30話 確率
「中々面白かったね。」
「そうですね。なんであのタイトルなのかと思いましたけど、そういう感じかーって。」
「まあ、ありがちではあったけど、私は嫌いでは無かったかな。」
「ははは、俺もですよ。」
「それにしても、あの最後には納得が行かない。」
「ですね。最後ちょっと無理矢理感が半端じゃなかった。」
「ふふっ、そうだね。」
映画も終わりこうして喫茶店に入り、話し始めてもうかれこれ1時間。
汗を掻いたグラスに飲み掛けのアイスコーヒーが少し薄まってしまっている。氷の音を立てた。流石に休日だけあって店内はそれなりに賑わっている様で、店員は忙しそうに駆け回る。
この何の変哲もない喫茶店も、この都会の街の恩恵で成り立っている。社会の歯車の一つとなって、今日も忙しなく回り続ける。
結局、題名がかっこいいからと決めた映画はそれなりに楽しかった。それなりというのも、内容が王道だったからだと思う。普通の主人公に美人のヒロイン。問題が起こり、それを共に解決していくと共に、二人は恋に落ちる。
今まで幾度無く繰り返し見た事があるような、そんな既視感を覚える様なストーリー。
そんな在り来たりな映画を見て、在り来たりの討論会を二人で行う。この在り来たりな喫茶店で。
私は溜息を一つ小さく零した。
未だにこの雰囲気には慣れない。
こうして普通に会話して、普通に他人と接する事が。
蛍光院家に生まれた私にとって、他人との関わりは私の中で悪い記憶の残骸としてしか、もう残っていない。
昔は、大層な理想を掲げていた。
素晴らしい未来や共に進む友達。それこそ今日見た映画の様な、眩しいくらいの仲間や愛。世間知らずの夢物語。
成長し、世の中が少しだけ見えて来た今でも、その理想は簡単には捨てきれない。
友達とは対等であるべきだ。どちらかがどちらかに劣等感や優越感を抱いていれば、それは友達とは呼べない。相手を見下したり、媚び諂う関係を私は友達とは認めない。故に私には友達が出来た事は無い。
媚びと欺瞞。蛍光院という私の後ろに立つ大きな影に、皆冷静では居られない。
そんな醜い面を沢山見て来たからこそ、その結論に行き着くのは至極当然の事だった。人間皆、裏がある。しかしそれは対等な者同士なら起こり得ない。それはお互いが対等だからこそ、張る見栄も、見せる虚勢も無い関係だからこそ親しくなれる。開け出せる。立場が違う者同士がお互いを曝さらけ出すのには相応の勇気がいる。
それと同時に金でも、権力でも、隣の人間が自分より大きければどうしても欲が出る。劣等感が滲み出る。
その相手を自分の中から切り捨てて、自分の利益として計算し始めれば、それはきっと意味合いの違う物に変わっていく。
それは至極当然の事だ。
それについて相手を責める気にはなれない。
私は中等部に上がる頃にはもう交友関係というもの対して、希望を持つ事を完全に諦めていた。全てを切り捨てた。友達を作りたいという欲求から手を離した。
この世界にはロクな人間がいない。腐っている、と。どいつもこいつも変わらない、金、権力、女、ステータスにしか興味が無い。そういう人間に興味が沸かない。
これはきっと私の偏見で、世の中にはいい人が沢山いるだろう。私の幼稚な綺麗事を理解してくれる人だって居るかも知れない。だがその確率は、限りなく低い。それを探す過程であと何度傷つけばいいのかと。
結局、理想と現実のギャップに押し潰された。
だが敵意は違う。そこにだけは嘘は無い。
それは純粋なものだ。それは私の求めているものに限りなく近かった。嘘偽りの無い関係。それはもう信頼するに足る程の関係性だった。
しかしそれも長くは続かなかった。今度は敵が居なくなった。誰も争いを好き好んで行うような野蛮な人間なんて少ない。私の下らない自己満足に態々付き合ってくれる馬鹿なんてそう簡単には見つかる訳も無かった。
そんな時に耳に入って来たのが、
手段を選ばず、徹底的に相手を叩きのめす。諦める事を決して許さず、負けを認める事もあり得ない。蛍光院学院において、誰よりも多くの敵を作って来た人物。そして誰よりも多くの勝利を捥ぎ取って来たと。
しかし、彼女は誰が相手でも突っかかっていく様な人間では無さそうだった。基本的には学院内では超が付くほどの優等生。誰に対してでも作った様な優しさを振り撒く。
何か条件がある事は傍から見て明白だった。
私は当時、彼女の標的になった女生徒が転校するという話を聞き、呼び出し、原因を聞く事にした。
その女生徒は相当深刻な脅しを受けている様だったが、口外しない事を約束し、ようやっと口を開いたのを覚えている。何やら、痴情の縺れの様だった。「兄と別れなければ秘密をバラす」との事で、その内容まではとても人には言えないとそれ以降の会話は激しく拒否した。
数人に同じ様に話を聞けば、脅されてる内容は違っても行き着く先は全く同じ。「兄に近づくな」、その一点張り。
つまり、圷唯は兄に異性が近づく事を酷く嫌っている。未だ恋なんて経験の無い私でも、原因は火を見るよりも明らか。
―――
それからの私の行動は至極簡単。
今まで嫌という程見て来た、私に近づいて来る偽りの仮面を付けた輩と、同じ仮面を自分に被せて。
結果は上々。思った以上に思い通りになり過ぎて怖いくらいだ。
今までいくら話しかけても色の無い無表情を貫く圷唯の顔には、とても冷静とは思えない酷い動揺と、醜悪な憎悪が表れていた。
「栞先輩? どうかしましたか?」
呆けている私の顔を覗き込む様にして、涼君は此方の様子を伺っている。
「いや、なんでもないよ。そろそろ次の場所に行こうか。」
「そうですね、どこに行きたいですか?」
私は勘定を済ませる為に、テーブルの脇に置かれている注文票に手を伸ばす。
「そうだね、私は何処でも構わないよ?」
「あーいいっすよ。此処は俺が払います。これでも一応、男なんで。」
私の手を押しのけて、彼の手がそれを奪い取った。
お互いの手が触れた途端に、軽く心臓が跳ねる。
結局、私の計画は思い通りに上手く事を運んだ。
それでも、もしこの計画で一つだけ計算が狂ったのだとしたら、彼がその「限りなく低い確率」だったという事かも知れない。
この一年で彼の事が少しずつ理解出来る様になって来た。彼は強い信念と理想を掲げている人物だ。今はもう無い、昔、私が持っていた筈のものに、とてもよく似た。
「そうか。悪いね……。」
「いえいえ。当たり前の事ですよ。」
彼の笑顔に胸を強く締め付けられる。呼吸が苦しい。
もう今となってはこれから自分がどうしたいのかも、もうよく分からない。
それでも、今はもう少しだけこの時間が続けばいいのに、なんて自分勝手な想いばかりが頭の中を巡る。
この一年で圷唯に向けて吐いた嘘が、少しずつ本当の事実に変わろうとしている様な気がする。それと同時に、私が求めて来た下らない自己満足への興味も引いて行く。
友達と違って頭の中で正しい定義が出来ないこの感情に、どう向き合えば良いのかすら答えも出せないまま時間だけが過ぎて行く。
どちらにせよ、未だにこの胸の痛みには当分慣れそうも無い。
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