第11章:その果てに待つものは(5)

「……エクリュ」

 一面の白い花が咲く世界に立っている自分を呼ぶ女声がして、エクリュはおもむろに振り返った。

 魔王城で別れたはずの両親が、そこにいた。神に取り憑かれていた時の紫ではなく、真っ白なドレスをまとった母シズナは、自分よりも年下なのではないかというほどに愛らしく見える。その肩を抱く父アルダも、白い服に身を包んでいた。

「とうさん、かあさん」

 もう二度と会えないと思ったのに、また向き合えた。感極まって駆け寄り、二人に抱きつくと、両方から、優しく頭を撫でられた。

「辛い目に遭わせてばかりで、ごめんね」

 母の謝罪に、ぶんぶんと首を横に振る。確かに辛い事もあったが、多くの厚意にも助けられた道程だったし、両親のせいだと思った事は一切無い。

「あたしこそ」

 ぽろぽろと。感情を水分にして放ちながら、エクリュは告解する。

「助けられなくて、ごめん」

 すると、今度は背中に手が回され、とんとんと、子供をあやすように軽く叩かれた。

「お前のせいじゃあない。俺達は十七年前に既に死んだ身だった。成長したお前の姿をこの目で見られただけで、満足だよ」

「それに今、私達はとても穏やかな場所で、二人幸せに過ごしていられる。それは貴女のおかげなのよ、エクリュ」

 ありがとう。

 親しい相手に向ける感謝の言葉を、両方の耳に囁かれて、涙は更に勢いを増す。

「ほら、泣いている場合じゃあないでしょう?」

 母に白いレースのついた手布を差し出されたので受け取り、ごしごしと顔を拭き、ついでに音を立ててはなまでかむと、「女の子としてだなあ」父が少し呆れたような苦笑を洩らした。

「こればっかりは本当に、育てられなかった俺達の責任だ」

「でも、一緒にいたら貴方、絶対にエクリュをお嫁になんてやらなかったでしょうね」

 そう言ってくすくす笑う母が、エクリュの肩越し後方を見やる。つられて視線を向けて、エクリュは瞠目した。

「エクリュ」

 メイヴィスが、立っている。喋っている。微笑っている。

「『イデア』には、強い想いに反応して、たった一回だけ発動出来る魔法がある」

 驚きを隠せずに固まってしまうエクリュの耳に、父の声が届いた。

「『留魂律りゅうこんりつ』のように中途半端じゃあない。ただ一度だけ、真に想う者の命を蘇らせる、『反魂律はんごんりつ』だ」

「なら」

 それならば、両親も蘇らせる事が出来るのではないか。とりすがろうとしたエクリュの胸を、「駄目よ」と母が軽く押した。

「私達は既に死者の門を通った身。そちら側には帰れない。門を通る前の彼だから繋ぎ止められたの」

「さあ、もう行くんだ」

 父も腕を解き、こちらの肩を軽く叩いて、紫の瞳を細める。

「幸せに生きるんだぞ、エクリュ」

 これが本当に、永遠の別れだ。それを察したエクリュは、もう一度だけしっかりと両親に抱きつく。

「ありがとう、とうさん、かあさん。大好き」

 ありったけの思いを込めて告白すると、手を離し、踵を返した。両親が見送ってくれる視線を感じるが、二度と振り返らないと決意する。振り返って顔を見たら、きっと、駆け出して再びその胸に飛び込んでしまう。この心地良い世界に留まってしまう。それは彼らの望む所ではないだろう。

 それに、エクリュには戻るべき場所がある。待っている人達がいる。

「行こう」

 少年が微笑んで、右手を差し出す。迷わずその手を握り締めると、ふわりと身体が浮き上がる感覚があって、白い世界が終わりを告げた。


「――リュ! エクリュ!」

 両肩をつかまれ揺さぶられながら名前を呼ばれるのを知覚した時、エクリュは現実に戻ってきた。目の焦点を合わせると、眼前にいたリビエラが、心底ほっとした様子で息をつく。

「まったく、目ぇ開けたまま動かなくなりやがるから、貴女までショックでおっ死んだかと、気が気じゃなかったですわよ」

 言われて思い出す。ユホに殺されかけた所で『イデア』が光り、ここではない場所へ意識が飛んだのだと。そこで、両親と再会し、そして。

 恐る恐る、傍らを見下ろす。朝焼け色の瞳と、視線が絡み合う。

「……エクリュ」

 胸も顔も血塗れで、まだ仰向けになったまま、起き上がる力を取り戻していないようだが、メイヴィスは間違い無くエクリュの名を呼び、薄く笑んでみせた。

「ありがとう」

 それだけで、胸が熱いもので一杯になり、また泣きそうになる。『名無し』として毎日を生き残る為に戦っていた頃は、泣くどころか、弱音を吐いた事さえなかったのに、いつからこんなにも涙もろくなったのだろうか。いや、これこそが、人が人たる証なのだろうか。

『ユミール、どうして? どうして?』

 感傷的な雰囲気を打ち破ったのは、エンケル・ヒュースの声だった。

『わからない、わからないよ。君のしたい事が』

 感情を理解しない、しようという意志すら無い彼には、わからないだろう。エクリュも知らなかった。だが、ここまで駆けてきた道で理解した。きっとユホ、いや、ユミールも、初めは純粋にその想いを抱いていたに違い無い。しかし、絶望は彼女を狂わせ、多くの悲劇を引き起こした。

