11:続いてゆく絆
「アルダのばかー!」
澄み渡った青い秋空の下へ広がる草原に、子供特有の甲高い声が響き渡る。
空色のワンピースを着て、金に近い銀色の髪をワンピースと同じ色のリボンで二つに結わいた、七、八歳と見える少女は、怒りを孕んだ涙を琥珀色の瞳にたたえ、目の前で狼狽える同年代の少年を睨みつけていた。
「ご、ごめん」
「ごめんですんだらけんかなんてなくなるの!」
「まーた、アルダがシズナを泣かせてるぜ!」
少し距離を取った場所で、赤い短髪を持つ、少年少女よりは少しだけ年かさだろう少年が、面白くてたまらない、とばかりに腹を抱える。
「まだがきんちょのくせに、『罪な男』ってやつだな!」
と、その脇から、ごっ、と痛そうな音を立てて、肘鉄が少年のこめかみに打ち込まれた。
「痛え~!!」
少年は、腹を抱えていた手を頭に当ててしばしうずくまり、やがて涙目になりながら、自分の傍らに立つ人物をぎんと見上げる。
「アティアてめえ、この横暴女!」
「貴方がシズナとアルダをからかうからでしょう、自業自得よ」
アティアと呼ばれた茶髪の少女は、少年の激昂を受けても怯む事無く、黒目がちな瞳を細めて、冷ややかに相手を見下ろした。
「まあまあ、アティアもイリオスも。喧嘩は良くない」
一触即発の少年少女の間に割って入ったのは、陽の光を受けると紫色にも反射する黒髪を持ち、つるの細い眼鏡をかけた、この場にいる子供達の中でも年長と思しき、ひょろりと背の高い少年だった。
「シズナとアルダも、仲良くしないと。お互い謝って」
彼は、最初に喧嘩を始めた二人のもとに歩み寄り、二人の右手をそれぞれ取ると、握手の形に繋がせる。
「ちぇっ、コキトはいっつも偉ぶりやがって」
「貴方は少しはコキトの落ち着きぶりを見習いなさい」
それを見た、イリオスと呼ばれた少年が不服そうに舌打ちすると、アティアの名を持つ少女に脇腹をどつかれ、「うおっ」とまた背を丸める羽目になった。
シズナはしばらくの間、濡れた瞳で、コキトが握らせたアルダの手を見下ろしていたのだが、またぷわりと目の端に粒を浮かばせる。
「やだもん!」
涙声と共に、少女は少年の手を振り払った。
「アルダがわるいんだもん! ぜったいぜったいあやまんないもん! アルダなんて、だいきらい!」
済まなそうに見つめる橙色の瞳が、余計に腹立たしい。背を向けて、少女は草原を駆けていった。
少年少女達は、
他の三人は、ほぼ同時期に孤児院に引き取られた。彼らは既に自分の名前と誕生日を言える歳だったので、元気良く名乗ると、院長は「こんな事ってあるんだ」と目を真ん丸くし、シズナの父親は、イリオスの顔を見て、ほんの一瞬だが、何かひどくしょっぱいものを口に含んでしまったような表情を
そんな経緯があって、子供達は自然と一緒に遊び回る仲になった。中でも、血の繋がりによるのだろうか、シズナはアルダの紫髪をついつい目で追いかけ、後ろをついて歩き、橙の瞳がこちらを向いて嬉しそうに細められるよう、期待を寄せるようになった。
だのにあの『ぼくねんじん』――シズナの母が父をそう評していた事があるが、恐らく同じ意味だろう――は、こちらの気持ちなど露知らずとばかりにさっさと先を歩き、シズナが残した人参を「食べ物を粗末にするのは良くない」と、まるで親のように上から目線で言って、これ見よがしに己の口に放り込んでみせる。とにかく、シズナよりお兄さんであろうと振る舞う。そのくせ、シズナのして欲しい事に気づかなかったりと、気遣いが足りないのだ。今日も、シズナの大事な大事な日なのに、彼はすっかり忘れている。だから怒りを爆発させたし、こちらから謝る気もさらさら無いのだが、あの鈍感な少年は、きっと思い出さないだろう。
「アルダのばか! ばーか!」
シズナは罵声をまき散らしながら、足元に咲くシロツメクサを蹴り飛ばし、小さな白い花弁を宙に舞わせる。
すると。
「そんな事をしたら、お花さんが可哀想よ?」
背後から突然声をかけられ、シズナはびくうっとすくみあがり、蹴り上げていた足をのろのろと地面に下ろした。そして、ゆっくりとこうべを巡らせる。
二人の人物が立っていた。シズナよりずっと年上だが、アルダの両親よりは若いだろう、白い服をまとった女性と男性。女性は黄金色の髪を風に揺らし、彼女の肩を抱く男性は、アルダと同じ紫の髪をして、二人とも柔らかい笑みを浮かべている。
『一人でふらふら歩き回らない事。知らない人に声をかけられても、答えたり、ついていったりしない事。いいね?』
どんなに人の
だが、シズナには、彼女達が院長の言うような『悪い大人』には見えなかった。理由はわからない。ただ直感で、「この人達は大丈夫だ」という確信を得ていた。更には、彼女達に対して、「懐かしい」という感覚さえ抱いているのだ。
「おねーさんたちは」琥珀色の瞳で、二人を見上げる。「パパとママのきょうだい?」
「うーん、半分合ってるけど、半分違うかな」
男性が紫の瞳を切なげに細めて、静かに首を横に振った。
「だって」
シズナは納得がいかなくて唇を突き出す。二人の帯びる雰囲気は、自分達の親、特にアルダの母親にとてもよく似ているのに。
すると、男性が女性の肩に回していた腕を解き、シズナの目線と同じ高さに屈み込んで、小首を傾げた。
「でも、君達のパパやママにお世話になった事は、間違い無い」
