サンタとまん丸お月さま

daima

第1章 『クリスマス編』


「てめぇらー! 俺の妹に何やってくれてんだぁーー!」


「あ、兄ちゃ~ん!」


「うわっ三太だー、三太が来たぞー! 逃げろーー!」


「へっ、バカが逃がすかよ。イジメたことをサチに謝れ!」


「何で俺らがこんなドチビに……」



〈ゴン!〉



「痛ってーー、覚えてろよバカ三太!」


「うるせー! てめぇらこそ今度サチ泣かせたら、クソが出来ねえくらいケツ蹴り上げてやるからな!」


「バカの言う事なんて聞~こ~えませーーん! そうだ、ちょうど今日はクリスマスだぜー三太さん、なんかくれよー」


「何をー? そんなに欲しけりゃ何発でもゲンコツ喰らわしてやる!」


「兄ちゃーんもういいよ~。サチお家に帰りたい……」


「そっか……そうだな、わりぃわりぃ。サチ歩けるか? 兄ちゃんおぶってやろうか?」


「うん! サチ、おんぶがいい~」



〈キィキキーーー! バタンッ〉



「あれ? 父ちゃんの箱バン……」


「お前ら車ん乗れ! 母ちゃんが!! 急げーーーー!!」




               *




-2006年- 12月25日



「三太! この丁番三ケース、ミサキ建具さんに持ってってくれ」


「了解父ちゃん!」


「バカ野郎、会社では社長って呼べつってんだろ!」


「わーったわーった。いってきやーっす!」


「ふう~、ったくアイツは何でこうもガキのままかねぇー。二十も半ばになるってーのに、なぁサチよ」


「何言ってんの、社長と専務そっくりよ! フフ……それに」


「それに? 何だニヤニヤしやがって、気持ちのわりぃ」


「フフあのね……随分前からいい人いるみたいよー、兄ちゃんさ」


「かぁー!そっちばっか達者になりやがって、あのバカ息子が」




俺の名前は藤木 三太。父ちゃん(源太郎)と三つ歳下の妹(幸)の三人暮らしだ。父ちゃんが経営する建築金物の店を兄妹二人で手伝っている。


もっぱら俺は配達係、妹のサチは事務全般が仕事だ。自転車操業ながらも父ちゃんの営業力で、何とか潰れずにやっている。


母ちゃん? 


あの日のことは今でも鮮明に覚えている。元々病弱だった母ちゃんは、俺がサチを迎えに行ったあの日、近くの病院でまだ腹の中の弟と一緒に死んじまった。


それから父ちゃんは、男手ひとつで俺とサチをがむしゃらに育ててくれた。悲しい素振りや辛い素振りなんて、ただの一度も見せたことはない。


俺にも嫁さんにしたい奴ができて、ようやくあの時の父ちゃんの気持ちが少し分かった気がする。


でも、子供と愛する嫁さん……両方をいっぺんに失うこと以上の悲しみなんて、この世にあるのだろうか。


もしも俺の詩織と腹の子どもに何かあったら、とてもじゃないが生きてはいけないと思う。


ん? 結婚? まだだぜ、まだ……そうそう、そうだった!


詩織の腹ん中に赤ん坊ができちまったんだぜどうしようどうしましょうーーー!!


こんなこと父ちゃんに言ったら、それこそ俺は売り物のノコギリでギザギザに殺されちまうと思うのよ。


でもなぁー、ふう……。そうは言っても赤ん坊の成長は待ってくれない。今日こそ父ちゃんに報告して、ケジメをつけたいと思ってるんだ。



                 

               *



「ただいまーー」


「あぁ兄ちゃん、おかえりー。なぁーにその顔」


「お、ずいぶんと早かったじゃねぇか。こりゃ庭の洗濯物早いとこ取り込んじまわねぇと、雨でも降るんじゃねえかぁ サチ」


「もう父ちゃん! そんなことばっかり言ってるから、すぐに喧嘩になるんじゃない」


「いや……いいんだ。サチ、ちょっとマジで洗濯物でも片付けといてくれねぇか? 俺はちょっと父ちゃんと話があるからよ」


「え……。うん、わかった」



いつになく真剣な俺の物言いに、サチは何かを察してくれたようだった。



「あ? 何だ帰ってくるなりあらたまってよ、こう見えて忙しんだ俺は。何かあんならとっとと話せ」



(そんな顔して言われたって、話せるもんも話せねぇよ。自分のおっかねー顔、鏡で見たことあんのかよこのおっさんは……)



