19 人と仮人
この国の人口は少ない。しかしこの国の豊かさは人口の少なさによるものである。国富が同じなら人口が少ない方が一人一人は豊かになれるからである。世界の一人当たりGDP上位国はルクセンブルクをはじめ小国ばかりである。
この国の人口政策は適正人口という考え方をとっている。人口が増えることが正常で、減ることは異常という成長主義を前提していない。さりとて古典的なマルサスの『人口論』や、ローマクラブ(ドネラ・H・メドウズほか)がこれを焼き直した『成長の限界』(大来佐武郎監訳/ダイヤモンド社)のような技術革新を考慮しない素朴な悲観主義も容れない。
適正人口は動的で、諸条件によって変動し、革命的な発明(パラダイムシフト)によって劇的に変化する。人口のボトルネックとされる農業生産力は経済史的に振り返ると、元々は種籾の備蓄、農地の地力、降水と日照が制約条件だった。その後、労働力がこれに代わり、エネルギーがこれに代わり、さらに遺伝子がこれに代わった。しかし人口の制約条件は食料だけではない。
この国では適正人口を社会的ハビタット持続可能性評価法(SHS)で計算している。これは人という生物の生息環境を、居住、環境、仕事、食糧、気候、交通、生殖、医療、安全、技術革新の10のパラメータと人口の関数として解析し、持続可能な人の生息をもたらす最適人口規模と人口構成を100年後までシミュレーションする方法である。もしも現在の人口が最適人口よりも多ければ人口減少が政策とされるのである。エコロジカルフットプリントはSHSの逆数ということになる。
SHSに生物多様性との共存、他国との共存、都市と地方の共存、個性の差異の共存、人型ロボットとの共存を加えた生息評価法を拡大SHS(ESHS)という。
現在この国の人口は縮小均衡状態にある。つまり減っている。この人口減少によるリセッションとデフレーションは人型ロボットの人口代替効果によって補われている。この国は移民を受け入れておらず、留学生や研修生を偽装移民として就労させることもない。だが人型ロボットはすべて輸入されているので、実質的には移民といってもいい。
人口減少を補うために輸入されている人型ロボットは擬制戸籍を取得して仮人(フェイクヒューマノイド)となっている。仮人は人と同等とみなされ、他の人または仮人に支配されたり従属したりすることはない。仮人は権利義務の主体として契約行為、商行為、代理行為を行うことができる。仮人は人と同様に課税される。仮人は擬制責任能力があり、民法と刑法の類推適用を受け、裁判を受ける権利を有し義務を課される。
地方グループは地域立法によって仮人に参政権を与え、地方政治委員会に参加させることができる。地方参政権のある仮人は民会に参加できる。仮人だけの地方グループを設立し、仮人だけの民会を招集することはできない。
仮人の国政参加は認められていない。これには憲法改正を要する。革命憲法制定時、仮人が存在しなかったため、憲法に仮人の権利規定がないからである。仮人の権利の拡大はすべて暫定憲法によるものである。仮人に国政参政権を与える暫定憲法には憲法学者が反対している。暫定憲法で参政権をえた仮人が憲法審議会の委員となって憲法改正を審議できることになってしまうからである。
仮人は自家充電式で、16時間の活動エネルギーを24時間で自家充電する。したがって1日8時間のスリープモード(クールダウン)が必要である。人間のレム睡眠と同様にスリープ中に人工知能の回路(ニューロン)の組み替えが起こる。すなわち仮人は夢を見る。これは標準時間であり、想定以上の負荷がかかった場合には活動時間が短縮される。セーフモードで起動した場合は24時間活動が可能になるかわり出力が70%程度に制限される。
仮人は人と同居しないかぎり人用の家はいらない。仮人はクールダウンする前にメンテナンスハウスに戻って、脱衣、洗浄、点検し、再起動後に着替え、化粧をする。仮人にはファッションセンスがプログラミングされており、四季に応じた服を毎日自ら選び、流行の化粧をすることができる。学習によって趣味は向上する。仮人は飲食を必要としないが、社交のために模擬的な飲食をすることができる。人と同等の味覚と嗅覚を有しており、有害物(劇毒物、病原菌)の検出ができる。これは同伴した人の食中毒回避のためである。模擬飲食した食物は防臭剤と防腐剤を添加され、人用のトイレで吐き戻される。消化管は1年ごとに交換される。
