やってみるのがだいじなの

「電話、出てくれる?」

「おっけー」


彼にスマホを任せた。私はスマホをスパークさせないよう、気をそらすことにする。目線を移すと、床にけっこう髪の毛が落ちていることに気付く。あー、昨日のヘアサロン彼氏のときのだな。お掃除したいなー。私がそう思うと同時に、床の抜け毛がフワフワと私に寄ってくる。なるほど、静電気が発動したらしい。ホコリも一緒に引き連れて、抜け毛は座り込んだ私の脚にくっついてくる。おお、人間ダスキン。ここでもしヤダきたなーいなんて思おうものなら、逆静電気効果でホコリが私から飛び去ってゆくのだろう。屋外ならまだしも部屋にホコリが舞い散るのは避けたいので、おとなしくダスキン状態を受け入れることにする。


「さっちゃん、これつけてねー」


私のスマホを持つのと逆の手で彼が私に差し出したのは、トイレ掃除に使うゴム手袋だった。人間ダスキンにゴム手袋っていらなくないかしらなどと思いながら、素直にはめる。そのままトイレの洗剤を探し始めた私に、彼がゴム手袋の真意を告げた。


「絶縁体だからね、ビリビリしないよー。講師さんがお客さんに来たいんだって」


あっなるほど絶縁体。ゴムは電気を通さない。ありがとう彼氏。末長くよろしくお願いします。


「講師さん?」

「太陽電池と菜の花畑の講師さんだよー」


おととい講師をしてくれた先生が、私に電話をかけてきたということか。しかしそれにしても


「聞いてないかと思った。カルロスに夢中だったし」

「カルロムだよセニョリータ」

「失礼セニョール」


講師さんが会社でどのような立場なのか、私は覚えていなかった。外部講師じゃなかったんだと今分かったほどである。今日は彼のおかげで欠勤連絡ができたけれど、このまま私は会社をやめるかもしれないのだから、なんかもうちょっと話しておいたほうがいい気がする。とはいえ正直に昨日からの出来事を退職願に書いたら、受け取る上司が困るかもしれない。まあなんとなく無理かなーって雰囲気だけでも伝われば幸い、くらいの気持ちでいこう。

電気を通さないスペシャル素材、安心ピンクのゴム手袋ごしに、私は自分のスマホを握った。よそゆきの声に切り替える。


「お待たせいたしました。花西です」

「土地計画課の斉藤です。大丈夫ですか」


講師さんは土地計画課の人だったのか。斉藤先生、斉藤先生。話すのはこれきりかもしれないけれど、覚えた。斉藤先生。


「たいへん申し訳ないのですが、あいにく、どのくらい出勤できないかが私にも分かりかねますもので、分かる者に相談してから改めてご連絡をさせていただければと……」


ビジネスマナー講座で習ったクッション言葉の羅列。さんざん口に出して言わされたため、口に出すぶんにはスラスラ出るのだが、それしかスラスラ出ないため、クッションだらけになってしまう。中身よりもクッションのほうが多い報告など、過剰包装もいいところである。数少ない中身の「分かる者」にも心当たりがない。斉藤先生ごめんなさい。


「分かる人と連絡とれますか?」


斉藤先生の言葉にはクッションが存在しなかった。ビジネスマナーの講師と仲が悪いのだろうか。いやビジネスマナーってもっとこう、あいさつみたいな、みんなに通じるものなんじゃないか。当社特有のマナーです、なんて、ビジネスできないだろう。

クッションなしの直球に思わず「とれません」などと剥き出しの事実をぶつけそうになり、すんでのところで言葉にブレーキをかける。待て待て、ピッチャー返し良くない。猛スピードの遣り取りは漫才師みたいなプロがやるから完成するのである。ああ、さっきから思考回路が無駄な方面に飛んでいる。これは多分ちょうど、ブレーキかけすぎてスピンしたような感じだろう。スピンした思考回路はショート寸前、今すぐ逃げたい会いたくないよ


ばつん。


なんか最近聞いたような爆発音がした。


「ゴム手袋負けちゃったかー。さっちゃんプレッシャーかけられて大変だったからなー、仕方ないなー」


彼の間延びした声を聞きながら、そっと手を目の前に持ってくる。ピンクのゴム手袋が握っているのは、画面が真っ白にひび割れた、私のスマホだった。

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