語られなかった僕たちの
りす
星空の下
逃げるのはなぜかって、きみが追いかけてくるからだ。
煉瓦造りの狭い路地裏。
全速力で駆ける足音が2つ。
その差はおよそ3メートル。縮まることも、拡がることもなく響いていく。
季節は冬。吐く息が白い。それにしては、やけに暑いんですけど。
「……あれ、逆か? 逃げられるから追うんだったかな」
彼女と鉢合わせ、全力疾走を始めてから間もなく1時間になる。
体力はぼちぼち限界。思考も減速。
こんだけ走りゃ誰でものぼせるっての。
「ねえ、どっち、だっけー?」
途切れまくる呼吸を押して、後ろを走っている彼女に投げ掛けた。
もちろん逃げ続けながらだけど。
半分振り返ったおかげで、聴覚が彼女に向く。定まったテンポで脚を繰り出す音がよく聞こえた。
あのさ。肩掛けの鞘とはいえ、刀、背負ってるよね。重いはずだよね。丸腰のぼくと同じ速さで走るって、どういう仕組みだ。さすが、日夜鍛えてるだけのことはある。
「……立場に、よる!」
真面目に返事してくれた。考える方に力を回せていないらしい。ぼくと同じだ。
ああ、そうか。思わず笑ってしまった。
相変わらず、ぼくらはよく似ている。
一緒にいることができなくなった今でも。
いちばんしっくりくる、丁度よく当てはまるピースを選んでくれる。考えてることがなんとなくわかる、みたいな。
そんな些細なことが、今までどうしようもなく嬉しかった。とてつもなく特別で、尊く思えた。滑稽なほどに。
今後は逃げ回るんだから、厄介この上ないんだなあ。うーん、残念。
そっかそっか、立場によるのか。
それってもしかして、ぼくが逃げるのをやめたら、きみも足を止めるってこと?
「………ははっ、だめじゃん」
笑い事ではないのに笑える。嘲笑だ。彼女に? 自分に? どちらにも、かな。
どれ、ものは試し。急停止した理由は、興味。それが一番大きかった。
どうなるんだろう、どうするんだろう。
結果、きみは走るのをやめた。
あたりは急に静かになる。今が夜だってことを思い出した。
苦しげな呼吸が2人分。他に音はしない。
この世界に、きみとぼくだけが残された。
そんな幼稚な妄言さえよぎる。疲れのせいだな。そうに決まってる。
「………どういう、つもり?」
銀色の髪がさらりと流れた。月明かりに照らされ、神々しいとさえ思える。
お人形のように白い肌も、華奢な身体も、いかつくて重たげな軍服も、いつもと同じ。
違うのは、ここが地下牢じゃないことくらいか。
「捕まえないの?」
「………………」
答えは返らない。透明とも見える碧い瞳でぼくを睨むだけ。まっすぐに。
はい、おそろしいくらい綺麗です。
「きみの仕事だろ?」
両腕を大きく広げてみせる。安い挑発だ。
いつもならこんな罠にかかるきみじゃない、はずなんだけど。
「言いたいことは、それだけ?」
金属の擦れる音がした。無駄のない抜刀。
「……そうくるか」
月光を反射する、特徴的な白い刃。血に触れず研ぎ澄まされた、彼女の愛刀だ。
切っ先がぼくに照準を合わせる。人間、というか生き物に向けるの、初めてなんじゃないの。わあ、光栄。
「カノン」
きみが一歩、前進する。こちらは当然一歩下がる。
追われたら逃げるんだよ。きみが詰めた距離分だけ、ぼくは後退する。
立場が違ってしまった。ぼくらが近づくことはない。
……違ってしまった?
なにを言ってるんだか。
ぼくらはよく似ている。だけど、繋がることはない。絶対に。
なぜかって、だって、そんなの。
……きみは牢を護る看守で、正義で、
「牢に戻って」
ぼくは、人殺しの囚人だ。
その時点でもう、ぼくたちは……。
「いやだ」
答えると同時、真上に跳んだ。出窓に足が掛かるように、まず2階、次は3階。助走なしならこれが限界か。なまったものだ、嘆かわしい。
「………カノンっ!」
屋上の柵を片手に掴む。ぼくの名前を呼んでくれる、きみの声が遠い。
なのに、こうも突き刺さるのはなんでかね。わからないことだらけだな。
あーもう、しんどい。
「またね、エリ」
よし、帰って寝よう。それに限る。
屋上から屋根づたいに、寝床を目指した。
加速、加速、加速。振り切れ。メーターとか限界とかきみの顔とか全部振り切れ。
言いたいこと、思ってること、わかるつもりだ。あれだけ長いこと一緒にいればね。
わかるけどさ、わかってよ。
そんな酷いことをきみの声で聞くのなんか、堪えられないんだって。
ぼくは自惚れていた。はじめから違ったのに。繋がるなんて、重なるなんて、あるわけなかったのに。
外側から見るまで、まったく気付かなかった。どうせなら気付きたくなかったなー、言っても手遅れか。
だとしたら、ぼくはなんのために脱獄なんてしたんだろう。
どうして、なんで、なんのため、なんて。そんなの、そんなもの……。
「はぁ……あーー、さむ。ねむ。しんどい。……やってらんないね」
* * *
冷えた風が通り過ぎて、少女の銀髪を肩にはらっていく。
細い腕が、静かに刀を下ろした。碧眼の視線は下方を見つめる。爪先を、地面を、あるいはもっと別のものを。
空いた左手が硬い拳を握る。奥歯はギリと軋んだ。
「………今戻れば、間に合うのに」
か細い声は夜に溶け、誰にも届かず消えていく。
こぼれ落ちそうな星空の下。
少年の足音はもう、聞こえない。
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