修行のバースプーン

カゲトモ

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「マスターが最初に覚えたお酒ってなんなんですか?」

「ん? あぁ、カクテルの方ね」

 酒の味の事かと思った。

「水割りだよ」

「水割りですか」

「そう。斉藤君の時もそうだったでしょ」

 斉藤君に初めて教えたのも水割りだった。マスターが俺にそうしてくれたように。

「なんで水割りなんですか?」

「んー、一番シンプルなカクテルだから、かな」

 ウイスキーと氷と水、ただそれだけのカクテル。

「難しいテクニックがいらないからね。バースプーンの使い方が分かれば、あとはかき混ぜるだけだし」

 まぁ、たったそれだけのことでも新米はドキドキするんだけどね。

「でも俺、初めて水割り作ってお客様に出した時、死ぬほど緊張しましたよ」

「それ俺もだよ」

「マスターも!?」

 そんなに驚くことか? 俺だって十年ちょっと前は新米だったんだぜ?

「当たり前でしょ」

「マスターがかぁ、想像つかないな」

「斉藤君、それはどういう意味?」

 片眉を上げて訊いてみる。新米時代から生意気だって言いたいわけ?

「やっその、失敗とか、しないんだろうなって思って」

 なんでしどろもどろになるの。そんな斉藤君につい笑みが零れてしまう。

「失敗だって沢山したよ。お客様が怒ってお金を払ってもらえない事もあったし」

「そんなことが!?」

「よくよく考えると無銭飲食じゃんって感じもするけど、あれはねぇ確かに俺が悪かったし」

 リキュールの配合を間違えるわ、そもそもリキュールが違うわでむちゃくちゃなものを出してしまったから。マスターにも凄く怒られたなぁ。しばらくカクテル作らせてもらえなかったし。

「怒鳴られたこともあるし、殴られたこともあったし」

「・・・大変な経験をされていたんですね」

「下積み時代だからね。今となってはいい思い出だよ」

 その経験があってこそ、今がある訳だし。

「凄いですね、マスターは」

「いやいや、これもさ、ほら。惚れた弱みってやつ? 辛い時も苦しい時もあったけど、結局は好きだからさ。辞められなかったんだよね」

 何度シェイカーを放り投げようとしたか。それでもやっぱり、大切な道具を粗末に扱うことなんて出来なくて。深呼吸して飲み込んだんだよな。もちろん今でもそんな時はたまにあるけど。

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