「あのな……父ちゃん」


「おぉ、いいから早く言ってみろ」


「詩織の……、俺の今付き合ってる娘の腹によ」


「あぁ」


「赤ん坊が……できちまってよ。いや、ちゃんと結婚はしようと思ってるんだぜ。もう病院にだって行ってきたし、二人でちゃんと話も……」


「気に入らねえ!」


「え? いや、そうだろ、そうだと思う。これじゃあ順番があべこべだってのは俺だって重々承知してんだよ、でも最近じゃあ」


「そうじゃねぇ」


「え? じゃあいったい何が気に入らねぇってんだよ父ちゃん」


「かぁーーっ、そんなことも分からねぇからお前はいつまでたってもガキだっつってんだよ。いいか?」


「お、おう」


「てめぇ今何つった? 赤ん坊ができちまったって言っただろ?」


「あぁ……言ったよ言いましたよ」


「三太! 赤ん坊ってぇのは宝だ。いつできただの、どんな親から生まれてきただの、ましてどんな場所で育っていくだのよ、そんなこたぁ関係ねー。


この世で一番大切にしなくちゃいけねぇ宝なんだ。それをお前、できちまったって言い草は何だ? 尻のデキモンみてえに言いやがってバカ野郎。


父親であるお前が一番最初に喜んでやらないでどうすんだ。そのぉなんだ、相手の……詩織って娘とこれから家族になろうって気概が伝わってこねえんだお前からはよ!」



(ほらこれだ。そんなに一気にまくし立てられたら、自分の気持ちも何も説明なんて出来ねえよ。まあ、父ちゃんの言ってることが正しいってのは俺にだって分かっちゃいるけどさ)


「あぁー何か言ったかこの野郎?」


「わ、わかった、わかったって父ちゃん。俺の言い方が悪かったよ。とにかく今から詩織を呼ぶからよ、ちょっと会ってみてくれよ」


「あぁ? 何だお前薮から棒に。今からってか? お、俺にだって心の準備ってもんがあらぁな」


「準備って。ゾンビみてえな顔してる癖によく言うぜ」



「なんでもねぇなんでもねぇ。おおーい、詩織ーー!」


「ん? ちょっと待て三太。おおーいっておめえ……まさか」


「何だよ詩織か? 配達の帰りに積んできたからよ、もう表にいるぜ?」


「バカ野郎ーーー!!」


「な、何だよ急にまたでっけぇ声出してよぉ……」


「何でそれを早く言わねえんだバカ三太! この寒空に身重な娘を外にほっぽっとくんじゃねえよ。早く呼んで来い! おーいサチーー! 何かあったけえもん入れてやってくれー」



(へいへい、人のことバカバカ言いやがって。だからさっきから俺が……)



