10:未来へ続く道の為

「せんせー! メイヴィスせんせー!」

「エクリュがたいへーん!」

 聞こえてくる子供達の慌てきった声は、いつかの日もあった。だが、その時とは彼らの切羽詰まった様子が違う。それに、彼女が大変とはどういう事だ。

『火炎律』の火を消して、鍋をかき回していたお玉を投げ出すように流しへ放り、メイヴィスは、彼女が子供達と遊んでいるはずの庭へと駆けていった。

 メイヴィスが姿を見せると、四人の子供達は一様に、不安げな表情をこちらへ向ける。子供達が囲むように立つその中心に倒れている紫髪の少女が視界に入った途端、一瞬にして頭から血の気が引くのを感じた。

「エクリュ!?」

 膝をついて、抱き起こす。少女の顔色は真っ白で、呼びかけても、「うー……」と返事は芳しくない。触れる肌の温度がやたら低い事で、メイヴィスの恐れは更にかき立てられた。

「エクリュ!」


 かつかつと。

 閉ざされた扉の前で、メイヴィスは忙しなく靴音を立てて廊下を行き来していた。室内では、ユージンがエクリュを診ているはずだ。『通信律』で診療所に連絡を送ったところ、彼女は『転移律』でミサクと共にすぐに駆けつけてくれた。

神光律じんこうりつ』の帰還より七年半。再建したベルカの街で孤児院を営んでいたメイヴィスのもとに、あの日別れを告げられなかったエクリュが奇跡的に戻ってきてからは、半年。

『神剣「イデア」の力だろうね』

 本当に本物のエクリュか、診察を頼んだユージンはそう判断した。

『「反魂律」を発動出来る「イデア」の再生能力がエクリュにも働いた。それしか考えられない』

 何で七年も間が空いたかはわからないけど。そう付け足して。

 とにかく、帰ってきたエクリュは別れた当時のままで、十七歳の少女として存在する。きちんと七年を経たメイヴィスは六歳年上になってしまったが、少年時代、彼女より年下である事が密かな悩みであった事を考えれば、微かな劣等感コンプレックスは解消されて、大手を振って彼女を守れると誇らしげに思ったものだ。

 エクリュが孤児院の子供達に受け入れられるか。最大の懸念事項はそれだったが、子供達はメイヴィスよりも歳の近い彼女を、遊び相手が増えたと喜んで迎え入れた。特に紅一点だったチカは、女友達ができて相当嬉しかったらしい。朝起きてから夜眠るまでエクリュにべったりで、二人きりになって『女同士の秘密のお話』などもしているらしい。『なんか、恋の悩みの相談をされた』とエクリュが何の躊躇いも無く素直に報告するので、内容はメイヴィスに筒抜けなのだが。

 エクリュと、子供達と、自分。六人で歩んでゆく時間は、これからも変わり無く続くと信じていた。それがこんなに容易く壊れてしまうものだとは、思ってもいなかったのだ。焦燥に、ついかちかちと爪を噛むと。

「少し落ち着け」

 壁に背を預けて腕組みし、黙り込んでいたミサクが、少々呆れた様子で溜息をついたので、足を止め、振り返る。

「でも」

 エクリュがまたいなくなってしまうかも知れない。その恐怖はメイヴィスを言いようの無い不安に駆り立てる。それでも、ミサクの青い瞳は、力強くこちらを射抜いてくるのだ。

「お前は今、子供達の親だろう。子は親の背中を見て育つ。お前が取り乱していたら、子供達も不安を覚えるぞ」

 そう言われては、ぐうの音も出ない。ユージン達が来るまでの間に、何とか子供達に昼ごはんを食べさせて昼寝をするよう部屋に押しやりはしたが、皆一様に心配そうな顔をして、エクリュに特に懐いていたチカに至っては、「エクリュ、しんじゃうの?」と涙目になって、きゅっと手を握り締めた。

