3-3. 不気味の谷を越えて
「提案してくる人」というのは、どうして、こうも一方的に話すのでしょうか?
ORゴーグルの中にいる、
普通の精神状態だったなら、耳を貸さなかったと思います。
いえ。実際のところ、話の半分以上、私の頭には入りませんでした。
でも――私には響いたんです。
「
という、一言が。
私がこれまで抱えてきた悩みを、見透かされたような気がしたのです。
それだけではありませんでした。
おそらく橋本は、私の個人情報なども、分析済みだったのだと思います。
「亀井さん。契約してくれれば、バーチャル世界で、いろんな人と会えるかもしれないですよ? 例えば、有名声優の
私は知っています。
憧れの磐田さんが、動画投稿サイト『アースホース』で、チャンネルを持っていることを。
ええ。知っています。
私、そのチャンネルに登録していますから。
ネット通販のパパゾヌとかで、磐田さんのCDとか、いろんなグッズを、けっこう購入していますから。
ORゴーグルをかけた、私の目の前には。
『バーチャルアースホーサーになりますか? はい いいえ ※利用規約をお読み下さい』
と表示されています。
――はい。
「憧れの、あの人に会いたい」
それに勝る動機が、この世にあるでしょうか?
こうして私は、バーチャルアースホーサー、通称「バーホーサー」の仲間入りを果たしたのでした。
◆
私は学生時代に、クスクス動画も、SNS『
なので、とっかかりは早かったです。
ITには少し疎い私ですが、今はとてもいい時代。
グルグールで詮索すれば、いろいろと知ることができます。
難しい技術的なところは、橋本が
『アースホース』に投稿する初の動画の準備は、順調に進みました。
まず決めるべきは、バーチャル世界における私の分身、『アバター』です。
「とにかく、かわいいのを」と、橋本Pにお願いしました。
そうしたら、栗色の髪の、小柄な可愛い女の子が提示されました。
『3Dモデル』と言うそうです。
橋本Pによると、リアル過ぎる3Dモデルに生理的嫌悪感を抱く、「不気味の谷」という現象があるそうです。でも、提示されたその女の子のモデルは、ちっとも不気味ではありませんでした。思わず「かわいい……」と呟いてしまうほどでした。
「君の、キャラ名は……」
と橋本Pから言われたり、いろいろありました。
結局、「
身体に、黒いセンサーをたくさん、エレキバンのように貼りつけます。
このセンサー自体は、パパゾヌのネット通販で送られてきました
センサーが私の身体の動きを認識して、バーチャル世界の3Dモデル「カリノタイ」を動かすんだそうです。
ORゴーグル越しに見るその動きは、とてもなめらかでした。
本当に、実際の人間と、変わらないくらいに。
その3Dモデルをセンサーで操作してみて、私はびっくりしました。
私の精神が、私の身体を離れて、「カリノタイ」という、私とは似ても似つかぬ少女の中に入ったみたいでした。
「最近は、おっさんが、仮想空間で女子化することもあるんだよ?」
と、橋本Pが言います。
私は最初、「きもちわるい」と思いました。
まるで、谷というおじさんが、不気味であるかのように。
でも、自分が体験してみて、わかりました。
気がつけば私は、「どの角度なら、より可愛く見えるだろう?」と、色々とポーズを取ったりしていました。
おじさんも、仮想空間で、自分の中の乙女な部分に気づくんだそうです。
体験後の私には、とても良くわかりました。
「もしも、精神と、見た目とを分離できたなら」
「もしも、自分の望む外見を手に入れられたなら」
そんな願望は、きっと昔からあったことでしょう。
今、技術によって、それがまさに、実現しつつあったのです。
投稿動画に使う、字幕などのロゴも決めました。
橋本Pによると、ロゴって、動画の再生数にも影響する、大事な要素なんだそうです。
磐田さんが声をアテた、あのアニメのロゴに、似せたものにしてもらいました。
そして。
肝心の、「動画で何をするか」です。
一般的に、【ゲームの実況】【やってみた】など、動画には色々と種類があります。
そこは、昔取った
私が唯一「かわいい」と評されたことのある「声」を活かして、【歌ってみた】から始めてみたのでした。
そして、私のアバターである「カリノタイ」として動画チャンネルを開設し、そこに、動画を投稿。
新しい、仮想のワタシが、動画投稿サイト『アースホース』というバーチャルな世界に、ついにデビューしたのです。
わたしの胸は、早鐘を打ちました。
ドキドキ、ワクワク、トクトクと。
(今度、小説の朗読動画なんかも、作ってみようかなぁ?)
なんて事を、思いながら。
『可愛いは正義』という真理を、私が享受できるチャンスが、ついに訪れたのです。
チャンスの女神には、後ろ髪が無いと言われています。
だから私は、女神の前髪を、全力で掴みに行きました。
そのチャンスの先に。
憧れの磐田さんに近づける、そんな道があると。
このときも、信じて――。
(TIPS)
【3Dモデルに著作物性はあり得る?(現世の日本)】
あり得ると言われています。
(参考:『著作権法制の明日 ~技術革新への対応と課題~』 奥邨弘司先生)
著2条1項1号
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
法上の定義に、「物に固定した事」って条件、書いてないですもんね。
つまり、有体物になっていない「3Dモデルデータ」でも、著作物性はあり得ます。
ただ、そうするといろいろと問題が……という話は、第4章にて。
【ロゴの著作物性】
有名なアニメのタイトルっぽくロゴを作る、『ロゴジェネレータ』というのが結構あるようでして。
ロゴの著作物性……どうなんでしょうね?
著作物性が在ったとして、その権利範囲は……?
げふんげふん。おっと、誰か来たようだ。
ちなみに。
ロゴに使われる「
「Asahiロゴマーク事件」(東京高裁 平成6年(ネ)1470号)
「ゴナU事件」(平成10(受)332 最高裁平成12年9月7日第一小法廷判決)
などが有名で、ウルトラ超訳すると「書体だぁ? 著作物じゃねーよ! むやみに独占させると、情報伝達するときに困るだろうが!」って言われてます。
ただ……ね?
ゴナUの最高裁で、こんなこと言ってます。(傍点は筆者)
>印刷用書体がここにいう著作物に該当するというためには、それが従来の印刷用書体に比して顕著な特徴を有するといった独創性を備えることが必要であり、かつ、それ自体が美術鑑賞の対象となり得る美的特性を備えていなければならないと解するのが相当である。
アニメのロゴって、色とかグラデーションとか、鮮やかじゃないですか。見れば、「あの作品だ!」って、オタクには分かる。そのへんの「独創性」「美的特性」の度合いって、どうでしょうね……?
裁判にならないと白黒つかな……おっと、またも誰か来たようだ。
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