セックス・ファンタジー

Guido Caffrey

I'm a ¥ Plant

01

《北海道大学の研究報告》

 ある種のチャタテムシのオスは交尾の際に、メスに精子と共に栄養物質を渡す。この栄養物質の価値はとても高く、産卵に必要なエネルギーを上回る。メスは交尾をすればするほど得をするようになったのである。よってこの栄養物質を巡る争いがメス同士の間でおこり、メスの方が交尾に積極的となり性器の形状や役割すら変わった。交尾に大きな副産物がついたおかげで交尾に対する積極性が逆転したのである。


    ◯◯◯◯


「わたしA+ランクの精子に触れるのなんて初めてです〜」

 新人の女性看護師が僕の性器を握ったまま言った。医療用の手袋は薄手だけど、それでも体温を伝える程ではなく、握られている感触は冷たかった。

「そっか。アヤちゃんは初めてだったね。その人、ウチが担当してる中でもトップだから! 口説くなら早い方が良いよ」

 採精ブースと診察室を区切るカーテンの向こうから担当女医の声がする。僕を射精させた新人の看護師さんは、僕の精子を受け止めたシャーレを計測器に置いてから、性器をティッシュで拭い、精子の付いた手袋を外した。

 拭い方が少し雑で、ちょっとだけ痛かった。それに射精後すぐに強く触るので、ビクッとお尻に力が入ってしまう。

 看護師さんが去っていったので、下着とズボンを上げて診察室へ向かう。

「はい。というわけで、今回も問題なし! ていうか、最高級ね、やっぱ。精液中の精子の量、精子の運動量、共にAランク。勃起時の性器の長さ、硬さ、太さも良いしね! 証明書のデータを更新するからデバイスを出して」

 性器の形状なんていう検査項目は無いんだけどな、と思いながら、机の上のパネルに自分のデバイスを置くと、データを受信した旨のメッセージが表示された。A+ランクの証明書の日付けが更新された。

「いやー、羨ましい限りですねぇ! そこら中の女の子が放っておかないでしょ!」

「そう……ですかね。まぁ、結構、困ることも多いんですけど……」

「もう! なーに言っているの! 持つ者の憂鬱ですかー? それにいつも言ってるでしょ! もうちょっと元気な声でしゃべりなさいよ。せっかく背も高くて、体格も良いのに」

「いやぁ……あんま目立ちたくないので……」

 いつも通り何にもならない言葉で誤魔化す。先生は「そういうもんかしらねー」と最後まで納得しない様子だった。


 病院を出て仕事へ向かう。受精力の検査は、会社に対しても社員に受けさせることが義務付けられている。こうして検査をしてからゆっくり仕事に向かうのは半年に一度の恒例だ。

 駅の改札を抜ける。もう11時を回るところなので人もそれほど多くはない。いつもラッシュの時間帯にばかり利用しているので、なんだが静かでガランとしてしまっているようにすら感じる。

『男子トイレは右側、女子トイレは左側、です。誰でもトイレ内での精子授受行為は禁止です。不適切な利用が判明した場合には扉を解錠させていただきます』

 構内のトイレの自動アナウンスもやたら耳に付く。それをすり抜けて階段を登る。

『レイプは犯罪です! 同意のない精子授受はやめましょう』 

 階段の壁にはお決まりのポスター。

 電車がホームに入って来た。やはりこちらも空いている。座席に腰を下ろしてボーっとあたりを眺める。

『遂に流出? あの有名俳優たちの精液ランク!』

『これからの受精卵買取価格 大胆予想』

『一流アフラニ系女子はここが違う! ハーレム運用による効率的な搾精環境の構築』

 たまに見るとこんなにも下品だったかと思うような中吊り広告が並んでいる。私鉄だから怪しげな広告が多いのかと思ったが、どれも名前をよく聞く一流の週間配信雑誌だった。

 人が少ないからいつも目に入らない広告が急に気になるようになったのか。それとも検査後だから嫌な内容の広告をスルーできなくなっているのか。

 広告を追うのは止め、目をつぶった。


 目的の駅で電車を降りて、待ち合わせしている仕事のパートナーを探す。今日は直行で良いことになっている。少し得した気分だ。

『喫煙所』

 デバイスにはアリサからの簡素なメッセージ。それに従い喫煙所に行く。

 本物か偽物かわからない木々で囲まれた喫煙所で、スズメの様に丸く着込んだ人々が肩を丸めて煙を吐き出している。皆が押し黙っている中にあってジョイントをふかしながら大声で話すアリサはとても目立っていた。