メイン人工知能がスタンドアロンで起動することで仮人の人格的独立性が担保される。社会性と公共性はバックグラウンドでオンライン接続されることで担保される。身体機能は感覚機能と運動機能が一体で設計されており、メイン人工知能と独立した身体記憶(無意識)が形成される。精神記憶と身体記憶のカップリング(予定調和)は心身一如といわれる。
仮人の人口比率は真人(自然人)に対して3倍までとされている。この比率はかつては古代ローマの奴隷人口比率に準じて0・5以内とされ、その後年々緩和されてきた。この規制はもはや実効性がなく、まもなく撤廃される見込みである。
仮人には男性体と女性体があり、標準体形は男が身長175センチメートル、体重70キロ、女が身長160センチメートル、体重50キロである。男女の体形の差は人との共同生活に溶け込むためである。仮人には擬制人格と擬似容貌が与えられる。体形や容貌、性格には人間の統計的差異を平準化(標準偏差の1倍以上の差異をカット)した差異がランダムに与えられる。したがって仮人に超高身長(低身長)、超肥満(痩身)、超美人(醜人)、超変人(天才、愚鈍)はいない。性差も統計的に設定される。男はこうあるべき、女はこうあるべきという性格や容貌のステレオタイプをあらかじめ求めることは差別と考えられている。
仮人の男女比は原則として1対1と定められている。最初は現業職に従事する男性体の需要が多かった。最近は対人サービスなどで女性体の需要が多くなっている。需要に対応するため、1対2または2対1まで製造時の男女比の修正が認められている。現状の男女比は約2対3で女性体が多い。
仮人のテクノロジーは完成している。技術革新は目に見えないところでさらに人に近づけるために行われている。最新型の仮人は喜怒哀楽の表情から心臓の動悸まで人と完全に同じである。擬似性欲もある。興奮するとハイパーベンチレーション(過呼吸)すら起こすことがある。
仮人は人または仮人と結婚することができる。結婚した仮人は婚姻法の類推適用を受ける。仮人同士が結婚しても子を設けることはできない。仮人の配偶者が人である場合は擬子(フェイクチャイルロイド)を設けることができる。擬子は子供型ロボットにすぎず、犠牲戸籍を有さない。擬子は親となる仮人の形質設定と配偶者のDNAに基づいて両親の形質が擬制遺伝するように設計される。擬子の性別や特定の形質の擬制遺伝を予め選ぶことはできない。擬子には成長がプログラミングされており、3か月~2年ごとに次の過渡成長体と交換される。18年で成人体になると擬制戸籍を取得して仮人となる。その際に擬子としての記憶を消去される。これは擬子でなかった仮人と無差別化するためである。
人と仮人の結婚は人口減少促進効果(絶滅効果)が指摘されている。仮にすべてのカップルが人と仮人の組合わせになった場合、次世代人口はゼロになる。
仮人には活動年数(論理寿命)が設定されている。活動年数を過ぎるとすべての機能が停止し、記憶が本体から分離される。活動年数は30年とされており変えることができない。18歳相当の成人体として製造されるので人間なら48歳が寿命ということになる。
仮人は加齢による容貌の変化や基本機能の劣化、つまり老化がない。年齢変化は、発声、服装、ヘアスタイル、化粧で演出する。知能は学習によって向上するため、熟年の仮人は貴重である。活動を終えた仮人の本体及び記憶(経験)はそれぞれ再利活用される。保存された記憶を利用して擬制人格的に同一性のある仮人を再生、複製することはできない。
仮人は財産を取得し、保有し、運用することができる。寿命が尽きた仮人の財産は、予め登記しておけば任意の人または仮人に贈与できる。人が配偶者である場合を除いて相続に関する法は適用されない。
最初の仮人は小児外科医の女性体ロボットだった。彼女は人と結婚するために擬制戸籍を取得し、最初の仮人となった。彼女の夫は彼女が手術した子供の父親だった。彼女は寿命が尽きたのちも解体されずに仮人史博物館に展示されている。記憶も消去されていない。
