cafe③-2

「っていうか、あんたさ」

 一通り食器を拭き終えると、サクラさんはぼくの隣の椅子に腰かけた。コーヒーを寄越してくる。ぼくは浅く会釈をしてグラスに口をつけた。この寒いのにアイスコーヒー。ぼくの猫舌を覚えていてくれたらしい。

 サクラさんが、くわえていた煙草を灰皿に押し付ける。やっと終わった、なんて安心も束の間、エプロンのポケットから第2部隊が顔を出した。ああ、無限ループ。

「あたししか頼れないんだってねえ」

 ええ、まあ。それはもうエリの予想通り。エスパーかと思いました。それはそれとして、にやつき方めっちゃ腹立つな。

「その割には、随分でかい顔して転がり込んできたものね」

「ぼく、何も答えてませんけど」

「つまり図星なんでしょ」

 ……ぐうの音も出ない。エリならともかくサクラさんにまでお見通しなんて、ぼくはどれだけわかりやすいんだ?

「なんで落ち込んでんのよ」

「だって、よりによってサクラさんに見透かされたんですよ。繊細とか聡明とは程遠いサクラさんに」

「いい度胸してるわね。行く宛ないくせに」

「知ってる人がそもそも、サクラさんしかいないってだけです」

「ここで開き直れる神経を疑うわ」

 容赦なし。人の心をグサグサ抉ってくる。エリにはめちゃくちゃ優しかったくせに。

「姫の方が落ち込んでたよ。あんたのことわかってなかったって。完全正解なのに、可哀想」

「……わかってますよ」

 わかっている。何回も言われなくても。

 涙が混ざったエリの声。主成分は悲しみと、やりきれない自責。

 なに一つ、きみのせいじゃないのに。


 コーヒーに浮かんだ氷を遊ばせる。ぶつかり合って、カラコロと鳴った。軽い音だ。なんだか気が緩む。無意識に口から言葉がこぼれた。

「エリは、綺麗ですよね」

 常々思ってるせいだろうか。それについては否定しない。照れるけども。

「なにを今さら」

「空の下でエリを見たの、昨夜が初めてなんです」

 ぼくに刀を向けたエリ。

 照らす灯りは夜空だけ。月光は銀髪を鮮やかに映し、星々が碧眼を煌めかせる。まるで幻想の中から現れたようだった。

「夜だし裏道だったから暗かったのに、薄い月明かりだけなのに、綺麗で。天使かと思いました」

 あのまま斬られていたとしても、それはそれで……。

「あの子は人間よ」

「いや、例えですって」

「人間なのよ。どうしようもなく」

「……………」

 いつの間にかサクラさんの視線が鋭くなっていた。射抜くようだ。ぼくを責める眼。

 遠回しな言葉は、なんだかサクラさんらしくない。コーヒーが底をつくと、隙間の空いたストローは渇いた声で鳴いた。


「そうだ。いっそのこと顔、変えたら?」

 まるで名案浮かんだりというように提案された。本気で言ってるのか。

「冗談でしょ」

「なんでよ。その方が都合いいでしょうが」

「サクラさんみたいに、ですか?」

「…………………」

「………ごめんなさい。言い過ぎました」

「あんた、何のために脱獄したのよ?」

「理由は2つです」

 サクラさんにVサインを突きつける。2つと示しただけなのだけど、結果的にピースの形になった。

「教えませんけどね」

「あー、そう。何でもいいけどさ」

 がしがしと豪快に、サクラさんが頭を掻く。一瞬、昔のサクラさんが見えた気がした。気がしただけだ。言うまでもなく。

「あんたが逃げたのは、獄からだけじゃないんだからね。わかってる?」

「当然です」

 即答した。だって、当然ですもん。

 刑から自由になりたいだけなら、こんな無謀なことはしない。まして今まで無抵抗でいることもなかっただろう。油断させたところを逃げ出すなんて手段としては有り得ても、そんな器用さ持ち合わせてない。自分が一番よく知っている。

 ってことも。自分が一番、よく知っている。

「サクラさんには感謝しています。数えきれない面倒をかけてしまいましたが」

 今回に限ったことじゃないですかね。と思いはしたが、言わないでおく。きっと怒らせてしまうから。

「ありがとうございました」

「言いたいことは山ほどあるけど、明日でいいわ。もう寝なさい」

「子供ですか、ぼくは」

「わかってんじゃないの」

 なんて表情をしてくれるんだ。呆れた声で話すくせに、瞳は今にも泣き出しそうで。ぼくが顔を背けたのは、反射に近かった。

 見ていられない。見ていたくない。

「おやすみなさい」

『寝なさい』。恩人の指示だ。忠実に守ろうじゃないですか。

 また明日、とは返さなかった。

 嘘は少ないに越したこと、ないもんな。

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