「マジで? Bランクなの!? もったいないって! ね、一回寝よ? えー、時間無いの〜? ホントー?? しかたないなぁ……はい! 今、連絡先飛ばしたから! ね、そっちからも返信して! 登録するから!」

 ナンパされてる男は困り顔。でもしっかりとアリサの脚を眺めている。今日のアリサは小柄な身体をふわふわのロングセーターで包み、下半身はスキニーレギンスのみ。前下がりショートボブの黒髪とマフラーの中に顔を埋もれさせている。

 僕もそうだが、今日の案件は個人宅ばかりなのでラフな格好だ。よその会社は外回りは全員制服だとかスーツだとかを着せるところもあるけれど、ウチの場合は親しみやすさを優先して、個人宅へは私服で行くことになっている。僕が今日着ている、ワイシャツとベストだけでジャケットやネクタイを省くスタイルもいつもの通りだ。

「いいじゃん! いいじゃん! じゃあ〜、バック2割! ダメ? ……3割でも良いからさぁ」

「アリサ、行くよ」

「わかった、わかった! ……ね! 絶対だよ! 絶対返信してねー!!」

 アリサは吸い殻を灰皿に投げ入れると、後ろを振り向いて手を振りながら僕について来た。

「もうさー、困るんだよねぇー。この間の改定でさぁ、東京都の受精卵の最低買取価格、もう少し上がると思ってたのにさぁー」

「今、いくらだっけ?」

「4万5000円。それだとさぁ、排卵剤飲んで、結構イイ感じで受精出来て、月4個で18万くらいじゃん? ちょっとねぇ〜」

「かなり良いと思うけど」

「いやいや! 4個ってかなりキツイからね! ……ま、タツヤが居れば楽勝なんだけど」

「えー、また? 僕を使うのは最後の手段ってくらいにしてほしいなぁ」

「はいはい。だからさっきちゃんと営業活動してたでしょ? でもなぁ、タツヤだとその後の卵割の可能性も高いから追加報酬ももらえるしなぁ――」

 アリサはまだブツブツと何か言っていたが、そうこうしている内にひとつ目の案件の現場に到着した。

 最初の現場は小さなアパート。茶色い外壁と鉄の外階段というかなり年季の入った佇まいだ。

「こんにちは。見守り代行ですー」

 1階の真ん中の部屋。インターホンを押して声を掛けると、玄関の向こうからかすかに音がした。小さな部屋だろうけど、脚の悪いおばあちゃんには遠い道のりだ。しばらく待っていると扉が開いた。

「こんにちは。杉崎さん」

「あー、はいはい。どうもー」

 向こうも慣れきっている。杉崎さんは――依頼者である杉崎さんの息子さんは見守り代行利用の常連さんだ。杉崎さんの家にはもう2年ほど代行に来ている。

 一人暮らしの1K。狭い玄関で多少渋滞を起こしながらの入室。キッチンを通り過ぎて案内された部屋は、畳まれた布団とちゃぶ台なんかがあるだけの簡素なものだった。小さなちゃぶ台に僕が前衛、アリサが後衛となって座る。

「最近、本当に寒いですよねぇ。お体、大丈夫ですか?」

 確認項目① 健康状態。

「えぇ、外にも出ませんしね。風邪をもらうこともないですよ。食事はもう全部宅配に切り替えたんです。食材とか冷凍のお惣菜とか、見繕って届けてくれるんです」

「えー! いいですね、それ。実際、どれくらいのお値段で届けてくれるんですか?」

 確認項目② 経済状況。

「ひと月、3万円くらいでね、安いもんですよ。調理済みのね、お弁当を届けてくれるやつもあるんですけど、それだとちょっと高いのでね。まだお料理くらいはできるし」

「いいですねぇ。僕も料理は好きなんですよ。今度調べてみようかなぁ。こう寒いとお買い物がね、面倒になってしまいますから。そうそう、寒いですけどエアコンとか調子悪くなってないですか?」