 終わりにしよう、この狂える連鎖を。

 エクリュが決意して『イデア』を握り直すと、神剣は再び白光を灯した。

 この哀れな存在に、教えてやろう。エンケルに向かって歩を進めながら、エクリュの脳裏で、強い炎が燃え上がる。

 思い知るが良い。

 両親が紡いだ絆を。

 二人がエクリュに遺してくれた想いを。

 ミサクが母に抱いた憧れを。

 彼とユージンを繋ぐものを。

 キラがシステに向けた情熱を。

 リビエラとロジカの間に横たわる心を。

 そして、自分とメイヴィスを繋いでくれた感情を。

 床を蹴って『跳躍律』を発動させ、エンケルの眼前へ肉薄し、高々と宣誓する。


「それは、『愛』だ!」


 白刃が少年の胸に吸い込まれ、何か硬い物を確実に破壊した手応えを覚える。

『わからない、ワカラナイ、ワカラ、ナイ』

 ただひたすらに繰り返す声が途切れ、紫の瞳から光が失われる。哀れな存在は、最期までその感情を理解出来ないまま、事切れた。


 神剣『イデア』を引き抜くと、一緒に、ユホの瞳のような金色の魔律晶が転がり出る。それはエクリュが降り立つと同時、床に叩きつけられ、甲高い音を立てて砕けた。

『「神光律」は制御を失いました。自壊シークエンスに入ります』

 直後、要塞全体に響き渡る機械的な声が聴こえて、震動が始まり、エクリュ達ははっと顔を見合わせる。

『自壊まで、残り三十分』

「またそのパターンですの!?」

 魔王城で時間制限の恐怖を味わったばかりなのに、と、リビエラが悲鳴じみた叫びをあげた。

「大丈夫だ」

 ロジカがその肩に手を置いてなだめる。

「『神光律』内に敵の存在は一切感知出来ない。飛行艇まで戻る時間は充分にあると判断する」

「まあ、急ぐに越した事は無い。行くよ!」

 ユージンに促され、まだ血が足りなくてふらつくメイヴィスにミサクが肩を貸し、一行は来た道を走って戻り始めた。

 行きは速いと感じたエレベータの動きが、今は緩慢に思えて、気が気でない。それでも何とか廊下を駆け抜け、『残り十分』と放送が流れる中、飛行艇が停まっている場所まで辿り着いた。

「舌噛まないようにしてな!」

 全員が操縦室に乗り込み、ユージンが操縦桿を握る。しかし、飛行艇は『駆動律』が発動しかけた時、がくんとつんのめるようにして止まり、動き出さなかった。その衝撃で、誰もがよろけ、あるいはひっくり返って尻餅をつく。

「何!?」

 ユージンがパネルを叩いて機体を精査する。そしてその目を驚きにみはった。

 翼部分に取りつく無数の線。その中心にある、黒髪に金の瞳の魔女の顔。

『逃がさないよ』

『通信律』に割り込んで、しゃがれた声が艇内に響き渡る。

『あたし一人で死ぬものか。お前達も、道連れだ!』

「あの女、どこまでも!」

 ミサクが苛立ちを語気に込めながら銃を握り、操縦室を飛び出そうとする。だが、その脇を追い越して駆けてゆく影があった。

 エクリュだった。『イデア』を白く輝かせ、廊下へ飛び出す。

「エクリュ!?」

 メイヴィスは彼女の名を呼び、後を追おうとした。しかし、まだ膝に力が入らず、その場に崩れ落ちそうになって、「おっと」とキラに支えられる。

 エクリュが一瞬足を止め、振り返る。紫の髪と共に、母の形見の白いリボンが跳ねる。

「ごはん」

 彼女が笑った。初めて、年相応の女の子のように、柔らかく。

「作って待ってて」

 笑顔はすぐさま消え、エクリュはぎんと窓の外のユホを睨みつけると、その場から消えた。『転移律』を使ったのは明らかだ。

 しばらく後、更なる振動が飛行艇を襲った。だが、それは動きを止めるものではなく、逆に『駆動律』が生き返ったように動き出す。

『残り五分』

 今はエクリュが無事に帰ってくる事を信じて、飛行艇を飛び立たせるしか無い。ユージンが操縦桿を押し込むと、飛行艇は駆動音を立てて『神光律』を抜け出し、藍色の空へと飛び出す。

 エクリュはまだか。誰もが祈るような思いでいた時、遠い悲鳴が聞こえたかと思うと、空を落ちてゆく白い光が見えて、誰もが思わず窓に張りついていた。

 昔話に語られる、蛇の髪を持つ魔物のごとく、顔からびっしりと線を生やした魔女に絡み取られながらも、その中枢に『イデア』を突き立てる、紫髪の少女。

「エクリュ、エクリュ!」

 メイヴィスは、すがりつくように窓に取りついて、彼女の名を呼ぶ。応えは無く、白い輝きは尾を引いて、やがて見えなくなった。

 少年の絶叫が響き渡る。ユージンが、ミサクが顔を伏せ、両手で顔を覆って泣き崩れるリビエラをロジカが支え、システがきつく目をつむってキラの胸にすがりつく。

 直後、横殴りの衝撃が飛行艇を叩きつけた。『神光律』が自壊の時を迎え、爆発したのだ。夜明け前の空に、赤い光が瞬く。

 旧世代の狂気が終焉を迎えた空の下を、均衡を取り戻した飛行艇が飛ぶ。だが、少年の慟哭が終わりを告げる事は、無かった。

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