三題噺、時々、そのほか
久里
お題:『雨』『学校』『ましゅまろ』
ぽつりぽつり。
小刻みに窓を叩く水音は、あっという間に、夢の世界をさまよっていたボクの意識を現実へと連れ戻す。
急いで飛び起きて、無造作にモスグリーンのカーテンをひっつかんだ。
慌てて開いて外の様子を確認すると、期待通り、街全体が灰色に覆われていた。
分厚い雲が太陽の光をすっかり遮って、さらさらと銀色の雨を落としている。
僕の口元は、自然とほころんだ。
空が、泣いている。
そんな空模様と反比例してゆくかのように、僕の心にはあたたかな日差しが降り注いだ。
雨の日は、僕にとって特別なのだ。
雨が降っていると、彼女に会えるから。
雨の日になると、ただ学校へ向かうというそれだけのことが、こんなにも生き生きと輝く。いつもよりも、景色がずっと鮮やかに色づいて見える。
もうすぐ、彼女に会える。
その気持ちが、こんなにも僕の足を軽くする。
まるで、足から羽根が生えてきたみたいに。
やっぱり彼女は、魔法使いなのかもしれない。
銀の雨がふりしきる日にだけ、バス停に現れる彼女。
普段は、自転車か何かで、学校まで通っているのだとおもう。
息を切らして足を運ぶと、彼女の姿が視界に入り心臓が飛び跳ねた。
バス停の雨よけの下に、ひっそりとたたずむ彼女。
今日も今日とて彼女は、校則に違反しない清楚な膝丈で、きっちりとセーラー服を身につけている。
透き通るような雪の肌。
闇夜を切り取ったような黒いポニーテールを、高い位置でくくっている。少しだけ吊り目ぎみの猫のような瞳は吸い寄せられるように本に落とされていて、僕がやって来たことにも気づかない。
いつ見ても、朝顔のようにしゃんとしている清楚な人だ。
僕が、話したこともなければ、名前すら知らない彼女に恋に落ちたのはつい数週間前のことだった。
あの日も、しとしとと雨が降っていた。
バスの中での出来事だった。
彼女は、僕の隣に座っていて、その日も熱心に本の文字を追っていて。
特にすることのなかった僕は、ぼんやりと、流れてゆく外の景色を無気力に見つめていた。
その時。
突然、バスの中にいたましゅまろのような赤ちゃんが、バス中を揺るがすような大声で泣き始めた。
つんざくような泣き声をあげる赤ちゃんにみんなが辟易として、中には眉間にしわを寄せて怖い顔をする人すらいて。そのお母さんは弱り切った顔で必死に赤ちゃんをゆすったけれど、その子の機嫌はなかなかなおらなかった。
できることなら何かしてあげたかったけどどうすることもできない僕は、そのお母さんと一緒になって、ただ心の中であわあわすることしかできなくて。
そんな中。
彼女は自分の席に本を置くと迷うことなくすっと立ち上がって、赤ちゃんのもとに近づいていった。
僕を含めた車内中の人が、呆けた顔で、その様子を固唾をのんで見守っていた。
一体、何をするつもりなんだろう? と。
そのお母さんも目を丸くしながら近づいてきた彼女を見ていた。
赤ちゃんは、彼女が傍にやってきたことなんて関係なしに、まだ窓ガラスにひびが入りそうな大声で泣いていて。
それでも彼女は、うさぎのようにつぶらな赤ちゃんの顔をのぞきこむと、その桃色の唇を赤ちゃんによせて、そのまんまるの顔にやさしく息をふきかけた。
その瞬間。
赤ちゃんは驚いたようにまじまじと彼女を見つめた。
それから嘘みたいにぴたりと泣きやんで、ひまわりが咲いたみたいににこりと微笑んだ。
まるで、魔法を使ったようだった。
お母さんはびっくりして、呆けたようになって彼女を見つめていた。それから、安心してほっと顔をほころばせて、彼女に何度もお礼を言った。
そうしたら、彼女は照れたように微笑みながら、こう言ったのだ。
『妹がまだもう少し小さかった頃、泣きやまなかった妹はこうして顔にやさしく息を吹きかけると、ぴたりと泣きやんでくれたんです。もしかしたらこの子も、と思いまして』
車内に、再びあたたかい空気が流れだした。
今にして思えば、どうやら彼女はその時、二つの魔法を使ったのだとおもう。
ひとつは、あの赤ちゃんに。
そして、もうひとつは、この僕に。
僕が彼女にかけられたのは、雨の日を、特別な日に変える魔法だった。
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