それから俺は、表で待っていた詩織を家の中に招き入れ、仏間で待ってる父ちゃんの元へ案内した。大方母ちゃんと並んで座っている気分なのだろう。



「こんにちは、岬 詩織と申します」


「ど、どうも……初めまして。藤木源太郎 五十三歳、趣味は将棋……。と、特技はイ、インターネットでサーフィンを少々……」


「父ちゃん! パソコンなんて触ったことないじゃない。もうっ、何で嘘つくのよ」



そこへ、暖かいお茶を運んできたサチも加わることとなった。



「あ、幸さんね 初めまして。三ちゃんから話はよく聞いてて、私早く会ってみたかったの」


「ほんとですか? 私も兄ちゃんのこと選んでくれる殊勝な人って、一体どんな人なのかなぁって……」


「おいサチ! それじゃあ俺が詩織に選んで貰ったみてぇじゃねえかよ」


「え? そうじゃないの?」


「まぁ、違うとも……言いきれねぇけどよ」


「ほら見なさいよ! こんな美人から兄ちゃんを好きになるなんてこと、あるわけないじゃない」


「幸さん違うの。本当は私から、三ちゃんのことを好きになったの」



『えーーーーー!!』


〈ブーーーーー!!〉



「何で兄ちゃんが一緒に驚くのよ! もう父ちゃん! お客様の前でお茶を吹き出さないでーー!」



詩織の爆弾発言でその場は一気に和んだが、若い娘を前にした父ちゃんは案の定上手く喋れない。


今がチャンスとばかりに、俺達は今までの経緯と俺達なりのこれからの考えを話した。


当面は一人暮らしの詩織のアパートで一緒に暮らそうと思っていること。


結婚式や披露宴は、少ない貯金や詩織の身体への負担も考えて、するつもりのないこと。


詩織の両親へも、これから二人で話しに行こうと思っていること……。



それまで黙って話を聞きながら、ただ茶をすすっていただけの父ちゃんが、このタイミングで急に俺を睨んだ。


ただでさえおっかない顔に目ヂカラを込めると、その迫力で裏の神社の仁王さんも下駄をほっぽらかして逃げ出すくらいだ。



「ちょっと待て二人共。それじゃあ何か、詩織さんのご両親はまだこのことを何も知らないってぇのか?」


「はい。三ちゃんと話して、まずお父様にご報告してからウチには行こうと。たぶん私の親は大丈夫です。ビックリする位の放任主義で」



詩織の言葉を聞いた父ちゃんは、くるりと背中を向けてしまった。



「はぁー。母ちゃん聞いたかい? やっぱり男親だけじゃあダメなのかねぇ。一緒に門出の報告を聞けると思ったらこれだよ」


「なんだよ父ちゃんまたかよ? 今度は一体全体何が気に入らねぇってんだ」


「三太!」


「あん? ……痛てっ!」



こっちを向き直した父ちゃんに、俺は一発デコピンを喰らった。




「三太、俺じゃねえよ」


「え? 俺じゃねぇって?」


「おめぇは優しい奴だが、どうも順番を間違っていけねえ。大事な娘さんを貰うんだ、ここはイの一番に詩織さんのご両親に挨拶に行くのが筋だろう。いいか三太?」


「あ、あぁ」


「世の中はなぁ、間違えちゃいけねぇ色んな順番で成り立ってる。いろはにほへとにあいうえお、目上目下、上座下座、あの世に逝く順番だってそうだ。親より先に死んじゃあならねぇ。うちの商品の金物だって順番を守って使うから家を支えてんのよ」


「で、でも父ちゃんに報告した後この足でちゃんと俺達は……」


「でももヘチマもねぇんだよ。まず詩織さんのご両親んとこ行って、大事な大事な娘さんを結婚前に妊娠させちまった事を謝るんだ」


「さっき赤ん坊は宝だって言ったとこじゃねえか」


「それとこれとは話が別だ。なぜってよ、ご両親にしてみりゃぁー詩織さんがその宝だからよ。だが、俺はよく言う娘を傷モノにしちまったって言い方は好きじゃあねぇし思わねえ。順番を間違えた事をお前は素直に誤ってくりゃいい、そんで一発殴ってもらって来い。……いや、待てよ?」



父ちゃんが何か考え出すと、とんでもないことを言い出しそうで俺とサチはいつもドキドキするんだ。



「俺も一緒に行ってやる。三太、運転しろ! おいサチ、スーツ出してくれ」


「いいってやめろよ! 俺もう二十五だぜ。ガキじゃねえんだから大丈夫だって」


「そうよ父ちゃん、ここは兄ちゃん達に任せたほうがいいってー」


「親にとっちゃ子供なんてずうっとガキのままなんだよ。いいから詩織さんも、さぁ立った立った。あぁーっといけねえ、ゆっくりゆっくりな」


「もう言ってることがメチャクチャじゃねえかー!」



言いだしたら絶対に譲らないのがうちの父ちゃんだ。反論するだけ無駄なのが俺達の体には染み付いている。


ダメだダメだと言いながら俺は車のキーを取りに行き、サチはスーツにアイロンをかけ始めた。


そこからがまたドタバタの珍道中だったわけだが、最大の問題は詩織の家の前までもうそこという所で起きた。



「へー、詩織さんはこの辺りの生まれだったのかい?」


「はいそうなんです。高校は寮生活で、大学で独り暮らしを初めたから早くに出ちゃったんですが、やっぱり生まれ育ったここが今も一番好きですね」


「そうだろうそうだろう。俺の世話んなってる社長も、丁度この辺に住んでるんだよ。歳は近いんだが、頑固な職人さんでねぇ。独立したばっかのウチから金物をお祝いだって大量に仕入れてくれてよぉ」


「あ……はい」


「嬉しかったなぁー。今でもこの俺が頭が上がんねえのはあの人くらいのもんよ。もっぱら最近じゃあ配達は三太に任せちまってるもんで、会えてねえんだけどよ。元気かなぁー、ミサキ建具の社……ちょ」



