不眠症

@kounosu01111

第1話

 眠れなくなって十年目になる。

不眠症の話をしている訳ではない。不眠症のことなら少しは知っている。


 大学受験のとき、私は三年浪人していた。

その頃から私は昼間寝て、夜は勉強するという生活を三年も続けた。その頃体験した「ようなもの」と断るのは、その症状が世間一般に不眠症とされているものに合致するかどうか確信が持てなかった。

 私が二十歳のとき、一人で「奥の細道」のヒッチハイクをしていた頃は、眠れない日はなかった。

当時の私は、タバコを吸い、酒は一升位飲んでいた。酒席に恵まれていたのだ。その頃の私は、朝三時から新聞を配達していた。

何せ、大学入試に三回も失敗した最低の男である。不眠症であるが、病院にいくことはなく、本ばかり読んでいた。

その上、和風居酒屋で夜のバイトをしていて、そこの経営者である脇さんの長酒に付き合っていた。その酒の飲み方は、私の問う人間の「真理」という質問から始まり、白々と朝を迎えることも毎日だった。

私は、自分の生き方に悩んでいた。

 母は、精神病に罹患し、病院へ入院させていた。それに加え、父の喜一郎が横断歩道を歩いていてアンチャンの乗用車に跳ねられ、全身打撲で入院してしまった。

私が浪人となった十九歳の時であった。父は広田病院で危篤状態で入院していた。夜の介護が大変だった。

その後父は治るのだが、私が最初に見たときには、父の足から胸まで包帯でぐるぐると巻かれ、父の腿からは出血していた。

そのことを看護婦に訴えると、

「想定内ですから、一週間後の手術まで手当てするから、それまで待ってください。」と言われてしまい、私は手術の日を待っていた。

勿論その年の東洋大学哲学部へは入れなかった。私が選んだことは、同大学の通信講座だった。

その証明書は、警察の対応に役立った。その学生証一枚で、私を大学生と認めたのだ。


 百枚の原稿用紙を持って、伊豆修善寺の温泉に泊まった時、その旅館で一週間、小説を書くと称して、一週間泊まった。

又も証明書が役に立ったのだろう。その頃は不眠症ではなかった。

 しかし、高校時代から、小心の私は酒を覚え、女も知った。叔父が土浦のトルコ風呂へ連れて行ってくれたのであった。

私の生活は乱れに乱れ、夜も昼もわからなかった。

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