第7章:南方の戦士(3)

 太陽が南の空を過ぎた。

 メイヴィスはまだ戻ってこない。

 最初は言われた通り、近くに洞穴を見つけて、そこに身を隠していたエクリュだが、どうにも腹に棲む空腹の虫が、飯を寄越せとぐうぐう鳴き続けるので、空を飛んでいた鳥を『雷音律』で打ち落として『火炎律』で炙り、近くの木に拳大の実を見つけて、それを即興の昼飯とした。

 火加減が上手くいかず、鳥肉は少し焼きすぎて焦げ、木の実もまだ熟していない物を選んでしまったのか、固くて酸っぱい。ベルカにいた頃の粗末な食事に比べれば遙かにましだが、最近はメイヴィスの作る美味しい料理にすっかり舌が慣れてしまったらしく、物足りなさを感じた。

 早く彼が帰ってきてくれないだろうか。ちゃんとした食事を摂りたい。げんなりしながら食べかすを捨てに洞穴の外へ出た時。

「――エクリュ!?」

 驚いたような高い声と、駆けてくる足音を聴いて、エクリュははっとそちらを向いた。

 リビエラだ。その後ろから、ロジカも続いてくるのが見える。

「良かった、無事だったのですわね」

 リビエラはエクリュの前までやってくると、『混合律』の杖を胸に抱いて、心底安心した、という吐息を洩らした。

「姉上が見ていたと思われる男性が『転移律』をロジカ達に使ってくれたのを察知した」

 どうして二人もここに、という疑問が顔に浮かんだのを読み取ったのだろう、リビエラの隣に立ったロジカが答える。

「南海諸島へ送ってくれたものと予測する」

 そうか、と思い至る。エクリュに語りかけていたあの青年は、自分以外も助けてくれたのだ。ならば、メイヴィスが一緒に浜辺に辿り着いた事にも納得がゆく。そして、青年がエクリュ達全員に『転移律』を使ったのならば、残るシステもここに来ているはずだ。

「とにかく、わたくし達だけでも移動した方が良いですわね」

 リビエラが防風林の向こうを指差す。

「ロジカが『透過律』を使ったところ、どうやら、人里があるようなんですの」

「事情を話して拠点を作ってから、システ達との合流をはかるのが得策であると、ロジカは判断する」

 エクリュには二人の弁は全て理解出来た訳ではないが、とにかく、ここと決めた一ヶ所から動かないでいるのが良いらしい事はわかる。うなずき返して、手にしたままだった食べかすを近くの木の下に放ると、歩き出したリビエラ達の後を追った。

 太陽の光はぎらぎら照りつけ、じりじりと肌を焼く。海から潮風が吹くおかげで、じっとりと汗をかく事は無いが、やはり大陸と違う気候は身に慣れず、少しずつ体力を奪ってゆく。喉も渇きを訴える。

 黙々と歩き続ける事、十数分ほどだろうか。やがて、白い石で組まれた建物が建ち並ぶ集落が見えてきた。辿り着いたら、まずは水を飲ませてもらえるだろうか。ほうと息をついた時。

 ばらばらと複数の足音が近づいてきたかと思うと、エクリュ達はあっという間に、簡素な服の上に革鎧をまとい、片刃の剣を持った、筋骨逞しい男達数人に取り囲まれていた。エクリュは腰を落としていつでも飛びかかれるように正面の男を睨み、すくみあがったリビエラを、ロジカが背中にかばう気配がわかる。しかし。

「お前達は、あの虎に変わる奴の仲間か」

 真正面から、油断無く剣の切っ先を向ける中年男が発した問いに、エクリュは思わず構えを解いて、ぽかんと口を開けてしまった。

「メイヴィスがここにいるのか」

「長の所だ」

 男は白いものが混じった口髭を、もごもご動かしながら答える。

「長が共にいたお嬢さんをいたく気に入ってな。二人とも連れ帰ってきた」

「共にいた、って、システですの?」

「ああ、そういう名だったか」

 リビエラがロジカの肩越しに恐る恐る訊ねれば、相手は少々呆れ気味に肩をすくめた。

「まったく、若の気まぐれにも困ったものだ」

 そして、「とにかく」とエクリュ達に剣を突きつけたまま、彼は宣う。

「まだ、お前さん達が我々オルハ族に仇為す存在ではないと証明された訳ではない。一緒に来てもらうぞ」

 どう楽観的に見積もっても歓迎されている様子ではない。ここでエクリュとロジカの戦闘力を発揮すれば、この程度の人数はいなせるかもしれないが、そんな事をしたら、囚われているメイヴィスとシステがどんな目に遭うか、わかったものではない。

「姉上」

 ロジカも同じ考えに至ったのだろう、そっと耳打ちしてくる。

「余計な諍いを起こさない為にも、ここは大人しく彼らに従う事を提案する」

 エクリュもうなずき返し、男に改めて向き直ると、抵抗の意志が無い事を示す為に、両手を頭の高さに掲げた。リビエラとロジカもそれに倣う。

「物わかりの良い若者達だな」男の髭がまたもしゃもしゃと動く。どうやら笑ったようだ。「長生き出来るぞ」

 そうして、彼が周りの男達に合図すると、彼らは一斉に剣を下ろした。鞘に納めた訳ではないが、ひとまず、すぐにこちらに危害を加える事はしないだろう。

「ついてこい」

 髭の男が促して歩き出す。エクリュ達も男達に周囲を囲まれながら素直に後ろに付き従った。

 集落に入って、やはりここはシュレンダイン大陸ではないのだという事が、目に入る情報だけからでもわかる。石を組み上げた家は風を受けてかあちこちが削れ、動物の皮を使った服を着た男性や、赤子を抱いた女性、育ち盛りだろう子供が、物珍しそうにエクリュ達を遠巻きに見ている。防風林に生えていたのと同じ木々は太陽光を受けて、舗装されていない道に影を落としていた。