丁度その時、俺は三人で乗っている箱バンを『ミサキ建具』の看板前で止めた……ドキをムネムネしながら。



「ことに岬詩織さん……」


「は、はい!」


「もしかして……まさかそんな事はないと思いますが、あなたのご実家はこちらで?」


「その……」



詩織がチラッと俺を見ながら言った。



「まさか……です」


「エヘッ」



「エヘッじゃねーー三太この野郎!! てめえ大事な大事な社長んとこのお嬢さんに手ぇ出しやがって! それを早く言いやがれってんだ!」


「早く言えつったって、父ちゃんそんな事ひとっことも聞かなかったじゃねえかー」


「バカ野郎! 知ってたらこんなとこまでノコノコ付いて来るかよ。おりゃーどのツラ下げて社長に挨拶すりゃーいいんだよ! 詩織さんも詩織さんだぜ……し」


『し?』


「するってぇとあんた、しーちゃんかい? あの、あの工場でいつも泣きべそかいてた! 大きくなったなぁー、中学上がったっきり以来かぁー」


「お久しぶりです。あの……お家でも、初めましてって返せなくってごめんなさい」


「いやいいんだよ、嘘はいけねぇからよ。それよりまた、なんだってこんな奴とあのしーちゃんが?」


「一年前、久しぶりに実家へ帰ってる時に丁度三ちゃんが配達に来てて、戻るついでだからってアパートまで送ってもらったんです。その時の三ちゃんのお話が楽しくて、また会えたらなーって」


『へーー』


「だから何でテメエがいちいち一緒に驚いてんだよ! バカ三太!」


「そこから、ちょくちょく実家に帰る回数を増やしていって……ね? 三ちゃん」


「お、おう。いつもアパートに直接送ってってばかりだったからよ、たまには飯でもって俺から……な?」



俺と詩織は出会った頃を思い返しながら見つめ合った。



「な?……じゃねえよこんちきしょー。何で俺がわざわざ息子のノロケ話聞かされなきゃなんでぇんだよ」


「なんでって、父ちゃんが聞いてきたんだろうが!」


「あーーやめたやめた阿呆くせー。俺は帰るぜ、三太車出せ」


「えーマジかよ本当かよー。めんどくせえなぁー」



と言いながら、俺は速やかにエンジンをかけ内心ガッツポーズで車を発進させた。そもそも赤ん坊の事まではまだ秘密しているとはいえ、詩織の親父さんには交際自体は公認して貰っていたのだ。


ようは詩織の妊娠とミサキ建具の娘だってことを父ちゃんに伝える、ミッション『仰天告白!?源さん恩人娘の義父となる』さえクリアしてしまえば、俺たちの心配事は解決したも同然だった。


帰り道、車を駐車場に戻し三人で近所の角を曲がりかけた所で、俺は慌てて父ちゃんを引き止めた。あいつが家にやってきていたのだ。



「痛てーな三太! 急に止まんじゃねえよ」


「シー! 父ちゃんちょっと黙っててくれ」



玄関先で幸が何やら中年男と揉めていた。見覚えのあるセンター分け……あれはサチの高校時代の担任教師、宮部だった。


配達中に、偶然街で二人が歩いている所を見かけたことがある俺は、カップル然とした雰囲気に嫌悪感を……いや、完全にムカッ腹が立っていたんだ。


何故かって?


俺とサチは同じ高校出身、つまり、サチが付き合っているであろうアイツに、嫁さんも子供もいるってことを知っているから。


それに、そもそも今日はクリスマスイヴだぞ。詩織に何にも用意してやってない俺が言うのも何だが、妻子持ちがノコノコと家にまで来るなんて。



「あれ? ありゃー宮部先生じゃねえか。今日は懐かしい顔によく会う日だぜ、まったく……」



二人のただならぬ雰囲気にさすがの父ちゃんも何かを察してしまったみたいだ。その苦々しい顔と口をついて出た言葉の温度差が、却って父ちゃんの感情を物語っていた。



「帰って。家にまで来るなんて先生何考えてんのよ」


「君が全然電話に出てくれないからでしょ? ほら、プレゼントだって持ってきたんだよ。それとも、僕のこと嫌いになっちゃったのかい?」


「もう! いちいちそうやって言葉に出してくるとこが嫌なの! わかってよ……きまってるじゃない。わかってよ……」


「くそっ、アイツ!」



たまらず二人の前に出ていこうとした所で、今度は反対に俺が父ちゃんに腕を掴まれ止められた。



「どーも先生! お久しぶりでございます。また今日はどんなご用で?」


「と、父ちゃん……」


「あぁー、あの藤木さん、今日は幸さんにお会いしたくて。実は僕たち真剣に……」


「先生やめて!」


「真剣に……なんだい?」


「し、真剣に交際しています。ご存知の通り現在僕には妻も子供もいますが、すでに別居状態でして。もうすぐ正式に離婚も成立しますし、これ以上彼女を不安にさせない為にも是非お父さんにお会いして……」