 心配要らないよ、とは応えたものの、『イデア』の気まぐれで復活したエクリュがいつ消えてもおかしくないという思い煩いは、メイヴィスの心にも常にあったのだ。

 それでも、自分は毅然と立っていなくてはならない。この孤児院を統べる年長者であり、ミサクの言う通り、本当の両親を失った子供達の今の親である自分が、彼らに憂いを与えるような事があってはならない。

 ひとつ息をつき、それから、ふと思い至って、育ての親を半眼で見やる。

「もしかしてそれ、自分の経験談?」

 そんな反撃を受けるとは思っていなかったのだろう。ミサクはわずかに目をみはり、

「……さあな」

 と肩をすくめて軽く笑うと、また面を伏せて黙り込んでしまった。図星を刺されて切り返せなかったのだな、と気づくと同時、ぎくしゃくしていたかつての父子関係から、ここまで踏み込めるようになったのだという進歩を感じて、不謹慎にも笑いがこみ上げる。それもエクリュの存在のおかげだと思えば、やはり可笑しさはすぐに立ち消え、メイヴィスは憂慮に満ちたまなざしを扉に向けた。

 すると、その扉がぎいと音を立てて開き、ユージンが姿を現した。

「先生」彼女一人が顔を見せた事に、メイヴィスの不安は募る。「エクリュは」

 だが、何でもかんでも遠慮無く告知する魔族の『変人医師』は、さほど深刻な表情をしていなかった。

「ああ、心配無い。大丈夫」

 気が気でないメイヴィスに向けて、何故か嬉しそうににこにこ笑いながら手を振る。

「むしろ喜んでいい。子供が出来たんだから」

「……は?」

 即座に彼女の言葉を理解出来ずに、青年は、非常に間の抜けた声を零してしまった。ミサクは薄々気づいていたのか、「やはりな」と得心がいった様子でうなずいている。

「いや、え、なんで?」

「何でって、あんたがやる事しっかりやったからでしょうが」

 しどもど狼狽えれば、ユージンはけらけらと明るい笑声をあげた。

「え、それはしたけど、だって」

 心当たりに顔を真っ赤にしながらも、しかし、という思いが浮かぶ。エクリュは奴隷剣闘士として戦わされていた時代に、コロシアムの主の意図によって、女性としての機能を奪われていたはずだ。一体どうしてそうなるか、皆目見当がつかない。

 そんなメイヴィスの反応も予測済みだったのだろう、ユージンが白い歯を見せた。

「これも『イデア』の効果としか思えないねえ。再生する時に、『全部元に戻した』んだろう」

 言われれば、思い当たる節がある。月明かりを頼りになぞったエクリュの肌には、かつて受けた傷痕は一切無くなっていた。『イデア』の再生能力が、彼女の損なわれたもの全てを癒したのだと考えれば、得心はゆく。

「とにかく」

 唖然と立ち尽くしてしまうメイヴィスの背中を、いつに無く優しく、ミサクが叩く。

「早くエクリュのところへ行け。声をかけてやれ」

 その言葉にはっと我に返り、青年は慌ただしくユージンの脇をすり抜けて、室内に入った。扉を閉めれば、さわさわと秋口の風が窓から吹き込んでカーテンを揺らす中、ベッドに横たわっている少女の姿が目に入る。いつも彼女の髪を結わいている、メイヴィスの母の形見であるリボンは、解かれてサイドテーブルに乗り、紫髪が白いシーツに広がっていた。

「エクリュ」

 丸椅子を寄せてきてベッドの傍らに座り、呼びかける。小さな呻きと共に、閉じられていた目蓋の下から碧の瞳がのぞき、ゆるゆるとこちらに視線を転じた。

「大丈夫?」

「……ん」

 先程より赤みの戻った頬に手を触れれば、くすぐったそうに目が細められる。あれだけ冷えていた身体には体温が戻っていたが、念の為、後でホットミルクを持ってこよう、という思いが浮かぶ。大丈夫かと自分から訊ねたものの、ミサクの話によれば、エクリュの母シズナが妊娠した時も、かなり重たい悪阻つわりに悩まされていたというから、この少女が母親と同じでもおかしくはない。これからは無茶をさせられないな、という思惑がメイヴィスの脳裏を横切った。

