろかしらん」

 そうは言ったが、この店の客を、美雪は心底ありがたいと思っている。

(誰がやれもせん女に、無体も言わんと金を落としてくれるか)


 美雪と名付けた父親は、東北からの流れ者でひどく乱暴者だった。

 初めての男は、直子をみごもった途端、二人を捨ててどこかに逃げた。

 寂しさですがり付いた男は、あろうことか……嫌なことを思い出す。


 女を捨て直子の為に生きると決心したのは丁度、沙織の年くらいだったろうか。

 女を上手く使いこなすことへの、嫉妬なのかもしれない。





「沙織は、やっぱり使いづらいか」

「いや、その逆よ。美人やし、水商売むいてると思うわ。市内の店ならもっと稼げるのにもったいないぐらいやね。でもうちの店じゃ……」

「知り合いの娘じゃけん、あんまり本格的なバーとかはどうもな。ママの店やったら安心できるけん。すまんけど」

 上田は迷惑がかかっていないかどうか心配そうで、それでも頼むという風だ。

 店を閉めた後、美雪は小さな居酒屋で、常連の上田と待ち合わせていた。


 飲み屋で立ちが悪い人種の一番目は、公務員。せこく、汚く、調子に乗って、歯止めがきかない。だが、その公務員である上田は上品な上にも上品で店にお客も引っ張って来てくれる。紹介された客も上田の顔があるからけっして店を粗末にはしない。


「直子ちゃん、元気にしちゅうか」

「ぶらぶらしてますわ。まあ、悪さはしよらんけどね」

「市役所関係のところでも、どっか紹介しようか」

「今、不景気やし。無理してあんな半端もん押しこんだら上田さんに迷惑やわ」

「いや、紹介出来るのも今のうちやしな。わしもいよいよ早期退職ちゅう奴や」

「退職ちゅうて……民間会社じゃあるまいし。それにそんな年じゃないじゃろ」

「まぁ仕事がなくなるわけじゃないけん。こっち関係の不動産屋に行くことになると思う」

 上田は、人差し指でほほをなぞった。土地がらかせぎが良いのはやくざがらみのことも多い。役所に影響力は残しながら、地権ちけん関係で食べていくつもりらしい。

 ただ、今までみたいに瑣末さまつ便宜べんぎまでは手が回らなくなると言うことだろう。


「まあ、堅い仕事じゃないけん。今までみたいにわしも、世間体せけんていを気にする事もないわ」

 そう言うと、上田は焼酎のお湯わりをぐっと飲み干した。

 最後の言葉の意味は分かった。5年前、妻に先立たれた上田は、それでもこれまで美雪を口説いたことはない。

 ぼくとつとした男の、不器用な口説き方だった。









「戸髙ちゃんがお見限りの代わりに、岩本ちゃんがよう通ってくれたわ」

「いや、仕事が忙しくて、よう出てこられんで」

 戸髙は、面目なさそうに頭を掻いた。

 社長の思い付きで、家電量販店で在りながら生鮮野菜をイベント的に売り出したので、基幹きかん店舗である戸髙の店はここ2週間、煩雑はんざつきわめた。


 熱燗と生の鳥貝の甘みが舌先を転がり、ここ暫くの緊張が溶けるようで少しほっとする。殻付きが出るには遅いからこのは養殖物……最近は、旬そのものがない。


路地物ろじものの低農薬の野菜……悪くはないんじゃけど」

 誰に聞かせるでもなく、言葉が出た。


「え? 野菜」    

「そう野菜。ここ暫く俺は八百屋やってたの」

「電気屋なのに」  

「そ、電気屋なのに」

「ほな冷やしトマトでも出そうか」

「野菜はいいよ、もうこりごり。地鶏でも焼いてよ。今日は、とりくし」

「あいよお、地鶏一丁~」

 客は戸髙1人で、大将はわざと大きな声を上げる。


地鶏じどり一丁~」

 女将さんも続いた。


(不景気なんだな)

 良い店ではあるが、場所が悪い……それでも、年老いた夫婦は仲むつまじい。

 

 バツイチで独り者の岩本を誘ったが、都合が悪いと断られた。

 そんなにこの店に通っているなら、今夜も付き合ってくれればいいのに。


(あいつ、このままひとりでいるつもりだろうか。……ウーロンが今25歳だから、俺たちが大学生のとき小学校6年生くらいか……そう言えば、迷子を連れて行って、バイト先まで連絡が来たことがあったっけ。俺に娘でもいれば気をつけなきゃ……)


 鼻が膨らみ、くぅっと笑いそうになる。炭火の前の大将が何事かとこっちを見た。


 気難しくて繊細だが、あいつほど良い奴もいない。

 同世代の男達は、いわれのない誹謗を受けやすいのだ。


 あいつはそのほうが幸せなのかも……俺は?




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