「あんたバカじゃねえのか! サチ、こんなおっさんに騙されんじゃねえぞ!」



俺は思わず割って入ってしまった。サチがどれだけ真剣に交際していたとしても、宮部に妻子がいる事実がある限りこれは不倫なのだ。そんな交際相手の父を目の前にして、こんな身勝手な主張をする男が妹を幸せになんてできるはずがない。



「三太……」


「なんだ父ちゃん、止めても無駄だぜ」


「店の奥からガンド取ってこい」


「ふぇ!? ガ、ガンド?」



ガンドとは丸太を切り落とす時に使う、刃渡り六十センチ程もあるウチの店で一番大きなノコギリである。



「いいから早く取ってこいバカ野郎!」


「お、おう」



俺はいつにも増して半端ない父ちゃんの圧力に負けて、脱兎のごとくガンドを取りに店に走った。



「ほ、ほらよ……ガンド」


「おう」



ガンドを手にした父ちゃんは、まず目の前の濁った空気をブオンと太い風切り音と共に袈裟斬りに切って見せた。


誰もが緊張で動けない中、返す刀で二度目の轟音が鳴り響く。さらに太く、さらに疾く。


刃先全体に怒りを帯びて、大振りすぎるその鋸歯は宮部の鼻先でピタッと止まった。



「お願い、止めて父ちゃん!」



どれだけ幸が泣き叫んでも、何ひとつ変えられないことをこの場の誰もが理解していた。



「先生」


「は、ははい?」


「あんた今日が何の日か知ってるかい?」


「もも、もちろん、クリスマスですよ。だからこうして、か、彼女を迎えに来てるんじゃないですか」


「やっぱ何にも知らねんだなー。今日はこいつらの母親の、命日なんだよ」


「え? 命日……ですか?」


「あぁー、ウチじゃぁーどんなに忙しくってもこの日だけは、家族揃って飯を食うのよ。母ちゃんの好きだったすき焼きをな。……それによ」


「そ、それに、なんなんですか! さっさとこれ下ろして下さいよ。警察呼びますよ、あなた無茶苦茶ですよ」



父ちゃんは宮部の言葉を無視して続ける。いや、余りにも軽い宮部の言葉は、父ちゃんの耳に届いてさえいないのかもしれない。



「あんた順番を間違えてねぇか? 今日がクリスマスって言うならよ、女のとこになんか来てねぇで、一番に子供さんのサンタになってやんなよ」


「だから、わかんない人だなぁー、妻とは別居してるって言ってるでしょうがー!」


「そんなてめえ勝手な事情で、親子の約束破ってんじゃねえぞ バカタレが!」


「ぼ、僕は仕事人間でしたからねぇ。教え子の為に尽くしてきた代わりに、自分の子供は全く懐いてくれませんでしたよ。そんな約束、した覚えもない」


「違うぜ、違うぜ先生……。あんただって子供が生まれた時に抱っこしたんだろ? 転んで泣いちまった時、痛くねー痛くねーって抱きしめてやっただろ? それが約束だよ」


「………?」


「俺たち親はよ、子供を抱きしめる度に約束してんだよ。体いっぱい使って、でっけー指切りしてんのよ。心配いらねー、俺がいる。ずっとずっと守ってやるってなぁ」


「そ、そんな綺麗事……。そんな、そんな……ウ、ウゥ……」



俺はこの時初めて、大の大人が泣きじゃくるのを見たんだ。



「サチ、送てってやんな。あ、そうだ先生、そういやー今日ウチにも出来損ないのサンタクロースが来たぜ。へへ……この俺がお爺ちゃんだとよ」




                        *




次の年の四月、俺と詩織はやっぱり結婚式を挙げた。今まで育ててくれた父ちゃん達に立派な晴れ姿を見てもらうためだ。


集合写真の父ちゃんは飲み過ぎと泣き過ぎで顔がグシャグシャで、もう一度全員を集めて撮り直せとこの写真を見る度に無茶を言っている。


あれからすぐに、サチは宮部ときっぱり別れた。



そして……



その後十年間、サチは恋することを……止めてしまった。




〈正月編へ続く〉

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