「不思議な気分だ」

 天井を見上げながら、彼女がぽつりと洩らしたので、首を傾げて、言葉の続きを待つ。

「不安なのに、でも、それ以上に、嬉しくて仕方無い」

「オレも同じだよ」

 そう。不安は常につきまとうし、これからますます増えてゆくだろう。だがそれ以上に、新しい命を待つ喜びは日々膨らんでゆくに違い無い。微笑みかけると。

「……あたし」

 碧の瞳がついとこちらを向いて、少々困惑気味に細められる。

「とうさんとかあさんは最初からとうさんとかあさんなんだと思ってた。だけど、とうさんとかあさんも色々あって、親になったんだなあって、なんかやっとわかった」

 言わんとする事は大体わかる。子供にとって、生まれた時から親は親である。メイヴィスにとってのミサクがそうであったように。だが、彼らにも子供時代はあって、次世代を育てる覚悟を決めて、親になったのだ。それを思えば、メイヴィスの心に、紅玉随カーネリアンの光より煌々とした炎が灯る。

 守ろう、エクリュを。来たるべき命を。それが父親になる者としての責任なのだ。

「あのさ」

 声をかけられたので視線を向ければ、恋人は淡い笑みを浮かべて、言葉を継いだ。

「名前、もう考えた」

「えっ」

 さっきの今で気が早いにもほどがあるのではないか。メイヴィスが目を白黒させると、エクリュは顔を近づけるようにちょいちょいと手招きする。彼女の口元に耳を寄せると、内緒話のようにぼそぼそと、彼女の考えが告げられた。

「……それ、良い案だね」

 くすりと笑って首肯すれば、エクリュが幸せそうに破顔する。愛おしさがこみ上げて、青年は恋人の頬を両手で包み込み、口づけを降らせた。

 今まで苦難に満ちた人生を歩んできた二人だが、この先には、幸せな道が待っている。そう信じて。


「いやー、若いっていいねえ」

「お前も魔族の中では若いだろう」

 室内の様子を扉越しにうかがっていたユージンに、ミサクは呆れ半分の声をかける。すると魔族の『変人医師』はぷうと頬を膨らませて彼を振り返った。

「誰かさんがずうっと『自分の血で勇者の子孫を残したくない』とか言い張ってたから、案外アタシは寂しい思いをしてるんだよ?」

「人が押しかけるのが嫌だと人里離れた場所に暮らす魔族様の言葉とは思えないな」

 平然と返して懐から煙草を取り出し、くわえようとすれば、その手をぱしりとつかみとめられ、下ろされた。

「アタシ、割と本気で言ってるんだけどな」

 琥珀色の瞳が、真剣な声が、冗談ではない、と主張する色を含んでミサクを射抜く。

「あんたはどうせ、あとたかだか三、四十年で人生終わるけど、アタシはどうなる。あと数百年も、あの家で一人で生きろって? あんたも大概薄情だよね」

 ずきり、と。

 かつて『呪詛律』を埋め込まれていた場所が、心臓の代わりに痛む思いだった。自分の我儘に彼女を付き合わせて、責任を逃れてきた道だ。

 時は流れる。誰もが変わりゆく。自分も、言い訳をせずに向き合わねばならないのだろう。今も心の一番大事な場所に棲んでいる過去の女性ひとではなく、二十年以上変わらず、自分に真情を寄せてくれる存在に。

 ひとつ溜息をついて、「なら」と彼女の瞳を見つめ返す。

「何人いれば寂しくない」

 すると琥珀色の瞳が悪戯っぽく輝いて、彼女の唇が、にんまりと三日月型を描いた。

「あんたが平気ならいくらでもいいよ。今なら丁度、あの子達の子供と歳が近くなる」

 自分より遙かに年上のくせに、この女は時折、若者のような活気を見せる。ミサクは皺の寄り始めた口元を緩め、目の前の女性の背に手を回し引き寄せて、唇を重ねた。


 歩幅と速度は異なれど、誰もが未来へと進んでゆく。

 その先に、光溢れる道が続いていると信じて。

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