第7話 夜空のほとりで 上

 ある日の夜更け、つまりは世界が静まり返った頃合い。

 丑三つ時、なんて怖ろしい単語が脳裏に浮かんだけれど、私はぶるんと頭を振ってその言葉を忘れる。時間は──時計を見るのを忘れたから、全くもってわからない。

 寝るにも寝付けず、スマートフォンを弄るにも退屈で、私はベッドの上で暇を持て余していた。喉が渇いていたので水を飲みにリビングに行くと、つけた灯りで目が真っ白になる。直にそれにも慣れてしまい、その頃にはもう脳が活動を始めてしまっていた。

 コップにくんだ水を飲んだが、どこか満足いかない・・・・・・。贅沢でもはや純粋でない私の舌は、水のようなものでは気が済まなかったのだった。味を求めて、冷蔵庫を漁る。しかし悲しいかな、我が家の冷蔵庫はほぼすっからかん、少なくとも今の私が口に入れられるようなものはなかった。子供ながらに子供じみた言葉でその事実を罵る。夜遅いということもそれに拍車をかけ、私を興奮させる。当分どころか、今日はもう寝付けそうもない。明日の学校を憂鬱に思いながら私は自室に戻った。

「なんか欲しいなあ」

 ただの独白、誰に言うあてもなく言葉に出す。

 それで十分だった。

 私がこんな夜更けにコンビニに歩く理由は。

 とりわけ、そんなわけで、私は家を出た。今日だけ。こんなことはこれまでなかったという事実が私をさらに興奮させた。ちょっと大人びて見える服装に着替えて近隣のコンビニへ。まさか補導なんてものには遭わないだろう、と自らに言い聞かせて歩く。

 その道の途中のこと。いつも歩く道だったが、やっぱり夜になると景色は変わるなあなんて思っていたときのこと。

 その場所──私が気に入っている、空が綺麗に見えるところ──にさしかかったときのこと。奥に、小さな人影が見えた気がした。小さな人影、ということが幸いした。もしこんな時間帯に、不審者と呼ばれるに値する人物にあったら、誰も私を庇えないのだろう。「まさかこんな夜更けに……夢遊病とかなんかだったのかしら」。考えただけで鳥肌が立つ。とりあえずそんな事態だけは避けたい。

 話を戻すと、私はそこに小さな人影を見つけて、それに近付こうとした。それこそお前が不審者ではないのか、なんて言われてしまえば出る言葉がないのだけれど、「自分、まだ高校生だし」という言い訳を頼りに、ゆっくりと、そして徐に近付く。何気ない風を装って近付かれていることに気づいていないその人影は、見たところ私よりも一回り小さい──小学生くらいとも言える──女子らしい華奢そうな手足をもっていた。そこでふと、実に当たり前のように自然に、ある少女のことが頭に浮かぶ。

「……まさか──」

 少女が近付く私に気付いて声をあげる。

「あ、こんな夜更けに」

 私の方を指差す少女は、ほかでもないいつもこの場所で出会う少女だった。それはまるでただの夢物語のようでもあり、童話や寓話のような都合のいい話のようだった。驚く私は声が出ない。

「こんな夜更けにここに来るなんて、ずいぶんと常人らしくないですよ。さては本業不審者ですか」

 言う少女こそ常人らしくなく、少し細めたその目は相変わらず夢で輝いていた。睡魔なんて彼女には敵ではないように見えた。

「君……こそ」

 ゆっくりと声を出すと、少女はいたずらっぽく笑って、「私こそ、なんですか?」と訊いた。

「なんでこんな真夜中に、こんなとこで」

 いたずらっぽい表情を崩さず、まるで独立を宣言する反乱軍のように、少女は胸を張って高く言った。

「天体観察です」

「天体観測じゃなくて?」

「どっちでもいいです」

 なにも間違えていないかのような顔つきで答える少女に、私は疑いの質問をする。

「じゃあ。君の一番好きな星は?」

「え」

 やや口ごもった後、少女は遠慮気味に目をそらして、小さく答える。

「……ア、アンタレス」

「へえ、なんで?」

「あ、赤いじゃないですか」

 どこか不安げだった。そうだよね、と私が頷くと、心なしかほっとした表情になった。

「うん。それで?」

「か、かっこいいなぁって」

かっこいいから・・・・・・・好きなんだ」

 私の言葉に、そうなんですそうなんですと申し訳ないような風に少女は頷く。たぶん、天体観測というのはただの言い訳だろう。さては、上手い言い訳を考えていたから、誰かに言いたくてしょうがなかった、とか。私が言えることでもないけれど、天体観測をするにしては知識が少ない気がする。

「そ、それより!今日は一段と天気が良いんですよ!」

 そう言って少女は天を指差す。端っこの方に雲はあったが、たしかに天体観測にはちょうどいいような空だった。

「たしかに、綺麗に晴れてるね」

 日もなく、青くもなかったが、それはたしかに晴れていた。星々も点々と瞬いている。月もそれらに倣って光っていた。

「こんな日に、家に籠もっている方が間違っているんです」

 さらりととんでもない発言をして、少女は私に同意を求めるように目を遣った。仕方ないような顔で首肯した私だったが、たしかにその通りかもしれない。それくらい、その発言はどこか正論じみていた。じゃあお前、いつ寝るんだよ、と言われればあっという間に終わりだけれど、そんなことは私たちには関係ない。

「こんな夜更けに、そして満天下にせっかくですから、私との話でもつきあってくださいよ」

 満天下、と言えそうで言えそうもない空の下、少女はの調子でそう言った。もちろん私は笑顔でそれに応え、少女は満足そうに破顔を見せた。

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