第9章:青い魔剣『オディウム』(2)
カナルト郊外の丘には、強風が吹き荒れていた。巻き上がる砂埃が、髪に、服に入り込み、ざらざらとして気持ちが悪い。
だが、そんな事を気にしている場合ではない。シズナは『天空律』を両手で包み込んで立ち、小さな円陣を組むようにミサクとコキトが向かい合っていた。
上空の流れゆく雲を見上げていると、「シズナ」とミサクが不意に声をかけてくる。何事だろうと視線を下ろせば、封をされた白い封筒がすっと目の前に差し出された。
「これから何が起きるかわからない。僕が生き残る保証も無い。だからこれは今の内に、貴女に渡しておくべきだろう」
一体何だろうか。不思議に思いながら受け取ると、ミサクが継いだ言葉に、シズナは目をみはる羽目になった。
「僕の部下が間に合わせてくれた。貴女の娘の居場所だ。全てが終わったら、迎えにいってやると良い」
昨日の夜中、彼が部下の女性と話し合っていた事を思い出す。彼女の報告とは、きっとこの事だったのだ。この期に及んで疑惑をかけていた自分が恥ずかしくなる。
「ありがとう」
「今、読んでも構わないんだが」
素直に礼を述べて、シズナは手紙を懐に仕舞い込む。ミサクが意外そうな表情をしたので、首を横に振り、不敵に微笑んでみせた。
「これは、全部が終わってからゆっくり読むわ。あの子を」
女の子だったらこの名をつけよう、と決意していた名前を、初めて口にのぼらせる。
「エクリュを、迎えに行く準備が全て整ったら」
「……そうか」
ミサクは納得した様子で頷き、それから雲の流れる天を仰いだ。
「そろそろ、出発しよう」
シズナは視線を彼に向けて首を縦に振り、『天空律』をぎゅっと握り締め、目をつむった。
(どうか)
どうか、導いてほしい。アルダのもとへ。この狂った運命を終わらせる為に。
果たしてシズナの願いに、魔律晶は応えた。鈴が幾重にも鳴るような輪唱が響いたかと思うと、ぶわり、と、周囲の風にも負けない烈風が三人を包み込むように巻き起こる。そして一瞬後、シズナ達の身体はふわりと宙に浮き上がり、一気に加速して、空へと舞い上がった。
眼下の景色が飛ぶように流れてゆく。街が、家が、人々が、近づいてきたかと思えばあっという間に後方へと過ぎ去ってゆく。
空気を裂いて飛んでいるのに、息苦しさや、身を叩く衝撃は一切襲ってこない。そういった諸々からも身を守る、それが『天空律』の効力なのだろう。
数週間かけて踏破した夢惑の森が、北の山さえ、一瞬の彼方に消えてゆく。やがて、空が真っ黒に曇り、雷鳴轟く中、黒い影が視界に映り込んでくる。それは見る間に大きさを増し、その全貌をシズナ達の前にさらけ出した。
城だ。そう認識出来る。だがその造りは、唯一王国の荘厳な白亜の王城とは明らかに違った。黒光りする金属で編まれ、来る者全てを拒むかのごとき威圧感さえ覚える。
未知の脅威にごくりと唾を呑み込み、乾き始めた唇を舌で拭う間にも、『天空律』は確実にシズナ達を魔王城へと導き、ひとつ開いた窓から張り出したバルコニーに一同を降ろした所で、すうっとその光を消した。
びょうびょうと、さっきまで感じなかった冷たい風が、耳を叩く。『天空律』を懐に仕舞いつつバルコニーから地上を見下ろせば、それは遙か遠くの光景で、高低差を見失って目眩を起こしかけたので、身を引き見るのをやめた。
腰の聖剣『フォルティス』に手をやる。柄を握るその指先は、わずかに震えを伴っている。ぎゅっと握り込む事でそれを押し殺すと、シズナはミサクとコキトを振り返り、碧眼を細めて口を開いた。
「行こう。これが最後の戦いになる」
城の中には、シズナの知らない世界が広がっていた。