 季節性特別確認事項① 不必要な修理・工事等を迫る悪徳業者等の被害にあっていないか。

「えぇ、大丈夫ですよ。エアコンだけだとね、ちょっと寒いですからね、いつもお布団にくるまってしまいますけど」

 杉崎さんは少し恥ずかしそうに答えた。その後、杉崎さんに悟られないようにしたままいくつかの確認事項を満たすと、業務用デバイスで写真を撮って、杉崎さんに訪問報告証の画面に署名をもらって終了。僕らは見送りを断って外へ出た。

「はい! 依頼主への報告書できたよ。『健康でまだ死にそうにないけど無駄遣いはしてなさそうだから遺産は無事です』って」

「いやいや、ちゃんと書いて」

「ちゃんと書いたって……当たり前でしょ。今のをすごーく”適切な”文に変えて表現してあるよ」

 怖いので一応画面を確認すると、確かに当たり障りの無い文になっていた。報告書は主に僕が書くのだけれど、僕が前衛を努めていて、かつ後衛の仕事が特に無い時はアリサが面談中に報告書を仕上げてくれる。

「なんかさぁ〜、オプション用意してほしいよね。『直接的な表現希望』みたいな。私たちも相手も楽で良いと思うんだけどなぁ〜」

「依頼主へのヒキは良いだろうね。でも僕ら一応お上から助成金もらってる系の企業だから」

「あー、監査対策か……。でも今の人みたいにさぁ、家族契約だけ解約してないけど、ほとんど会ってないって人がウチらのメインの客層だしさぁ」

「今の杉崎さんの依頼主は、遺伝子的にもちゃんと杉崎さんの受精卵からの子どもだからさ。まだ何となくマイルドだよ、依頼主側の要求書とかも。しかも、3歳引取りだったらしいから、ほぼほぼトラディッショナル・チャイルドだよ」

「まーねー、でもトラチャイでも冷たい人は冷たいしさ、やっぱあんま関係ないよねぇ」

 アヤカは進行方向を向いたまま、そう言った。

「まぁ……確かにね。逆にほぼトラチャイなのに、今ではまったく会わない状況になっちゃったのは何故? って考えると……」

「ま、血とか関係ないよね。人がうまくいく、いかない、ってさ」

 アヤカはどうなの? そう聞きかけて僕はやめた。この相棒とも出会ってそろそろ2年。しかし、プライベートのことを聞いたことはなかった。

 身寄りも住所も無く、ストリートをフラフラしていたアヤカを、見守り代行の業務として確保して、なんだかんだで今では一緒に仕事をしている。

 あの日、路地裏で僕がアヤカを取り押さえた時にしていた目を考えると、だいぶ落ち着いたように感じる。でもそれも僕のおごりからくる勘違いかもしれない。

「杉崎さんって今いくつだっけ?」

 一瞬、僕は過去に戻ってしまっていたが、その思考はバレていないようだ。アリサは杉崎おばあちゃんの話を続けていた。

「74歳だよ」

「74かー、ギリ医療費6割負担だね。でも来年から後期だから9割かぁ」

「記録によれば現状、何らかの持病はないみたいだから」

「ま、今から何かに罹ったら漸進的終末医療なんだろねー」

「……そうだね。本人はともかく息子さんは漸的を希望するだろうね」

「ゼンテキかー……どんな気分だろ?」

「さぁ? ……でも、苦しんで10年寝たきりよりは、1〜2年で痛くも苦しくもなく人生をフェードアウトさせる方が良いとは思うけど」

「うーん……わたしもそうは思うけどさぁ。その時になったら色々心残りがあって嫌かなぁ、って。もっといい男と寝たい!! とか!」

「後高になってもヤるつもりなのかい? キミは」

「でもさぁ! わかんないじゃん! なってみないと。もしかしたらすっごい嫌で、漸的が決まってから逃げ出すかも!」

「……じゃあ、また僕が捕まえなきゃだね」

「あはは! わたしが後高なんだからタツヤも後高じゃん! タツヤこそ、その時まで現役のつもりなの?」

 アリサはツボに入ったらしくしばらく笑っていた。

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