 周囲を見渡しながら集落の奥へ行くと、一際大きい屋敷が見えてきた。男は迷わずその中へ入ってゆくので、エクリュ達も続く。そして、導かれた部屋で、エクリュもリビエラもロジカも、呆気に取られて立ち尽くす羽目になってしまった。

「いよう、はじめましてだな、システのお仲間さん!」

 部屋の中、茣蓙を五枚ほど重ねた高い位置であぐらをかいた、大柄な男が、白い歯を見せて豪快に笑ってみせる。その隣に視線をやれば、今までの黒ローブとは比べものにならないほどに素肌の手足を見せる服に着替えさせられたシステが、無表情で正座をしていた。

「……これはどういう事態なんですの?」

「説明を要求する」

 リビエラが半眼になり、ロジカも珍しく、理解が追いつかないで混乱しているようだ。すると男はあぐらから立て膝に姿勢を変え、神妙な顔つきになって、エクリュ達を順繰りに見渡した。

「同じ事を俺様も言いたいとこなんだよな。システの話は要領を得ねえし」

「キラ、貴方の理解力が足りないだけです」

「いやあ俺様、難しい言葉はわかんなくてよ!」

 淡々としたシステの鋭い突っ込みも、キラと呼ばれた男には、大した衝撃にならないようだ。けたけたと笑い声をあげ、それから手を掲げて、エクリュ達を取り囲んでいた男達に、武器を納めさせた。どうやらこのキラが、この集落で一番偉い『長』らしい。あまり頭が良くはなさそうだが。

「まあ、早くお互いの状況を把握したいのはやまやまなんだが、先にひとつ問題を解決しなくちゃあならなくてよ」

 言われて、エクリュは部屋の中を見渡す。システと一緒にいるはずのメイヴィスの姿が見えない。

「メイヴィスは?」

「あ、やっぱりあんた達の仲間?」

 エクリュが問いを発すると、キラは気まずそうに首の後ろをぽりぽりとかいた。

「いやあ、獣に変わる奴なんて、俺様も二十一年生きてきて初めてだったからよ、思わずブン殴っちまって。反撃が怖いから、別室に繋いでるんだけど」

「ああー……」リビエラが額に手を当てて唸る。「まあ、それは正しい初見の方の反応ですわね」

「初見で猛獣に殴りかかる人間はそういない、と分析するが」

「もしくは相当な馬鹿野郎って事ですわよ」

 彼女とロジカが小声で囁き交わすのを背後に聞きながら、「会わせてくれ!」と、エクリュは身を乗り出す。

「オーケイ。カッシェ、案内してやれ」

 キラがゆるりとうなずき、ここまでエクリュ達を連れてきた、中年男に向けて手を振る。カッシェと呼ばれた彼は「は」と、胸に手を当て低頭し、

「こちらへ」

 とエクリュ達を、先程までよりも少しだけ丁重に導いてくれた。

 地下に続く階段を降り、石壁の建物には似合わぬ、鉄格子の扉を開く。中に踏み込んだ時、エクリュはまたも真顔になってしまった。

 たしかにそこには、数時間前に別れたメイヴィスがいた。

 キラが「獣に変わる奴」と言ったから、彼の前で化身したのだろう、一糸まとわぬ真っ裸のまま。

 両手足を縛られ石の床に転がされ、獣のように、鎖のついた首輪で壁に繋がれて。

 とどめに猿轡までかまされていたものだから、エクリュの姿を見た途端、目を見開いて、むーむーと言葉にならない唸り声をあげて、少年は身をよじった。

「……だから何なんだってんですのよ」

 頭が痛い、とばかりにリビエラがこめかみに手を当ててうつむく。エクリュが駆け寄って、まず猿轡を解いてやると、

「見ないで!」

 普段茫洋としたメイヴィスの口から、すさまじく必死な叫びが迸った。

「エクリュ、見ないで!」

「何を今更」

「本当に恥だから! 見ないで!!」

 メイヴィスの渾身の悲鳴を受け流しながら、エクリュは縄を解き、首輪からも解放してやると、カッシェが渡してくれた新しい服を差し出す。メイヴィスは目の端に涙を溜めながら、ひったくるようにそれを受け取ると、部屋の隅へ走り去り、服を着込んで、それでも尚そこからしばし動かず、部屋の角に頭が埋まり込みそうなほどに寄りかかって、「一生の恥だよ……」と心底落ち込んだ声を発していた。

「ともあれ、これで揃って長にお話しくださるか」

 吐き出したい事を吐き出しきったのか、メイヴィスがとぼとぼとエクリュの元へ戻ってくると、カッシェが一同を促す。

「お嬢さんの語り口では、若は全く理解出来なくてな。誰か、あの方でも大陸情勢を知る事が出来る語り手がいると、ありがたい」

「石頭と脳筋の組み合わせ……」

 リビエラが非常に小さな声で悪態をつき、溜息を零した。

「わかりましたわ。わたくしが説明してさしあげてよ」

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