まっすぐに続く金属の廊下、火を使わないで灯る明かり。階層を移動するのに使うのは階段ではなく、狭い鉄製の箱に乗り込んで、光るボタンを押せば、浮遊感が訪れて自動的に運ばれてゆく。
「機械、さね」
勝手知ったる場所のようにボタンを操作しながら、コキトが説明を始めた。
「アナスタシアが唯一王国として立つよりずっと前に、シュレンダインで発展していた文明の遺産だ。魔法の体系の元になる仕組みを作って、今よりずっと先を行った技術を持っていたらしい」
「世界を創った、『
油断無く銃を手にしたままのミサクが、軽くうなずく。
「それなら僕も王都の書庫で読んだ事がある。史実だったとは」
「まあ、誰も神の実在を確かめた事が無いから、ナントカの箱の中なんだけどね」
一本道の廊下の両脇には、幾つもの把手の無い扉がしつらえられている。魔王がこんな途中の道にいるなど間抜けな事態は無いだろうから、ほとんどを無視してきたが、「ん?」とコキトがその中のひとつに興味を示した。扉の横にある光るボタンが、それまでは緑色だったのが、そこだけ赤く輝いている。
「多分、これで」
コキトがボタンに『電音律』を押し当てて、ばちん! と火花を散らせる。衝撃を与えたボタンは赤から緑に変わり、扉がしゅんと音を立てて横滑りに開いた。
途端、扉の向こうにいた何者かが躍りかかってくる。コキトが即座に身を引き、タイミングを見計らっていたミサクが銃を撃って、確実に相手の急所を射抜く。武装した人型の蜥蜴の魔物が崩れ落ちるのは、シズナが介入するまでも無い、あっという間の出来事だった。
「こうして見張りがいるって事は、我々が来る事を予測していて仕掛けた罠か、あるいは」
コキトがぼやいて、大股で部屋の中に踏み込む。
「何かを守っていたって事さね」
続いてシズナとミサクも部屋に入り、そして息を呑んだ。幾つものベッドが並んでいて、そこに白い服を着せられ寝かされた人々が、何本もの線で鉄製の箱のような機械――『生命維持装置』とコキトは説明した――に繋がれていた。その多くは最早機能が停止していて、シズナが脈を取っても心拍は確かめられず、手も冷たくなっていたが、ただ一人、生命の反応を示す女性がいた。腹が大きくなっているのは、身籠っている証拠だろう。
腕や足から線を引き抜き、『回復律』を施す。ゆるゆると目を開き、ぼんやりとしたままこちらを向く女性の顔を見て、シズナの表情は驚きに引きつった。
白いリボンでひとつに結わいた亜麻色の髪に、黒目がちな瞳。
「アティア?」
北の山でシズナを裏切り、エルヴェの命を奪って谷底へ消えたはずの、侍女と瓜二つだったのである。
「アティア……」
痛むのか、まだ意識がはっきりしないせいか、起き上がる女性は頭をおさえていたが、その名を聞いて、眉をひそめた。
「アティアは、私の姉の名前です」
途端、シズナの記憶の底から、泥水が噴き出すような苦痛を伴って、アティアの言葉が蘇る。
『でないと、ナディヤが、私の妹が』
では、彼女は。
「貴女が、ナディヤ?」
おずおずと問いかけると、女性は更に怪訝そうに眉間の皺を深くする。
「たしかに私はナディヤですが、貴女方は、姉をご存じなのですか」
その台詞に、シズナは続けるべき言葉に詰まってしまった。
彼女に、何と説明すれば良いのだろう。ナディヤがここにいる事と、アティアの言い分をかけ合わせれば、自ずと予測は立てられる。アティアはこの妹を魔族に人質に取られていた為、魔族に言われるがままシズナの命を狙っていたのだ。
自分のせいで姉が死んだ、などという事実を、どう伝えたものか。そもそも真実を教えても良いものなのかどうか。逡巡するシズナだったが、しかしその思考を、「おーやおや」と、全く空気を読まない
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