水曜日

「ちょっと、嫉妬しちゃったな」(1)

「ナナと気まずい」


 机に突っ伏したままだったから、相当にくぐもった声になってしまった。これでは心底嫌そうに聞こえたに違いない。確かに現状は嫌なのだが、だからといって、イコールでナナが嫌い、と捉えられては困る。……困る? 何でだ? アイツに対してはそもそも、好きも嫌いもないじゃないか。


「そうなんだ」


 上体を起こして確認したわけでは無いが、恐らく本を読んでいるだろう、君野がゆったりと言う。視界ゼロの今、君野の声はやたらと耳に残る。

 西日が差し込む放課後の教室で、俺と君野は何故か二人きりだった。いつもなら、帰宅部の奴らが何人か残って、惚れた、腫れた、だのくだらない話に花を咲かせているはずだが、運良く今日は誰も居ないみたいだった。


「駄目だよ、喧嘩なんかしちゃ」


「喧嘩、では無いけど……何だろうな」


 いや、喧嘩で良いのか。相手が俺じゃないってだけで。そして、その結果如何によって故郷を追われるってだけで。どちらかというと身内同士の諍いに俺が巻き込まれたって形になるのかな? ……それだと薄情すぎるか。スペードの言いじゃないけど、既に関わってしまっているのも事実だし。折り合いというか落としどころを探るぐらいの事はするべきなんだろうか? と言ってもなぁ。昨日は取り乱したけど、向こうの言い分も分からないでは無いんだよな……。やっぱり薄情だ、俺は。


「彰彦くんは」


 考えをまとめようとして、却ってごちゃごちゃになってしまった俺に君野が話かけてくる。耳を凝らして続く言葉を待つが、語り出す気配も無い。今のは聞き間違いだったのかと思いつつ顔を上げると、君野と目が合った。


「やっと、こっち向いた」


 目の前の席に座っている君野は、普段見たことも無いような締まりの無い笑顔を俺に向けていて、何だか見てはいけないものを見たような不思議な気分に陥った。


「なんつー顔してんだよ、お前」


「んーと、愛しいものを見る顔、かな?」


 慌てて目を逸らし、組んでいた腕を伸ばす。

 よくもまあ、こんな歯の浮くような台詞が出てくるな。君野のこういうところが小さい頃からずっと苦手だった。他人である俺に対して、剥き出しの好意を向けてくる。そんなことをすれば勘違いする輩もいるだろうに、なぜそんなことをするのか。俺の様な小市民には理解しがたい。


「誰にでもするわけじゃないからね」


「何だよ。お前も読心術かよ」


「わかるよぉ、長い付き合いだもん。……お前も?」


 おっと、失言失言。

 今、アイツ等の事をべらべらと喋る気にはなれん。


「それで、俺が何だって?」


「うん。彰彦くんは、ナナちゃんの味方をしないと駄目だよ」


 ……なんだそれ。


「ちょっと意味が分からんのだが」


「うん。私も分かんないけど、ナナちゃんが来てから、彰彦くんすっごく楽しそうなんだもん。お礼を言いたいくらい。だから二人の間に何があったか分かんないけど、ナナちゃんを責める様なことしちゃ、だめ」


 ちょっと強引な気もするが、言わんとすることはわかる。何かから逃げるようにこの高校に入って以来、がむしゃらに生活費を稼いで、精神に蓋をして生きていたようなものだ。君野は随分と心配してくれていたと思う。


「二人で話してるとき、私も、多分花白さんでも見たこと無いような表情してたんだよ、彰彦くん。ちょっと、嫉妬しちゃったな」


「……辞めてくれ。俺のライフはもうゼロだ」


 再び自分の腕に顔を埋める。ここ数日、感情をかき乱されてばかりだ。それというのも全部ナナのせいだ。


「まあ、仕方ないよね。ナナちゃん、妹さんにそっくりだもんね」


「ん……」


 考えたことも無かったが、確かにそうかもしれない。生意気な口利きとか、それでも許してしまうオーラとか、似ていると言えば似ているかもしれない。俺の妹の胸は大きくなかったが。


「妹、妹か。久し振りに思い出したような気がする」


「もー、駄目じゃない。駄目駄目じゃない。ナナちゃんの事が一段落着いたら会いに行きなさい!」


 君野が珍しく大きな声を出す。こいつが声を張り上げているのは大体、自分でなく俺の事である。そして……。


 安芸津空あきつあき。我が妹が苛められていた時も、身を挺して、声を張り上げていた。要するに俺と空の二人はこいつの庇護下にあったってわけだ。そしてそれは今もそうらしい。今、空に会えたら何て言うのだろうか。


「空、ねぇ……。申し訳なくて、何だかな。会って良いのかな」


「良いに決まってるじゃない。兄弟が会うのに、理由なんていらないよ」


 そんなもんか。……うん、そうだな。


「良し。ナナの事が片付いたら会いに行くとよう」


「その意気だよ。なんならナナちゃんと一緒に行くといいよ」


「何で……ああ、いや。別に良いか、それでも」


「良いのかよっ」


 良いのかよっ?

 今、君野に突っ込まれた? 何で? 


「あはははは。彰彦くん、変な顔」


 呆気にとられている俺を指さして笑う君野。何なんだ、一体。

 何で自分から突っ込んでそこまで笑えるんだ。


「あはははは! あー駄目だ、止まんない。あはははは」


「……っぷ」


 だけど、そんな君野を見ていたら、どうでも良くなってきた。俺はさっきまで何をうじうじ悩んでいたんだってぐらいの気分だ。

 ……割とデリケートな話もあったんだけどな。


「あー……。やっと落ち着いてきた。……ふふっ」


「収まってないじゃん」


「だって面白かったんだもん。彰彦くん、随分ゆっくりしているけど、バイトは良いの?」

「ん。もう少ししたら行く。そうだな、あの二人にもいつかちゃんとお礼しとかなきゃだな」


 我ながら随分と恥ずかしいことを言っている。後で思い出して大声出しながら足をばたつかせるパターンの奴だ、これ。


「そうだよ。花白さんにも、店長さんにも、そしてナナちゃんにもお礼を言わなきゃだよ。彰彦くんはいつも一言足りないんだよ」


「いや。それについては本当に申し訳ない、それに」


 ぴと。

 言い訳じみた言葉を紡ごうとする俺の口を君野の人差し指が制す。


「ううん、良いよ。でも一つだけ約束してほしいかな」


「おう。今の俺は何だってほいほい安請け合いしちゃうぜ。言ってみろ」


「いつか。私にもお礼を言ってほしいかな」

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