1week 魔法少女の卒業試験

石嶺 経

日曜日

「あたしは魔法少女」(1)

 こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないし、俺の人間性だか人格だかそういうものが疑われてしまうかもしれないが、敢えてそれは無視して端的に事実を述べようと思う。


 人を撥ねた。


 本業である筈の高校での学生生活を忘れ、ともすれば此処で何年前からも働いていたと錯覚してしまうくらいに勤しんでいたコンビニのバイト帰りのことである。怒涛の二週間連続出勤という偉業を成し遂げ、精も根も尽き果てた俺はともかく睡眠を取ろうと、校則で禁止されている原付に跨り、自宅へ帰ろうとしていた。殆ど意識は無く、運転していいようなコンディションでなかったことは確かだ。

 三つ目の交差点に差し掛かったところで赤信号に引っ掛った。急激に眠気に襲われた俺は、原付を足で支えながら器用にも眠りこけていた。立ったまま死んだと言われる豪傑、武蔵坊弁慶の様にさぞかし荘厳な姿であっただろうと思う。


 ともかく数秒だか、或いは数分かもしれないが意識を失っていて、気が付けば目の前の信号は青く爛々と光り輝いていた。焦ってアクセルを回した俺の安全確認が十分であったとは思わない。ただでさえ疲れていて、午前五時という人通りの少ない時間だ、気が緩んでいたのは俺の過失だ。


 しかし、いくらなんだって、目の前のマンホールから人が出てくるのをだれが予想できるというだろうか。


 急にハンドルを切った俺の原付は目の前の人をぶっ飛ばし、尚且つ俺を空中に放り投げ、自身もどこかへ吹っ飛んでしまった。宙を舞っている間、ああ、これは夢だ、夢なんだと必死に思い込むことに専念した。思い込みの力は偉大である。何秒空中に滞在していたかは分からないが、尋常でない疲れもあって、現実感が薄れてきた。


 そんな俺を現実に引き戻したのが痛みである。無様にも尻から着地した俺は、中学野球部時代に食らったケツバットを何十倍にもしたような激痛で目が覚めた。慌てて立ち上がろうとするも、足に力が入らない。這い這いで歩道まで移動し、やっとこさガードレールにもたれかかると、反対車線に横転した俺の原付と、交差点のど真ん中で大の字になっている人……身長の低さから察するに子供? が目に留まる。


 ははは、終わった。これで俺は犯罪者だ。序に原付もぶっ壊れただろう。元々ないような社会的地位と、唯一の財産と。同時に失った。

 明日の見出しはこうだ。


「不登校少年、子供を轢き殺す」


 子供を殺したとあれば世間の風当たりも相当なものだろう。少年法に守られている身ではあるが、一生忌み嫌われて生きなければならない。むしろ好かれるようなことがあってはならない。人殺しとして生きるぐらいなら、いっそのこと死んでやろうか。


 尻の痛みと惨めさが相俟って、涙が零れてきた。視界が霞む。大の男がおいおいと声を上げて泣いた。さぞかし滑稽だろうが、周りに人なんかいない。死体ぐらいだ。どうせこれからは犬畜生以下の人殺しとして生きていくんだ。せめて最後に人らしく泣いておこうと思うといやに涙が出て、足元に水たまりが出来た。鬱屈とした思いが洗い流されるようでどこか神々しさすら感じられた。


「いやいやー。びっくりしましたー」


 場にそぐわない暢気な声が聞こえてくる。何だ、野次馬か?

 顔を上げると交差点に横たわっている筈の子供が、長い髪を指でいじりながらこちらに歩いてくる。


 え、何で生きて、というか女? 


 痛みと混乱とで頭の中がごちゃごちゃして敵わない。馬鹿みたいに口をあんぐりと開けて少女(予定)の動向を見守るしかない。どうせ足は動かない。思い出したかのように尻が痛みを主張する。尻が四つに割れて死ぬかもしれない。


「何ですかーその顔。幽霊でも見ましたか?」


「いや、だってお前、轢かれて」


 見るからに年下の女子相手に、しどろもどろになっている姿はとても見られたものじゃないが、誰だって死んだと思った人間が生きていたらこうなるだろう。若しくは幽霊に気さくに話し掛けられてもこうなるかもしれない。


「轢かれてないですよー。貴方は単独で事故に遭っただけです。まったくついてませんね。とにかく、そこの乗り物はそれじゃあ邪魔でしょう」


 長閑な口調で言って、十メートルは離れているだろう原付の元へ一瞬で到達する。俺がまだ夢を見ているんじゃなければ、少女(確定)は片足で一度地面を蹴っただけだ。


「よっと。なかなか重いですね」


 片手でハンドルを掴み、大して重くなさそうに水平に持ち上げる。何なんだこいつ化物か。今時の少女は片手で原付を扱うのか。若しくは部活で物凄く鍛えている体育会系少女なのか……流石にないな。細いし。


 目を離さずにいたつもりだったが、いつの間にか少女(化物)が真横に来ていた。原付は持ったままだ。今日会ったことを話しても誰も信じてくれないだろな。


「ここで会ったのも何かの縁でしょう。自己紹介といきませんか?」


「……もう好きにしてくれ」


 宙を舞ってから現実感がない。強いて折り合いをつけるとしたらこの事態は全て俺の妄想というところで決着がつくだろう。

 妄想の産物である少女は何を言い出すのだろうか。この尻の痛みはリアルだとしか思えないのだが。


「あたしは魔法少女です。名前はまだありません」

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