「だから、あの子達の子供である貴女達が、幸せにやっているかどうか、ちょっと気になっちゃって」
女性が長いスカートの裾を翻しながら歩み寄ってきて、そっと右手を伸ばす。シズナの髪を撫でてくれるかと思ったその手は、すうっとした少し冷たい感覚と共にすり抜けて、シズナの頬を軽くくすぐり、離れていった。
「シズナ」
男性が、優しくこちらの名を呼ぶ。院長の作る甘いスノーボールを味わう時みたいに、噛み締めるかのように。
「君はこれから大人になるにつれて、つらい事、哀しい事、ままならなくて悔しい事を、沢山味わうだろう」
だけど、と、一旦間を置き、男性は言を継ぐ。
「それ以上に、嬉しい事、楽しい事、喜ばしい事もあるはずだ。君には、その思いを忘れないで、好きな人を大切にして、皆に幸せを分けてあげる優しい大人になって欲しいと、俺達は思っている」
男性の言う事を、シズナは全て理解しきれた訳ではない。だが、『好きな人を大切にして』『幸せを分けてあげる優しい大人』になって欲しいという彼の願いは、受け止めた。それを証する為に、深くうなずく。
「良かった」
男性が満足そうに微笑み、立ち上がる。女性が、触れられない腕で、ふわりとシズナを抱き締めて、耳元で囁く。
「貴女の生きる世界が幸いに満ちている事を願うわ、私達の」
「――シズナ!」
ささめきの途中で、必死な声が耳に滑り込んだ。はっと振り返れば、誰よりも大好きな少年が、まっすぐこちらに向けて駆けてくる。
「一人で行っちゃうから、心配した」
ずっとシズナを探して草原を走り回っていたのだろう。アルダはシズナの前までやってくると、ぜえぜえと切れた息を整える。
「君に何かあったら、僕は」
まだ不安を拭いきれない少年の顔をじっと見つめると、「な、何?」と相手は朝焼け色の瞳を戸惑いに揺るがせた。やはり、似ている。その予感をたしかなものにしようと肩越しに背後を見やり、シズナは瞠目した。
いない。
ついさっきまでいた、目の前の少年に似た男女の姿は、その存在した証を微塵も残さずに消え失せ、ただ、そよそよとシロツメクサが風に吹かれてこうべを揺らしている。
「シズナ」
唖然とする少女の名を、少年が呼ぶので、向き直る。アルダは小さく身を屈めて、足元のシロツメクサを一輪手折ると、父親譲りの器用さで手早く茎を輪っか状にして、シズナの左手を取り、静かに薬指に通した。それはさながら、大粒の
「お誕生日、おめでとう」
万感の思いを込めて、少年がその台詞を爪弾く。少女は琥珀色の瞳を真ん丸くしてシロツメクサの指輪を見下ろし、それから、少年の顔を凝視した。
「後で父さんが大きなケーキを出してくれるから、その時に言おうと思って。でも君は、僕が言ってくれるのを待ってたんだよね」
気づくのが遅くて、ごめん。
面映ゆそうに微笑む少年の言葉が、風に乗ってシズナの耳に届く。その途端、少女の胸にわき上がる感情があった。アルダが忘れていなかったという嬉しさ。彼の気持ちに気づかないで一方的に怒ってしまった恥ずかしさ。もらった指輪の喜び。様々な思いの色が胸の内で混じり合って描いた絵画は、幸せ、だった。
「わたしも」
少年の首に腕を回して、ぎゅっと抱きつき、相手が気恥ずかしそうに狼狽える様子もお構いなしで、告げる。
「おこっちゃって、ごめんね。だいきらいなんてうそ。ほんとうは」
その後に小さく爪弾いた一言は、アルダに届いただろうか。それを確かめる前に。
「あーあ、シズナとアルダはまたやってるぜ!」
「子供なのに妬かせるねえ」
「二人とも、茶化さないの」
めいめいに笑う声と共にイリオス達が追いついてきたので、シズナはアルダに質問する機会を失ってしまったのだ。
だが、たしかな絆はシズナの薬指に宿っている。いつかアルダはこのシロツメクサを本物の宝石の輝きにして、大人になった自分に与えてくれるだろう。それを思えば、優しい気持ちが心臓のあたりをじんわりと温めてくれる。
「さあ、そろそろ帰ろうか」コキトが年長者らしく皆を差し招く。「先生が作ってくれるシズナの誕生日ケーキが出来上がる頃だよ。皆でお祝いだ」
「ひゃっほう、ケーキケーキ!」「貴方のじゃあないわよ」
拳を突き上げて駆け出すイリオスを、アティアが呆れ半分の笑顔で見守りつつ追う。その後ろを、ズボンのポケットに手を突っ込み、口笛を吹きながら、コキトが歩いてゆく。
「シズナ」それを見送ったアルダが、こちらに向けて手を差し出す。「行こう」
「うん!」
シズナは満面の笑みを弾けさせ、幼い恋人未満の二人は手を繋ぎ、草原を去る。
一瞬、その背中を見守ってくれる誰かの視線を感じて、少女はもう一度振り返ったが、やはり誰もおらず、シロツメクサの花畑だけが広がっている。しかし、先程出会った不思議な男女がそこに立って、笑顔で手を振ってくれているような気がして、少女は無人の方向にぺこりと頭を下げ、そして前に向き直り、もう振り返らなかった。
千年に渡る悲劇は終わった。
物語はいつか風化し、真実を知る者もこの世を去ってゆくだろう。
それでも、世界は遙か未来へと続くのだ。人々が、「愛する」という感情を忘れない限り。
フォルティス・オディウム たつみ暁 @tatsumi
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