第9章:青い魔剣『オディウム』(3)

「どぶ臭い鼠が入り込んだと思っていたが、にっくき勇者様ご一行だったとはねえ」

 かつ、かつ、と。ヒールの高い靴音を響かせ、蜥蜴の兵を率いて部屋に入ってきたのは、胸元が大きく開き太腿も見える赤い服をまとい、妖艶な美女の姿をした魔族。その顔は、忌まわしきあの日に、目に焼き付いている。

「――ユホ!」

「あたしの名を軽々しく呼ぶんじゃあないよ、この泥棒猫が」

 アルダの祖母を装っていた魔女ユホは、憎々しげに舌打ちし、シズナを指差してきた。

「お前なんぞがあの方の隣に居座るなんて、図々しいにもほどがある」

 自分の方が仇敵であるくせに、まるで親の仇にでも出くわしたかのように、紅をべったりと塗った唇を歪ませて、「だから」とユホは激昂する。

「消えておしまいよ、このクズ娘が!」

 それを合図に、蜥蜴兵達が剣を振りかざしてこちらへ向かってくる。数は十。しかし、こちらもずぶの素人ではない。咄嗟にコキトが『猛炎律』を発動させて、炎の壁で先陣を薙ぎ払った。

 仲間がやられて焦ったのか、蜥蜴兵達が一瞬怯む。それを見たユホがまたも舌打ちし、「怖気づいてるんじゃないよ、戦うしか能の無い連中が!」と、下着が見えそうなほど足を上げて、靴底で一体の背中を蹴る。行くも戻るも死しか待っていないと理解したらしい魔物達は、自棄気味の声をあげて再び襲いかかってきた。

 自分も奴らの相手をしようと、シズナは聖剣に手を伸ばす。しかし、その手をおしとどめる者がいた。

「貴女は行くんだ、シズナ」

 飛びかかってきた一体の脳天を撃ち抜き、ミサクが真剣な表情を向ける。

「僕とコキトはナディヤを守って、ここであの魔女と戦う。貴女は、貴女の想いを果たす為に行くんだ、アルダのもとへ」

 魔王アルゼスト、と彼は言わなかった。それが彼なりの精一杯の気遣いだと理解するのに、時間は要らなかった。

 だが、魔王を目覚めさせるだけの力を持つユホの実力は底が知れない。きっと彼女はまだ、一度もシズナの前で本気を出していない。そんな彼女を相手に、手練れの二人でも敵うだろうか。

 不安の色は、顔に出てしまったらしい。

「大丈夫だ」

 ミサクがゆるく口の端を持ち上げ、自信ありげに言ってのけた。

「僕は貴女の願いを叶える為なら、何でもすると誓った」

「どうしてなの?」

 ずっと不思議だった。どうしてミサクはシズナの為に、己の身を不幸にさらしてでも戦ってくれるのか。それだけの価値を、自分がどこに持っているというのか。ずっと、知りたかった。

 ミサクはその問いかけさえも、織り込み済みだったのだろう。

「そうだな、全てが終わったら、その時に必ず話す。だから今は、貴女はこの先へ」

 それ以上の言葉を交わす事はかなわなかった。コキトの迎撃をすり抜けた蜥蜴兵が向かってきて、ミサクは徒手空拳の一般人であるナディヤをかばいながら、戦いに専念しなくてはならなくなったからだ。

「行くんだ、シズナ!」

 いつになく声を高めたミサクの一撃で、敵陣が崩れた。叱咤を力にして、シズナはその穴目がけて走り出す。

「シズナ!」コキトの脇をすり抜けた時に、魔法士の声が背中を叩いた。

「エレベータで最下層! 初源の間を目指すんだ!」

 エレベータとは、あの上下する鉄の箱の事だろう。何故、アナスタシアの魔法士であるコキトが魔王城の構造を知っているのか、疑問が湧いて出たが、とにかく今は、全ての決着をつけるのが先だ。

 全ては、全てが終わった後で、皆それぞれの口から聞けば良い。

「逃がすか!」

「やらせないさ!」

 ユホの怒号をかき消す勢いでミサクが吼え、コキトの『氷槍律』が蜥蜴兵を突き刺す音と気配を背後に感じながら、シズナは魔王城の奥へと駆けてゆくのだった。


 そこから先も、一本道だった。両脇にある扉には目もくれずに奥へと走り、エレベータに乗り込む。最下層と言うからには一番下だろうと踏んで、拳で叩くようにボタンを押す。また謎の浮遊感を身体に感じつつ、エレベータは下降していった。

 心臓が逸る。握り締めた掌に汗が浮かぶ。この先に、アルダはきっといる。自分を待っている。

『勇者』と『魔王』として対峙すべきか。昨夜のように『シズナ』と『アルダ』として夢の続きを見るか。事ここに及んでも、シズナの中では最後の迷いが晴れていなかった。

 だが、最後はアルダの態度で決めよう、という覚悟が浮かぶ。向かい合った時に彼がどういう言動を取るかで、剣を抜くか、拳で殴りかかるか、あるいは、幼子をなだめるように抱き締めるか、己のゆく道を選択しよう。

 そう決意した時、エレベータも停止した。扉が開き、シズナの眼前に、開けた空間が広がる。

 そこは、異様な光景だった。

 幾つもの透明な硝子の円筒が並んでいる。一つ一つはシズナの身長より大きく、周囲の何かの装置に無数の線で繋がれている。中に紫に光る透明な液体が満たされていて、人の形に近い何かが揺蕩っていた。

「これが、魔王の揺り籠だよ」

 奥から聴こえてきた声に、シズナははっとして向き直る。

 硬いブーツで床を叩きながら、闇の奥より現れたのは、アルダだった。昨夜会った時の素朴な青年の格好ではない。濃紫を基調にした毛皮付きの服を身にまとい、同じ色のマントを羽織っている。『魔王』に相応しい格好だ。そして腰には『フォルティス』と対になるような形状の剣を帯びている。間違い無く、一年前のあの日に彼が振るった魔剣『オディウム』であった。

「……どういう事なの」

 シズナは結局聖剣を抜く事が出来なかった。アルダの言葉の意味がわからなくて、呆然と問いかけると、「言葉通りさ」と彼は周囲の円筒を気怠げな表情で見回した。

「魔王はこうして生まれるんだ。『複製律』の力によって、同じ顔をして同じ力を持った魔王が、何度も、何度も造られる。何らかの理由で魔王がいなくなれば、次が産み落とされる仕組みさ」

 彼の背後で、大きな紫の球体が線に繋がれているのが見える。魔律晶としては規格外の大きさだが、それが『複製律』なのだと、シズナは察する事が出来た。

「これでわかっただろう、シズナ? 俺は結局取り換えのきく消耗品。唯一の『魔王』として求められている訳じゃあない。個性なんて求められていない。ユホにとっても、替えのある代用品のひとつだったんだ」

 かけるべき言葉を失ってしまった彼女に、アルダは完全な諦めを孕んだ紫の瞳を向け、自嘲気味に口の端を歪めた。

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