第4夜 記憶
思いもよらぬ言葉に、鳥壱は驚愕の表情を浮かべて彼女を見た。
「……どうしてそう思うんだい?」
彼女は目を細め、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あら、図星かしら?」
鳥壱は反論しようと、何かを言おうと手を掲げるが、喉仏の辺りで絡んでしまって言葉にならず、静かに手を下ろした。
「……多分、いやきっとそうなのかも知れない」
鳥壱は深いため息をはき、両肩を落とし、人生の崖っぷちにでも経たされたように酷く落ち込んだ。
「どうして分かったんだ?」
彼女はその質問を受け、吟味するように間を置いた。
そして、両肩をすくめ、
「やっぱりいい。答えは、同じような気がするから」
鳥壱に中断されてしまった。
彼女は、何となくそのことが気にくわなくて、
「そうよ、どうせ知らないわよ。ふん」
そうぶっきらぼうに言った後、そっぽを向いてしまった。
外見とは裏腹に、幼さ残るその行動に鳥壱は思わず笑ってしまった。
ギャップがあるというのは、こういう事を言うんだろうな、と鳥壱は思った。
「それで、仕事はうまくいっているのかしら?」
視線を鳥壱に戻し、彼女は先程の言葉を繰り返した。
「……仕事はうまくいっているんだ。それでこそ、順風満帆に」
鳥壱は両肘を両膝に乗せ、俯いたまま、つい先程思い出した悩みを語り出した。
不思議な事に、胃を痛めるほどそれに悩んでいた筈なのについ先程までそれを忘れていた。
――いや、忘れていたかったのかも知れない。
考えても、悩んでも、どうせ解決出来ないのだ。
忙殺してしまった方が、よっぽど楽だから。
「特に目立ったミスもなく、何の障害もなく、口うるさい筈の上司にも怒られることない。社内でもまずまずの評判だし、同僚や上司の付き合いだって悪くない。給料は安いけど、そんなに辛くないし、食うに困るほど低賃金ってワケでもない。長く続けるのなら、ある意味理想的かも知れない。……けれども、僕は悩んでしまうんだ。この仕事は……本当に僕が望んだものだったのだろうか。この仕事が、僕の人生の象徴と呼べるのだろうか、って」
「よくある話ね。それで?」
「仕事を辞めて、自分の好きなこと、自分の好きな職業に就こうかと何度も思ったよ。けれども、分からないんだ。本当に自分がやりたい仕事があるのか、人生を掛ける程の価値がある職業があるのか、って」
言い終えた鳥壱は、深いため息をはき、更に深く俯いていく。
そんな鳥壱を、彼女は眼を細めて見る。
そして、意地悪そうな笑みを浮かべながら鳥壱に質問する。
「それでは質問。貴方が、高校生の時に望んだ職業は何かしら?」
まるで就職の面接のような質問に、思わず鳥壱は顔を上げた。
「なんでそんな質問を?」
「質問を質問で返さないで欲しいわ。貴方が答えたら私も答えるから、貴方から先に答えてもらえるかしら?」
鳥壱は不承不承といった様子で頷き、質問に答えようとする。
鳥壱は口を開けて何かを言おうとするが、言葉が出てこない。
短い息を吸って、勢いをつけて何かを言おうとするが、やはり答えは出てこなかった。
クイズ番組で、分かっているはずなのに巧く答えられない時のように、酷くもどかしい気持ちになる。
結局、少し俯き、眉間に深い皺を寄せ、目頭を押さえ、唸りながら考え始めた。
これだったかな、それは違う、ああこんな夢もあったな、などと独り言をブツブツと言いながら男は必死に思い出そうとしていた。
「……これか。そうだ……。そうだ、これだ! 思い出した!!」
鳥壱はようやくそれを思い出し、勢いよく顔を上げた。
その顔は、暗い夜道で明るく光街頭を見つけたような、そんな希望に満ちた顔だった。
アルバムでどうしても見つからない写真が、実は二枚重なって入っていたのを見つけた時のような顔にも似ていた。
「僕は高校の頃、ちょっとしたバンドを組んでいたんだ。学園祭でライブもやった。僕はギターとボーカルを担当していたんだ。そしてさ、ライブの時に最前列に居た女の子達が『鳥壱先輩、カッコいいー!』なんて黄色い声で叫んでいたんだ。信じられないかもしれないけど、本当だよ。その後、ラブレターを二通も貰ったんだから。……そんな顔しないでよ美奈さん、本当なんだってば」
彼女はため息をはいた後、淡々と自分の答えを語り始めた。
「まあ、過去は美化されるのが人の心理だから、深くは追求しないわ」
彼女はついと視線を上げ、鳥壱の眼を真っ直ぐ見つめる。
その瞳は、漆黒の髪と、何も見えない真っ暗な外と、よく似た色をしていた。
全てを拒否していそうで、全てを包み込んでくれそうな、不思議な瞳だった。
少しの間、その不思議な瞳に見蕩れていたが、やがて気恥ずかしくなり、鳥壱から視線を外した。
こうも真っ直ぐ見つめてくる人は初めてだった。
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