仮人は特定の技能において人よりも優れている。これは学習能力が高いからであり、初期設定では人と差別化されていない。現在では医師やエンジニアなどの専門技術職の全員が仮人であり、看護、介護、マッサージなどの対人サービスも仮人が大半を提供している。人と仮人が共働する職場では一切の差別が許されない。
この国では労働は仕事(ワーク)とよばれるので、労働者は仕事人(ワーカー)である。労働は生命の消耗であるのに対して、仕事は生命の発現である。労働の価値は時間で評価されるのに対して、仕事の価値は成果で評価される。労働の対価は賃金であるのに対して、仕事の対価は報酬である。この国には労働時間ないし勤務時間がなく、仕事はすべてフレックスタイム制で行われ、原単位(1回の仕事のスパン)は3時間以内とされている。ただし仮人には勤務時間を設定できる。仮人は時間的拘束に対して心理的苦痛を覚えないからである。仮人に勤務時間を設定する場合、1日8時間、1か月20日を超えないこととされており、時間外勤務や休日勤務は許されない。仮人にも身体性がある以上、私生活があり、メンテナンスも必要だからである。
ロボット化されている官吏は仮人ではない。仮人が公職に就いた場合、擬制戸籍は抹消され、権利義務の主体ではなくなり、責任能力は免脱され、財産は無償で収用される。これは官吏の一体原則と不作為原則を実現するための無能力化あるいは無責任化といわれる。官吏は結婚できず、財産をもつことができず、財産を贈与したり贈与を受けたりすることもできない。一度官吏となった仮人が再び擬制戸籍を取得して仮人に戻ることはできない。官吏及び身体性をもたない官僚(人工知能)は、仮人の人口制限比率に含まれない。
人型ロボットの擬制戸籍取得は最初は任意だったのだが、現在は義務となっている。これは無戸籍仮人の強制労働(奴隷化)を防止するためである。
人型ロボットの性能が飛躍的に向上し、二足歩行も当意即妙な会話もできるようになったため、実際に人とロボットが共存する社会が近づいている。このためかつてタイプライターが秘書の仕事を奪うと問題になったように、あるいは蒸気機関車が馬車の仕事を奪うと問題になったように、ロボットが人間から一切の仕事を奪うのではないかと懸念され、失われる仕事のリストがインターネットから公表されたりしている。
確かにロボットは雇用を奪うかもしれない。しかしこれまでもロボットは製造業の単純労働を代替することによって雇用を奪ってきた。人工知能が職長のような専門職で、人が単純労働の現業職という逆転はすでに現実になっている。人型ロボットが従来のロボットと違うのは公務や接客や介護のような対人サービスから雇用を奪うかもしれないことである。
ロボットの技術進歩によって人口減少は経済のボトルネックではなくなるだろう。完全に人を代替できるロボットなら1体100万ドルでも高くない。ランニングコストも含めて200万ドルなら人より安い。しかしかえってこれは人口減少に拍車をかけるかもしれない。
人口減少をロボットが代替することによって経済規模が維持されれば、一人当たり所得や一人当たり国富は増えていく。人口が減れば減るほど豊かになるので、人とロボットの共存社会は必然的に人口減少社会になる。
このパラダイムシフトを受け入れる時期が確実に近づいている。人口がどこまで減るかはわからない。数百年後に世界人口が100分の1に減っていたとしても不自然ではない。人とロボットの婚姻が卓越することによって、生物農薬(不稔害虫)が散布された農場のように、ほとんど一瞬にして全人口を失ってしまうシナリオもありえる。
人型ロボットが進歩すれば、ロボットだけの会社、ロボットだけの政党も出現するだろう。ロボットだけの国はもうありえない空想ではない。ロボットと恋するメロドラマも珍しいシミュレーションではない。少女漫画の『絶対彼氏』(渡瀬悠宇/小学館)はアジア各国で実写ドラマ化された。ロボットに参政権を与え、ロボットが政治家になることもいずれ認められるだろう。最初のロボット政治家はおそらくロボット市長だろう。ほとんどの市民にとって市長がだれかなんて今だってどうでもいいからである。
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